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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆一階から上の踊場へ

2011-08-06 23:01:30 | 考え

斜めからインドネシアを見る 933

 40年くらい前、わたしは1ドル360円時代に既に15万円の給料を受け取っていた。417ドルでした。そして今、年金を15万円くらい受け取っている。1880ドルですね。ドル換算では4倍の手取りです。しかし、食料品は当時の4分の1も買えないでしょう。そして、日本人の給料は、ここ20年くらいは、あがっていない。大卒初任給はずっと20万円弱だと思う。むしろ今はそれ以下になっているでしょう。海外へ企業が本格的に進出し始めたころからずっと給料は上がっていない。だから、購買力は半分以下に落ちている。日本で作れば高くつく、だから、海外で生産して日本へ持ってくる。しかし、日本の購買力は低下している。デフレは第二次、第三次産業製品で、第一次産業品目はインフレです。エンゲル係数という懐かしい、数字が今や上昇している。私が子供から学生のころ、毎年のエンゲル係数が発表されていた。高ければ貧乏、低くなれば金持ちになる、という、単純な数字だが、それが低くなってゆくことを意識していた。日本は段々金持ちになっているんだと。子供ながら理解していた。今の日本は貧乏とは言わないが、明らかに金持ち国家ではなくなりつつある。

 今の円高は必ずしも、国力を反映していない。ドル、ユーロ、円のどれが増しかと云うと、円がましだろうという理由です。弱者どうしが蹴り合いをしているのです。今や強者はかつての、新興工業国、後進国と云われた国々です。

 

お互いに同じ床にいるということは、総合的技術水準は同じだということです。全ての技術が同じというわけは無く、同じようなものもあれが、日本の方が進んでいるものもあれば、もはや遅れている物(かなわない物)もあるということです。一般的にIT関係を軸に車や各種加工機など、現在の物作りの基礎になる装置や機械の中枢部の部品やそれらを作るための機械の部門でまだまだ、日本の方が進んでいるらしい、今回の東日本大震災で、多くの企業に重要な部品が届かなくなり、生産を中止したり減産を余儀なくされたりした企業が世界中にあったことから、なるほどと思う。

 

 しかし、そういう部品が入りさえすれば、それらを組み立てたり、新しく使い道を開拓したり、新製品を作り出す能力はもはや、新興工業国の方が上である。日本で組み立てればコストが高くなることはやむ負えないにしても、品質の面でも、日本が優れているとは言えなくなっている。

 

二年連続、就職ができない大卒者が10万人超えている、約20%だそうです。高卒者はどうでしょうか。

ニューヨーク株、一日で、500ドル値下がり、最大ではいが、かなりの大暴落である。

昨日、日本独自で、大規模な市場加入の結果、円相場は一日で77円付近から80円台になった。

こんなニュースばかりである。その点、インドネシアは臭い、汚い、大渋滞などなどだが、活気が全然違う。インドネシアRpは高値安定です。

 

小学校から預かってきた朝顔が咲き始めた。丸子(まりこ)のとろろ汁の丁子屋、東海道中膝栗毛、十返舎一九に出てくる。ヤジさん北さん、夫婦喧嘩に巻き込まれて、とろろ汁を食ベ損なった。という有名な下りがある。

流れ 勢い 円高

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(^_-)-☆インドネシアの家の窓

2011-07-06 22:51:06 | 考え

 インドネシアの家の窓枠や扉枠事情書いておく。おそらく、東南アジアの国々の多くに共通していることだと思う。窓枠や扉は基本的に田舎の家にはつかわれていない。 インドネシアの家の窓枠や扉枠事情書いておく。おそらく、東南アジアの国々の多くに共通していることだと思う。窓枠や扉は基本的に田舎の家にはつかわれていない。そもそも、ガラス窓が無い家が殆どです。

 都会に、町に近くなるにつれて、煉瓦を積み上げた家が多くなり、ガラス窓も多くなってくる。大都会へ入れば、完全にガラス窓になる。しかし、日本は特殊で横にスライドする窓と出入り口がほとんどだが、インドネシアもその他の国々も、開き窓だし、開き扉です。それが、左右の端が蝶番になっている場合と、上に蝶番があって、下を押して開き引っ張って閉じる場合がある。扉は完全にいわゆるドアです。引き戸があるとすれば、それは日本食レストランなど本当に特殊な建物だけです。

