南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

新展開に向かう

2010-03-02 18:40:11 | 喜び
大河の両岸がはっきりしていない。自然に民家や一般道路に水が漂っている。その様子が余り深刻ではないようだ。三月の終わりごろまで毎年四か月ほどこの状態だとか。東側の広大な湿地帯の間をMusi川が蛇行している。雨季にはその三分の二の両岸が溢れだすという、洪水なのか、湿地帯なのか区別がつかないようだ。

さすがに私の子供たちである。私が留守にしている間に全員が協力して、全設備の移動と、動かすだけの電気、水、空気のセッティングも終わっていた。今日から早速、三交代勤務が始まる。客先は待ったなしである。私が直ぐそばにいる必要が無いことも分かった。

 S会長が、一日だけ見えられた、例によってジャカルタの渋滞で、08:30に着くはずが、10:30過ぎになってしまった。慌ただしく、会社の様子を眺め、途中、押出エリアに立ち寄ったときに、流れとして、押出の連中に集まってもらい、歓迎の挨拶をした。儀式的なものだが、無いよりは有った方がいい。会長を真ん中に皆さんで記念写真に収まった。
 その後傘下に収めたEJIPのSプレス会社を訪問、そこの、日本人の方2人はアクラブ会でご一緒したことがあって、知らない仲ではなかった。そのあとの某プリンターメーカーにもご一緒させていただいた。PT,NANBUの射出の仕事は、これから、マシンの整備やシステムの整備をしなければならないが、押出の方はすでに、体制が出来上がっているので、直ぐにでも行動を起こす、その点で、今日、面会した日本人の了解を得たように思うので、早速、輸入しているアイテムについて、ローカル担当者と打ち合わせすることになると感じた。

 会長は15:30頃空港へ向かった。忙しい方であるが、まったく、疲れを見せない。やはり、一味も,二味も違うこと感じたが、これは、見習おうとしてもできないことだ。これでなければ、こう、急発展はしない。私じゃとってもできない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUで押出の成形が始まりました。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行いました。
 インドネシアの押出成形業界の中心になる工場のスタートです。私としてはインドネシアへ来て、13年間ほど抑えるしかなかった知名度アップ(積極的な会社紹介)行動を開始します。
パレンバン(スマトラ島南部)の旅行記をまとめました。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage107.html
インドネシア内とインドネシアから出発した旅行記です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html
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豊富な天然資源

2010-03-01 18:03:09 | 行きすぎ
昨日とはうって替わって目的地に行くことができた。それも、アンペラ橋のたもとから、ポンポン船をチャーターして、Puleu Kemarao へいった。Musi川の川幅はこのパレンバンの街を通過する場所では500mはありそうで数千トンともわれるフリーや貨物船が行き交っている。石炭、天然ガス、小麦やコメ、その他、ガソリンや灯油、軽油を積んでいる船も往来している。正に大動脈である。100km以上下流のバンカ海峡にそそいでいて、マラッカ海峡に出てジャカルタなど向かう。ジャカルタ発の大型フェリーがぎりぎりの状態でJembatan Ampera(アムペラ橋)の真ん中を通過していた。私は思わず頭を下げてしまった。
 両岸にはプルタミナのガスステーションやプルタミニが水の上に浮いた状態で作られていた。タンクローリー風の給油船も当然行き来している。その状態は、カリマンタンのバリトー川やマカカム川でもみられた。
 大変活気がある資源搬出基地という感じで、嘗て、日本がこの土地を手に入れたかった理由が分かった。化石燃料資源が殆どない日本は南方に向かい、スマトラやボレネオ(カリマンタン北部)を先ず、手に入れたかったのでした。

 30分ほど河口に向かうと目的の中華系のけばけばしい何重かの塔が見えてきた。直径は100mほどでしょうか、川幅の五分の一位でした。昨日の夜まで三日間、この島のお祭りがあって、お賑わいだったそうで、その名残で、ゴミだらけ、それを燃やす煙が行くぐるしくさせてくれた。塔は九重でした。上ることはできず。他にも、日本のお寺や陣所のようにお百度参りのようなものをしている風景も見られた。私も他の場所で、やったことがあるが、めんどくさいし、いちいち、紙を焼くのが嫌で、二度とインドネシアのブッディストの祈り方はしない。今回も、簡単に賽銭を投げて手を合わせただけだった。
 それにしても、ここは裏切り観光地の候補に立候補させたい。
土産物を買って、空港に向かった。otak-otakとpempekをCANDYという店で買った。Otak-otakは空港へ着く前に10本全部食べてしまった。Pempekの味はotak-otakと同じであるが、バナナの葉っぱに包まれていない。インドネシア人はいずれも、大変からいサンバルを着けておいしいおいしいと言って食べる。私は、辛いだけでおいしくも何ともない、何もつけないでそのまま立出た方がおいしい、ワサビ醤油で食べれば、なおおいしいはずである。私の、メールアドレスはotakatsuoとotak-otakを掛けてある。

 装置の移転は終わり、電気などの接続も終わった。明日は、スイッチオンセレモニーが行われる。
 Jembatan Ampera(アムペラ橋)をくぐる大型フェリーその名もJembatan Musi 1 Jakartaと言います。ご存知かた焼きそばIfu Mieです。リバーサイド レストランで食べた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUで押出の成形が始まりました。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行いました。
 インドネシアの押出成形業界の中心になります。
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