南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆勝手に懐かしい

2019-09-18 22:50:52 | 思い出

 3896 Greenland International Industrial Center(GIIC)のPT,USUI INTERNATIONAL INDONESIAを訪問した。この辺りでは、最新開発の工業団地で、一年以上ぶりにこの地域にはいったが、まだ、見渡す限りと言っても過言ではない、広大な土地が造成されたままになっている。

 

何故、USUIを訪問したかと言うと、私が約55年前、大学を卒業して就職先が、東洋プラスチック精工(現在、東レプラスチック精工)静岡県清水町柿田だった。その会社が東レ50%極東貿易と地元の有力企業、臼井国際産業が25%ずつの合弁会社だった。東レの原料を使い、極貿がドイツからの製造技術導入をし、臼井が初の客先になるという構図だった。臼井は、同じ清水町に本社工場があった、バンディーチューブと言う製品の製造販売など、車のエンジンルーム内にセットされる部品が多かった。

 

それらの会社からの出向者が会社の上の位置にいた。平均年齢、多分、40歳くらいの方々だった。臼井さんが近かったこともあり、社内囲碁大会によく参加していたし、子供が保育園に行けないときに、近くの臼井の社員の家に預けて面倒を見てもらったり、仕事もナイロン6のチューブやその3次元曲げ加工品を私が作って供給いた。私ではないが、車のラジエーターのクーリングファンをナイロンやそのガラス繊維りで作って納めていた。

 

そんな懐かしい会社がインドネシアに進出していることを最近知って、直ぐに訪ねてみたくなった。

 

マーケティングの日本人の方が対応してくれた。臼井に入ってまだ二年ちょっとだという方、プラスチックの押出とは縁がないし、臼井の歴史などにも関心がないだろうに、55年ほど前のの話から始めて、インドネシアで23年過ぎたという話まで、勝手に、話させてもらった。仕事としては、熱収縮チューブを国内調達をしたいという話はあるが、原料さえ入手できれば、作るのは簡単、私が手伝う必要はない。と言うことで、私の話をよく聞いていただいたと思っている。ウェブサイトには書いてあるが、話をする機会はないので、つい、話してしまった。

 

http://otaenplaext.net/concept1.html 私の現在のウェブサイト(ホームページ)の表紙です。

http://otaenplaext.net/concept172.html 大学卒、会社勤めの1966年あたりから1973年 東洋プラスチック精工、TPS(東レプラスチック精工)時代です。

 

インドネシアのPT,USUIは、GIICに2012年に進出した。

http://www.usui.co.jp/

 

http://indonesia.fact-link.com/mem_profile.php?pl=jp&mem=00001055&page=00101083

サラリーマンのころの会社の親会社の一社だった。臼井国際産業の宣伝です。

 

チバトゥインター付近からデルタマス方面に向い、デルタマスインター手前の信号で大渋滞。大渋滞がこんなところにまで現れている。大型の車は通行出来ない通りだが、それでもこんな状態だ。イジップとMM2100の連絡道も最近は大渋滞になる事が多い。

懐かしい 勝手に 思い出


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