 そこで、窓枠は木製、鉄製、アルミ製、プラスチック製があるとすれば、都会のアパートやオフィスビル以外は、木製、鉄製で、木製が殆どです。

 もう一つ、日本と全く違う点は、二重になっていて、内側は、鉄製の格子付きの網窓だいし、網扉です。それは、年中、どこにでも出没する、蚊と泥棒除けと風通しです。泥棒には網だけでは効果がりません。ですから、鉄の棒で単なる格子ではなく、かなり、芸術的に曲げて色々な模様になっている。職人の腕の見せ処にもなっている。そして、鉄格子網戸は固定です。扉に様に開けることはありません。ですから、その一部に腕が入るくらいの小さな、扉があって、そこから手を出してガラス窓を開け閉めできるようになっている。鉄格子網扉は、勿論、開けしまします。そして、鍵はどちらにも付いています。

 ですから、プラスチックの二重窓サッシは全く使えません。アルミも使っていません。それに、断熱や遮音目的に二重ガラス窓にするというのも、全く、意味がありません。基本は、人が中にいる時には開けておくのです。開けておいた時のリスクを解消目的で、開けない網戸を付けてあるのです。

 PT.Y社がインドネシアにあります。サッシを作っています。しかし、一般家庭住宅ようはほとんどなく、アパートやオフィスビル用です。それよりも、トラックのボックスボディの生産量の方が多いはずです。

 プラスチックのサッシは全くと言っていいほど採用されていないようです。作っている押出成形屋はありません。もし、需要があるなら、とっくに作っているでしょう。普通の窓枠でプラスチックが無いのですから、二重窓の内窓枠などということはもっと無い話です。日本と東南アジアでは、窓や扉の存在目的が大きく違います。日本で売れそうなものは逆に東南アジアでは見向きもされないということでしょうか。

 南部化成の宣伝、浄化槽の中に入れてバクテリア(微生物)の繁殖を盛んにする為のパイプ、チューブです。表面積の大きさが重要です。これを私は作ることができるが、私がつくったものではなく、亡くなった田中さんが作ったものはこれだけではありませんが、代表的な作品の一つでした。

 私はこれ等よりもっと表面積が広いチューブを半年以内に作る予定でいます。

 サッシ 窓枠 網戸

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(^_-)-☆パニック障害の症状

2011-06-26 22:46:16 | 考え

先日書いたことの追加です。

体のあちこちが頻繁につるようになった。それが、また、強烈になり、じっとこらえていてもなかなか治らない。手足がつることは今まであったが、おなかや肩から首にかけて、脇腹、アキレス腱やその前の足と脛の間の筋だったり、思いもかけない場所が突っ張る。

ゴルフが終わった後は必ず吊るようになった。車の運転で帰る途中、高速道路の脇で止めて暫く休むこともあった。ハイウェーパトロールから何回もどうした、とたずねられたことがあった。ハザードランプを付けていれば、ペナルティーは取られなかった。オートマに変えても右足が吊るので同じことだった。コンペ後の表彰式や会食をしている時も途中で吊ってしまって、皆さんに何度も心配を掛けた。以前は、こんなはずではなかったのに、歳のせいかなと思ったりしたが、自分みたいな人は他にいないわけで、異常だと感じていた。

子供のころから力が無いことは知っていた。ゴルフを始めた時56歳でした。その時、ドライバーでランを入れて、170m平均でした。ところが、60才を過ぎたころから距離がすくなくなって今は150m平均です。100mは5番ウッドを使います。アイアンは7番より短いものしか使えなくなった。

ボルトを締める力、何かを持ち上げる力これ等も少なくなっているのが分かる。ホk他の人に頼むと、私が占めた後、同じ道具でもっと締まるし、他の人が締めたボルトを緩めようとすると緩められない。長い、パイプを使わなければならない。その度合いが多くなっている。歳のせいばかりとは言えない。

難病の筋萎縮性側索硬化症(ALSではないことは分かっています。この病気の人を何人か知っていますが、進行速度や症状は似た処はあるが全く違うことの方が多い。

力が無いこと、力が減少していることを他人に話しても全く信じてもらえない。

ついでに、信じてもらえないことが私にはある。それは、近眼がまったく治ってしまったことです。これは、パニック障害と関係はないと思いますが、色々な症状が現れたころから、18才から掛けていた近眼のメガネが邪魔になってきた。老眼(遠視)のメガネが必要になり、その前までは、いちいち、交換して使っていたが、そのころから、交換しないで、近くを見るときだけ老眼を使うだけになった。運転免許証、パスポートの写真はメガネを掛けない顔に変わっている。

 

 パニック障害が治ってしまったと思われる今、体のあちこちが吊るという症状は無くなった。しかし、力が衰えていること、近眼が治ってしまったことは其のままになっている。薬の所為かどうか、分からないが、疲れやすいこと、いつも、眠いことなどは、若い時に比べれば、歯がゆいことですが、年齢の所為かと、思っている。

