南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆何故海外?

2012-08-22 20:20:41 | 行動

 1315 何故、海外?何故、東南アジア?そして、何故、インドネシア?

年を取った証拠だが、インドネシアで17年目に入ったところで、これらを、振り返ってみる。先ず、何故海外?から、子供のころから、アメリカの映画が好きで、良く見に行っていた。そして、海外、といっても、アメリカの技術や生活水準の違いに興味を持って、早いうちにいつかアメリカへ行ってみたいと思っていた。また、学生時代に個人的にフェライトの勉強をした。当時の東京電気化学などへも行って、最新の技術を手に入れていた。

就職は海外と交流が深そうな窯業の会社を狙っていた。しかし、私の就職時期は東京オリンピックの後の大不景気に当たってしまい、私が狙っていた会社だけでなく大企業は軒並み採用ゼロで、就職ができるかどうかすら心配になる最悪の時でした。同級生は大学院に残る人も多かった。私はそういうわけにいかないので、大学の先生の紹介で、東レ、極東貿易、臼井国際三社の合弁会社に就職したが、全く、私の計画から、外れてしまった。海外から技術導入して作られた会社だが、過ぎにでも海外へ行けるような規模ではなかったし、窯業とは無関係のプラスチック成型会社だった。当てが外れたし、化け学を勉強したがプラスチックの製造方法を知っているだけで、成型技術については、何も、知らなかった。8月に就職先が決まって、就職までの約半年間、会社から技術書を紹介してもらって、勉強をした。化学とは縁が遠い、機械と電気の世界だった。しかし、直ぐに世界の最先端技術に近いと感じたし、日本では貴重な技術だということも感じた。と同時に、私が配属を希望した押出し成型は勘が重要な特殊技術だとも感じた。それは、あれから45年後の今でも同じです。

当時、日本では誰も手掛けていない生まれたばかりのエンプラの押出成型にのめりこんで、客先が希望する製品を日本で初めて作る仕事をした。面白かったし、人の役に立つと思ったし、安定した収入を得られると思った。

当初の夢というか、希望をあきらめたてはいなかった。そして、就職から七年目にその会社から離れることになった。その時までに私が持っている技術というより、他人が作っていない製品を作る技術を開発することができるという能力を使えば、自立できると判断した。30歳で会社を興した。

 

ジャカルタの有名な三大モニュメン

興味 就職 独立


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