 インドネシアの赤とんぼ、一年中いる。IFU MIE(かた焼きそば)リッポチカラン、ルコ、タムリン内のメトロポリタンという中華レストランで。

パニック障害 心当たり 歳の所為

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^_-)-☆放射能は確実に減少

2011-04-03 23:53:52 | 考え

  本当に、本当に知識のないコメンテーターは口から出まかせを感情的に喋っているだけです。呆れてしまうばかりです。
水素爆発による最初の放射能飛散から20日ほど経過し、新たな放射能飛散は無く、半減どころか四分に一以下にいずれの場所もなっている。確実に基準値を遥かに下回っている。水も野菜も土も平常値に限りなく近づいている。これが真実です。本当に今の数値は新たな大気中の放射能が発生していないことを証明しているのです。
 と、こう書くと、とんでもない、排水口から大量の放射能が検出されている。周辺の土壌からプルトニュームも検出された。原発の敷地内に溜まった水からは基準値の一万倍以上の放射能が検出されているではないか。これは、悪い方向に向かっている証拠だというに決まっている。恐怖をあおっているのです。パニックを増長しているのです。知識人と言われる人が、そういっているのです。無知もそこまで行けば犯罪に近い。
事実、日本のマスコミも、海外のニュースもこれを強調している。心配だ、日本は情報をコントロールしていると言っている。日本人にインタビューして、日本政府に疑いを持っていると話をしている人だけを紹介している。完全に、情報操作をしているのです。安心の方向で無く、危険が増しているという方向に、です。

私は、福島原発の最初の水素爆発が起きた後、メルトダウン(炉心溶融)があった、ことは、データから否定はできないが、それ以後、核分裂放射能の総量が増えているという証拠は全くないと断言する。最初の放出から残っている放射能が、今、明らかになっているし、水に溶けて流れ出しているのです。爆発直後に計測していればもっと数値は高かったはずである。流れ出している分、原発内の放射能は少なくなっているのです。
空気中や海中に流れ出し、放出された分、原発内の放射能は少なくなっているのです。
 今日、海水に流れ出している場所の一か所が確認された。他にもあるかもしれませんが、とにかく、海水の放射能濃度が高いことは、流れ出していたことは確実でした。

 それがわかっている専門家は、その流れ出しや放出を止めようと色々な方法を取っているのです。封じ込めてしまえば、急激に全てが収束します。ピットや地下溝(トレンチ)にある水も、本当は海に流してしまえばいいのです。海水量からすれば、無いに等しい容量です。乱暴な考え方かもしれませんが、分かっている人は、そうすれば、一挙に解決するのにと、思っているはずです。しかし、それは言えないしやらない。とにかく漏れる場所は塞ぐし、閉じ込めることに最善を尽くすだけです。

 核実験華やかなりし頃、地球上にばら撒かれた放射能の総量は、福島原発の爆発で出した放射能の無限大に近いほどの量です。逆を言えば、今回の事故で発生した放射能は、無限小です。一番危険なプルトニュームの現在の日常的数値は核実験当時の四分の一以下になっています。その数値よりも、福島原発敷地内で新たに見つかった福島原発事故で発生したと考えられるプルトニュームの数値は低いのです。それも、通常の発電時以上に総量が増加しているという証拠は無いのです。海水のセシウム、ヨウ素が大量だと言っても、なお増えていると言っても、総量が増えている証拠にはならないし、逆に原発内の放射能量は減ってきている証拠です。

緩やかな核分裂による発熱を使うのが原発ですから、核分裂に伴ってセシウムやプルトニュームは発生するのです。それをコントロールできなくなってしまったという根拠は無いのです。
 もし、コントロールできないほど増加していると強調したい人がいたら、その根拠になるデータを示していただきたいと思いますが、専門家の方で、総量が増していると言っている人は、今のところ一人もいません。
最前線で放射能の飛散防止の為に努力をしている方々、反応炉の冷却に勤めている方々に敬意を表します。あなた方の力で、一刻も早く封じ込めが完結するように祈っています。その前に燃料棒の冷却が間接的にできるように早くなることを祈っています。最終的には分厚いコンクリートで固めてしまうでしょうが。

 なお言わせてもらえば、菅さんに任せればいいのです。指揮を取るのも取らせるのも、菅さんに任せればいいのです。余計なことを云って民衆の気持ちを惑わしてはいけません。
特にコメンテーター、とか云われる人、あなた方は無知が多い。菅さんを批判したところで、日本国民にとって何の利益にもならない。
 孫たち初体験のたい焼と落ち葉焚き(焚き火)
 真実 勇気 迎合

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(^_-)-☆どうなっているの

2011-02-20 23:15:59 | 考え

   斜めからインドネシアを眺める 825

変なことがあった、韓国人と結婚して妊娠したばかりという、ジャバベカゴルフの元キャディーが夜9時過ぎに家へ来た。何か月前に一緒に回ったことがあって、キャディーの仲間に私の家が近いことと、電話番号を聞いたのでしょう。その結婚したばかりで妊娠していると聞いたのは、彼女が家に来てからである。名前も顔も覚えていなかった、リニーという名前を聞かされても、覚えがない。遊びに来ていいよということにして、実際、来たが、彼女は私を知っているのだが、私には記憶がなかった。

来て、直ぐお腹がすいているから、何か食べさせてくださいという。カレーが余っていたので、食べさせた。

 

リッポチカランの奥の方に住んでいるが、旦那が一カ月間バンコクへ出張で、家にいないので、私を思い出して、来てみたかったという。結局、私がゴルフをするため朝5時に家を出た後、家から出て行くまで、別部屋に寝ていたらしい。ゴルフを終わって、会社へ寄って、金型屋へ寄って家に15;00頃帰ったときには居なかった。あとで、SMSが入って、カラワンの実家へ帰っていることが分かった。

彼女、いったい、何を考えていたのでしょうか。また、遊びに行きたいと言っていた。妙なことだった。

妙といえば、マリアの子供が12日に生まれたことである。昨年四月には妊娠していなければならない。ブログを読み返せば、彼女がスラバヤは帰っていたかどうか分かるが、私は日本へ帰っていなかった。8月に、妊娠をしやすくするための手術をしたいと言って、スラバヤのご主人の所へ帰って行った。レバラン前に、二回にわたって手術をしたと言っていた。妊娠するまでこちらへ来ないようにと、言い渡してあった。妊娠して移動しても、構わない月数になったら、来てもいい、こちらで子供を産んでもいいよ、と言ってあった。

それが、いきなり、子供が生まれたと言ってきた。そして、明日は、子供の頭髪を切る儀式を行うという。その写真を送ると言ってきた。キツネにつままれているようで、何が本当なのか、分からなくなった。ともあれ、本当に自分の子供を授かっているなら、オメデトウである。私も、そのための資金的援助は、惜しまなかったのだから。そして、彼女と再び会うこと事はない。本来、私と一緒にいることは彼女がお金をほしいという気持ちからだけだったので、私は早く旦那のもとへ帰ってほしかった。彼女の代りをほしいなら、いつでも、誰かに頼むことはできる。半年先にはインドネシアにいなくなるのだから、これで良かったと思う。

 

旅に出ていたので三週間ぶりのゴルフでした。山へ登ったり、海で泳いだり、海岸を走ったりしていて、かなり鍛えたので、ゴルフの歩きは足が軽かった。だからといってスコアーが良かったとは言えない。

川へ入って足でボールを探している人、見えているのは三人だけだが、この時だけでも他に三人以上いた。ロストボールは大体十個五百円くらいで売っている。

ここのゴルフ場のプレー費だが、聞く処によると、ビジターは1,5ジュタらしい。高い!以前からメンバー以外は誘いにくかったが、なお、誘いにくくなってしまった。日本人関係のコンペは殆ど無くなっているが、全然、無くなってしまいそうだ。ジャバベカでやるなら、参加したくない、という人が、なお、多くなってくる。

中型トカゲ、ビヤワックの子供の珍しいツーッショット。

 

珍妙 嘘 不可解

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(^_-)-☆いくつか次の準備

2011-02-18 22:37:00 | 考え

   斜めからインドネシアを眺める 823

  二月は洪水の月、過去のジャカルタの大洪水は殆ど二月に起きていた。今年はどうか、やはり、異常だと思う。乾季がなかった去年も異常だったが、雨季に入って、雨は増えて洪水も発生しているが、大洪水になるほど降っていない。洪水対策が整ってきて、洪水になっていないということは全くないので、やはり、雨が少ないからだと思う。また、今季の雨の降り方の特徴は一日の中の降る時間が不規則だということです。西ジャワは昼過ぎから決まって降るのが正常でした。今季は朝から雨にたたられることが多い。

 

 身辺整理を進め始めていたが、そのうちの重要な一人がマリアさんです。昨年のレバラン、ラマダンの前から、スラバヤのご主人のもとへ帰していたが、そのままの状態で彼女とは別れることになる。彼女はどう思っているか知らないが、彼女を救ったのは私だし、パニック障害の時、彼女に救われた。インドネシアの旅でも、彼女がナビゲーターとしても役割をしてくれた。経済的援助は彼女の家族を含めて十分にしたと思うし、ある程度の財産も残してやってある。いつかは分かれるのだし、彼女のことは、今月中にふっきることになる。妊娠が難しいと言われていて、手術をしたり、人工授精をしたりして、そして、子供も生まれた。その資金も全部私から出ている。

 

 日本の学校で勉強した人達の保証人としての義務的な役割は終わっているし、マリアさんと違って、日本での生活や学費の面倒を見た人たちは、現在は、自立をしているので、資金援助は彼らから断ってきている。精神的な支えと、本当に困ったときだけ相談に乗るという話になっている。日本で普通の付き合いになるでしょう。

 

 離す人もいれば、これから、手助けを始めようとする人もいる。日本へ帰ったら、保証人として呼ぶことになる、両親の了解と私に託すお願いを受けて、その準備を約半年前の今から始めさせている。日本にいるインドネシアンの何人かにも、不安をなくすための相談に乗るよう頼んだ。

 エアーリングが出来た。今回の試作にどうしても必要なので、グロドックへ部品を買いに行って、その部品を使って近所の鉄工場で作ってもらった。これも、会社へ寄付である。

寄付したエアーリングスタンド。会社から借りた車ダイハツセニア、ガソリンの消費が少ないと評判で良く売れている。

 別れ 始まり 支度

 

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(^_-)-☆Bali一人自由旅

2011-02-17 23:43:21 | 考え

   斜めからインドネシアを眺める 822

時間で戸惑う。バリタイムはインドネシアのジャワ島、スマトラ島の標準時間(テレビやラジオの番組はここの時間で編成されている)より一時間早い。国内でも、時計の時間を変更しなければならない。バリでテレビを付けていると番組の時間がずれているので、今何時なのかいちいち意識をしなければならない。日本との時差が一時間になるので、グログの投稿時間をいちいち考えながら変更しなければならない。出発時間もかなり意識しないと間違える。ちょっと厄介。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page237.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.html

ワルンとレストランどちらに入るか、インドネシア人運転手と一緒に食事をする機会が多い。必ず、ワルンにします。ナシゴレンの値段が150円位、飲み物と一緒で180円位、ところがレストランとなると安いところでも500円位になってしまう。バリの観光客が多くいる場所では、飲み物を含めて1000円位になる。ブカシ、ジャカルタの日本食レストランと同じような値段だ。観光客価格は驚くほど高い。そして、その値段ほどのおいしさはない、逆にワルンの方がおいしい。運転手はレスタランで日本人と一緒に食事することを嫌う。当然である。回りが、自分とまったく違う世界の人たちばかりで、緊張するし、彼らにとっては味も合わない。

ワルンに限る。行きなれているし、安いし、好きなものを自由に注文できるし、追加も出来る。サンバルなども自由に頼める。私も 洒落た外国人向けのレストランよりインドネシア人向けの一般のワルンの方が性に合っている。辛いものだけ避ければ、大変おいしいし、安い。運転手と二人分で300円くらい、それで、誰もが満足。

Baliに限らず、基本的に一人旅が一番、気楽で楽しい。連れがいるとどうしても、自分の思うようにはいかない、気を使ってしまい。その人たちの顔色を見ながら、聞きながらの行動になってしまう。お任せタイプではないし、他人にくっついて行く性質ではないから、欲求不満になる。不満を持ちながら、その人たちの面倒を見なければならない。一番そんな役割をすることになってしまう。小学校の遠足の頃からずっと、そう思っている。

チカランから車でロンボック、リンジャニ登山までの一人旅に匹敵するくらい今回の旅は満足でした。どちらも、連れがいたら出来ないことを多く体験することが出来た。一人旅の機会があればまたしたい。

ただし、40~50才日本国内の旅やスキーにいった時は一人旅では無かったが、この時は例外的に、一人旅の時と同じように連れに気を使うことが無かった、この時はやはり十分満足できたので、日本を離れる直前まで続いた。思い出す。懐かしい。

 

言葉が出来るということは、本当に、嬉しいと思う。旅先の誰とも、冗談混じりの世間話が出来る。ホテルのフロントと話を始めるとなかなか終わらない。ドンドン話しかけてくるし、質問してくる。たまたま、日本からのツアー客が到着し時などは、手伝うことになる。そして、日本人のお年寄りから若者までが私の話しっぷりに羨ましそうにする。また、感謝される。全くもって自己満足の世界に浸れる。バリの私が泊ったホテルでも私を通訳や運転手として雇いたいと言っていた。できる機会があればやってみたいが、あと半年で日本へ帰って日本をベースに仕事をする決心を固めた。インドネシアベースは5カ月ほどである。そろそろ年貢の納め時です。

車を売った。そして、会社からレンタカーを与えられた。家も売った。私は二万円の借家へ引っ越した。帰国の準備です。その前に技術的にやることが在るので、かたづけなければならない。

バリ旅はそんな区切りを考えて実行した。

バリの特徴的彫刻、YOGI大体二万五千Rpで買えます。

一回目の自爆事件の場所の向かい側に付けられた慰霊塔、犠牲者の名前が刻まれている。

考え事 区切り 無茶

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(^_-)-☆是唯足知

2011-02-11 23:16:37 | 考え

    と書いたが、今回のタシクマラヤのキリスト教会襲撃の後始末に数人のイスラム教徒の若者が来ていた、というのがニュースで写されていた。その画面の真ん中の後ろの方で、何十人もの警察官が、長椅子にのけぞる様にして、掃除を眺めていた。警備をしている風に見えないし、掃除や片づけをしようとしない、彼らは、イスラム教徒です。

 

これ唯足るを知る。色々な考えがあっていいと思うから書くが、人間の延命措置と同じで、もう、明らかに意識がなく、駄目なものを、機械を使って心臓を動かし、酸素を送り込んで延命させ、奇跡を期待することが是か非か、医者が呼吸器をはずせば、殺人になりかねない、身内がOKすれば、医者は殺人に問われることは無い。

 循環するもの、別の命が、新たに出てくるものについては、新たにでてくる者に対して智恵を使えばいいのです。

 日本の農産物に関して、後継者はいない、規模が小さくなるのは当り前で、金をつぎ込んで機械を導入してもその金は回収できない。一度、天災の被害を受ければ,それで、一ころ。例外はあるが、今の畑や田んぼの状態では未来は無い。例外はあくまで例外で、全部を例外と同じにしてしまうとするのは、逆に共倒れを促進する。新しい例外を大規模に作りだせば、別の農業、漁業、林業が生まれる。一次産業から二次産業にしなければ、今のように、輸入規制と税金の配分をもっともっとと言っている、大の大人が悲しい存在に見える。農協などは、農業者を自分の飯の種にしているにすぎない。一緒の権力者、公務員のようなものに過ぎない。これも、例外はある。

 革命が必要です。強力な刺激が必要です。その点、自由貿易交渉はドンドン進めるべきである。とっくに農産物の輸入自由化をしていれば、今のように問題をずるずる引きずる必要は無かった。やらなければならなくなるものは早ければ早いほどいい。国鉄の民有化、郵便局の民有化、何十年も、しつこい反対をした後、反対した人々は今の民営化を見てどう思っているのでしょうか、国民の多くは間違った選択とは思っていない。一部の元職員や公務員が辛い目に会っているのかもしれないが、大を生かすためには、犠牲になる必要がある。100%の人が、満足というものはこの世の中に無い。痛みが無い改革、手術は無い。

 

 インドネシアの山岳地帯の伝統的なの生活ぶりを見るにつけて、足る、ということは何かを考えさせられる。

 私が子供のころ、大二次大戦後、物資が不足していたころ、何も不足していると思っていなかった。子供ながら、おやつに、ジャガイモを自分でゆでたり、田んぼで捕まえたドジョウを泥をはかせておいて、串に刺して焼いて醤油を付けて食べたり、充実していた、勿論、テレビは無いし、おもちゃも無い、おもちゃは自分で作った。私が子供の頃の方が今の日本の子供達より恵まれていたと思うし、勉強やスポーツなどにやりがいがあったと思う。子供も大勢いて、活気が在ったし、今のインドネシアに似ていた。

 もっと書けば、江戸時代の日本人の方がもっと恵まれていたと思う。日本人は江戸時代をもっと知ったら、新しい投資の方向が見えてくるのではないでしょか。このままでは、中国に尻尾を振り、いつかインドネシアにも尻尾を振る時代が来るのではないでしょうか。

そのころ、私は、この世にはいない。

  

Mencari pacar mu(恋人探し)で恋人に今回も会えた。数か所ポイントが在って、どこかで会うことが出来るようになっている。私のウェブサイト

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ の表紙の場所です。

満足 充実 手助け

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(^_-)-☆超原始生活の意地

2011-02-09 23:11:51 | 考え

  は車の通りから50m以上下にある。そのため、車の通りの脇にバスや車の駐車場を作り、その周りには地元をはじき出された人の仕事を作るために、駐車場係とか、ガイドとか土産物売りの店やレストランも観光省が与えた。

せっかく、インドネシアツアー中の外国人が、知らずのこの場所を訪れて、一悶着起きる、皆さん、せっかく、期待してきたのに、へ入れない。外国から大コンプレン、政府も困ってしまった。特例中の特例として、灯油を安く、十分な量を供給するという回答を半年後に獲得した。直ちに解放した。そういう一騒動が在った。

 

へ下りる階段は大変急で、帰りが大変だった。一息には登りきれない、途中で休憩が必要だ。の面積や家の戸数は増やさない。10年に一度作りかえる、民総勢で手伝い一週間で作ってしまう。材料は骨組みが木、壁や扉は竹を色々な幅で手くられていた。屋根は、昔、日本でも箒の材料になっていたので見たことがあるシュロを使って葺く。ところどころに50cm四方のガラスが埋められていて太陽光を部屋の中に入れる工夫をしてある。勿論、電気器具はまったく置いてない、そりゃそうです、電気を使っていません。

金持ちも貧乏人もいない。完全共産主義だと思う。

 

当然ながら学校や診療所はない。上の道沿いの学校へ行っている。人員構成は、非常に巧みに調整しているらしい。妊婦も生んだばかりの女性も表に出ている。外で、おっぱいを飲ませていた。老人も大変多い。長生きのだという。聞くと、80位に人も多いとか、外へ出て、女性の観光客に話しかけられて、一緒に写真を撮るのが楽しみだという。

生活のストレスが少ないと思う。そういう状態にじゅうが一致しているのです。結婚式や葬式もお互いの食べ物や衣装を貸しあう、そして、何週間後には、手伝いありがとうパーティーをするとか、とにかく、和やかに、喧嘩は全く無く、全員が家族のように暮らしているという。私には、とても我慢できない世界ですが、なんとなく、ずっと昔の日本の山村のに似ているような気がして懐かしい。田んぼのあぜ道も何十年振りかに両手を広げてバランスを取りながら歩いた。

 白川郷のミニ版といったところか、こちらの方が大分知恵が遅れていて、何もしない、何も進化を望まないという風である。欧米人にこのまれそうな場所である。

 

 場所的にはパパンダヤンからか知らないが、有史以前に流れた幾筋かの溶岩流が在り、それぞれの尾根に主要道路あり、谷間の底に川が流れ、集落が続いている、その中の一つがカンプンナガである。向こうの尾根とこちらの尾根に挟まれた谷間のそこの川に向かって広大な棚田の景色が素晴らしい。何キロも続く。インドネシアらしい風景である。この棚田で二期作、三期昨をするのですから、日本の棚田の風景などは規模的に100分の1も無い貧弱なもので、市場開放をしないというのは全くナンセンスです。話は別の方向へ行ってしまうが、全く太刀打ちできない物を太刀打ちできるようにと補助をするのはどんなものか、永久に自立が出来ないとわかっていて、金を注ぎこむのは如何なものか。

 パンガンダランの海岸風景、遠浅ということが見とれる。半島方向と反対側、数え切れない人人、海で泳いでいる人は一人もいない。バリや日本の海水浴場とは雰囲気が全然違う。水着を着ている人は一人もいない。万が一、水着の人にあったらそれはインドネシア人ではありません。ビキニはジャカルタ辺りで売っていることは売っていますが、来ている人を見たことが無い。

 

  

ドイツから娘と孫たちが日本に来ている二か月半ほど静岡にいるらしいが、早く日本へ帰りたい。三月中旬過ぎには帰れそうだ。二週間ほど、一緒にいることが出来る。

 

 棚田 原始 自給

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(^_-)-☆ジャカルタちらり

2011-02-03 22:34:59 | 考え

    どうしてもグロドック出なければ手に入らないもので、どうしても近日中に使わなければ新製品の成形が出来ない部品があって、それを、求めに北回りでグロドックへ行ってきた。目的は達成した。

10:00前にMM2100から出発したが、例によってジャカルタへ入る前から渋滞にはまって、チャワンからアンチョールへ向かった。プロガドン出口、スンタール出口アンチョール出口、どこまで行っても渋滞、のろのろ運転、反対車線はどうか、こちらより、もっとひどい渋滞のようだった。12:30にやっと到着した。

帰りは、きた時の帰りの道の渋滞ぶりを見てしまったので、ジャカルタの中心を通ることにした。ガジャマダ、タムリン、スディルマン、とにかく、ずっと渋滞、ひどいものである。特に、イスタナプレジデントの手前付近から、インドネシア銀行辺りまでは、車線が広い割に渋滞がきつい。マンダリンオリエンタルホテルを過ぎてから、6車線から3車線に変わるので、ここもすごい競り合いである。スディルマンさんが指をさして北の空を見ているが、排気ガスで気の毒である。

 スマンギからガトゥットゥスブロトへ左折して、ジャラントールへ入るのだが、ここもいつもの通り大混雑、右から来て左に入りスディルマン通りに降りようとする車と、私のようにスディルマンから上がってきた車と交錯する。クラクションが鳴りやまない。

それでも、強引に使っていないはずの中央のバスレーンへ入って高速の入口に近づいたらクローズされていて、次の入口から入れという指示だった。そのまま、バスレーンを走って行ったら、トランスジャカルタのバス停から大勢の人が覗いて外を見ていた。そこで、始めて、今、バスレーンは使われているのだと、知った。それでも、直ぐ出てしまうわけにはいかないので、そのまま走って高速道路に入ってしまった。いつからでしょうか、今年初めからでしょうか、完成して二年以上使われなくて、かなり、壊れていた構造物がいつの間にか直されて、使われているのでした。そこで、渋滞が以前にもましてひどくなったのでしょう。

高速へ入ってもずっと渋滞で、やっと,解消したのが、ポンドックグデティムールでティケットを受け取ってからでした。そこから順調でMM2100へ着いたのが16:00を回っていた。逆にジャカルタ方面への道はブカシバラット付近の事故で、殆ど動いていなかった。いつもの通り、ジャカルタへ住んでいる日本人は忍耐です。もっとも自分が運転するわけではないから、寝ていればいいのだが。

ということで、ますます、限りなく渋滞がひどくなっているジャカルタでした。

ホテルケンピンスキーとジャカルタショッピングセンター、いずれも、私には縁が無い建物です。
渋滞 大都会 厄介

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(^_-)-☆お手盛りを振り出しに

2011-01-31 23:02:44 | 考え

    事業仕分けは、不必要な事業や省庁で重なっている事業を廃止するか統合するなどして無駄を省くことらしいが、そんなことは当り前。それぞれの人件費を一般の会社並みに厳しく査定し、契約公務員を採用し、人件費を徹底的に少なくする。民間がやっていることとい同じ努力をするべきです。とにかく、公務員は甘やかされ過ぎている。国民が公務員にはなりたくないと思わされるほど、厳しい雇用条件にしてみたらどうでしょうか。そのくらいのことで公務員の仕事の質は、逆に今より高くなること請け合いです。民間を規制したり、邪魔をしたりする仕事を高級取りが威張ってやっていては、日本の再維新にはならない。

 公務員に関しは退職金や年金についても、抜本的に今の制度と金額を御破算にしてから、ゼロスタートでやりなおしたらいい。国民誰もが反対しない。公務員がストライキをするなら、させておけばいい。いくらでも変わりに仕事をする契約社員を雇うことが出来る。そして、彼らでなくても、彼らがしている仕事は出来るということを証明したらいいのです。

 

 外国で、ボランティア的仕事をしているので、報酬は無いに等しい、それでも、やりがいや、充実感は十分ある。ですから、前にも書いているが、国とか地方とかの行政に頼ることは無い。ずっと、頼ったことは無い。逆に、税金を払うことや各種許可をとるとか望まない義務を押しつけられて、私がすることに対し、足を引っ張られたことが多かった。それが無ければ、もっと自由に、私が望むことを出来たと思うし、今よりもっと多くの他の人たちに手助けができたはずである。

 

 日本には制度としてまだ充実していないが、寄付制度を免税という方法で充実すべきだと思う。タイガーマスク現象は良い例だと思う。日本も捨てたものではないと思う。こういう気持ちを、政治家や行政は自分たちが予算の配分の権利を握る範囲を小さくしてでも、育てるという、気持ちの余裕が欲しい。

 

諫早の水門干拓事業などは、最初からなにもすべきで無かった。そこの、様々な欲がからんで、予算の分捕りと配分で人間を狂わせてしまった。同じようが現象があちこちにある。全て、無かった時に戻せばいい、出来ないところは出来るだけでいい。どうしようもないところはそこで止めればいい。反対と賛成が争うに決まっている。争いが決着するまで、行政は黙って見ていればいい。仕事は少なくなるし、行政の担当者もいらなくなり、減らせるし、契約や派遣で済ませる。良いことずくめである。予算を与える必要は全くない。文句をいうのは、お金の配分を欲しかった人だけである。そういう人は、前にも書いたが、税金を払っていない。

 

 今日の風景 寄付 意思 欲張り

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