なんて、大仰なタイトルをつけましたが、24年前の4月17日はわたしが二度と日本に住むことはないと決意してパリに旅立った日ってだけですぅ~。
女に二言はあるので、あっさり戻ってきたわけですが、今も4月17日が訪れるたびにあの日を懐かしく愛おしく思い出します。
若かったなあ。でも、希望に充ち満ちていたよなあ。怖いもの知らずで。いくつもの乗り継ぎ便も、安けりゃいいわで、苦にもしていませんでした。
無謀なあの日々があるから今の私があるんだなあ。
そう思うと、思わず合掌したくなるのでした。
誰に? すべてのことに。国外脱出へと私を導いた京都の田舎の閉塞感に。胃に穴をあけてまで送り出してくれた母と父に。
初心に帰る日です。今の私は自分ひとりの力であるんじゃないんだよ。いろんな巡り合わせといろんな人の支えがあってこそ。
謙虚になる日です。自分ひとりの記念日です。アーメン。
ちょうど1年ぶりに浅草。
ん?一年ぶりってことはないな。半年ぶりか。
相変わらず外国語しか聞こえてこない仲見世界隈でしたが、日本人修学旅行生も浅草で外国に来た気分を味わえるとはお得なようなそうでないような不思議な体験をしていることでしょう。
大衆演劇熱にうかされていた時代はひとりで出かける浅草でしたが、今では絶対、隣にはフランス人がいる。案内でなければ行かないもの。
フランス人はお店の人にも評判がいいので、「フランスからいらっしゃってるんです~」と声高にアピールします。
本日のゲストのフランス人女性マリーは着物の端切れをスカーフにしたいというので、ちょっとそれらしき店をみてみると、端切れどころか帯揚げというぴったりのアイテムがあるではないですか。
で、帯揚げという言葉に慣れていないわたしは、店をのぞくたびに「帯揚げはありますか?」と聞くところを「揚げ帯はありますか?」なんて言っちゃって、なんやねん、揚げ帯って揚げ海老みたいやん、と自分につっこみをいれてましたわ。
もっと伝統的アイテムを勉強しなきゃだめだわ。
遅いランチは回転寿司! びっくりマークをいれるほどのことではないですが、まあ、回転寿司もフランス人としか行かないので、こちらも興味津々で、この黄色のお皿はいくらやねん?この豪華っぽいお皿は高そうやなあ、とほとんど異文化体験ですよ。
マリーに「これは何?ケスクセ?」と聞かれても、即答できない不明のネタも多く、お店の人にきいて「ニホタテです」と返されても、何?ニホタテって?と絶句してしまうしかない。「なんですか、それ?」「煮たホタテです」ああ~と大げさにガッテンして、その場をつくろう・・・のでした。
その後、神保町に移って、江戸時代のイラスト入りの古書を扱う本屋さん。「なんかもうちょっと芸者とかの絵がのっている本がないのかしら?」という彼女の質問を拡大解釈して、「あのー、こういうタイプの本で春画ぽいのはないですか?」とたずねると、真面目そうなご主人、表情ひとつ変えず「ありません」とひとこと。ちょっとまず~い雰囲気が流れましたので、「あ~、このお店では扱ってらっしゃらないんですね」とフォローにならないフォローを・・。
そうかそうか、そういうたぐいのものは扱わないという自負があるのだ。すんません、恥知らずの同胞で。
その後、ギャラリー白い点で本日より開催の書家・石川九楊氏の個展へ。マリーも同じく墨と筆で絵を描くアーチストなので、在廊されていた氏とほとんどインタビューのような流れになり、やや冷や汗・・。
「この作品は鈴虫です」と氏がご説明されたのをそのまま「ほら、鳴く虫、le grillon(=コオロギ)よ」と訳したら、「なんで、鈴虫なんですか?」と返されたので、そのままオウム返しのように訳したら、氏とギャラリーのマダム、ちょっと驚いたように「源氏のね・・」。
源氏物語の鈴虫の帖ですか! もう、冷や汗、無教養まるだし。ボロがでないうちに早くインタビューを終わりにしたかったよ~。
というわけで、学びは至る所に転がってます。はい、精進します。
Skype でパリのジュヌヴィエーヴと交信。彼女のパソコンはカメラもついているので、くるくると表情を変える彼女をクローズアップでみながら話ができる。
「これは馬顔~、次は天文学者のおでこ~」
なんて、わざと百面相してくれるんで、もう、げらげら笑っちゃったよ。むこうは自分の顔もモニターで見られるらしいね、自分でコントロールできるのなら面白いかもね。
わたしはこのカメラ機能に関しては実はレジスタンスしてます・・。
だって夜はひどい顔してるじゃない、いくら友だちでも見せたくないじゃない・・。でもジュヌヴィエーヴは子供が病気で寝てないらしく、すっぴんの疲れた顔だったんだけど、それでも見せてくれるのね。そうなれば、こちらも答えたい気分になる。裸のつきあい、ならぬ、すっぴんのつきあいをしてこそ、女友だちかも。
う~ん、考えてみるわ。
明日は彼女の息子もカメラの前に登場してくれるらしい。またゲラ子になりそうだわ。
さてさて、久しぶりの雨音を聴きながら・・おやすみなさい。
銀座のエルメスのLe Studioにて、フランス人の綱渡り師フィリップ・プティをフィーチャーしたドキュメンタリー『マン・オン・ワイヤー/Man on wire』(監督:ジェームズ・マーシュ/2008年/英国)を観る。
Le Studio ではエルメスの年間テーマに沿った映画がセレクトされており(今年のテーマは「美しき逃避行/L'échappée belle」)、めったに劇場では観られない貴重な作品が上映されているので、時間の許す限り足を運ぶことにしているのですが、今回の『マン・オン・ワイヤー』はかなり盛況の様子で、とうとう最終上映日の土曜の朝しか予約がとれず、ぎりぎりセーフで観たあ!という感じです。
アメリカを拠点に活躍するプティは当地では超人気者ですが、どうやら現代のフランスではほぼ無名の存在。1974年にニューヨークのワールドトレードセンター(そう、9.11の現場)のツィンタワーの屋上に鋼(はがね)のワイヤーを渡して(高度450m)、45分のあいだワイヤーを8回も往復した人です! しかも、これ、屋上に不法侵入してゲリラ的に敢行。
むろんプティひとりで敢行できるものではない。
彼の計画を知った友人たちは「無謀だ、不可能だ」と恐れおののきながらも、プティを危険な目にあわすわけにはいかない、と強盗計画さながらの周到な準備とワイヤー設営に協力する。その過程を再現映像や当時のアーカイブ映像、共謀者となった友人たちの証言インタビューなどをまじえて描いていて、目の離せない面白さ!
現在のプティも登場するのですが、30数年前とまるで変わらず不思議な空気感を漂わせた人物です。そうね、ちょっとジャン=ルイ・バローに似ている。バローは、映画『天井桟敷の人々』でパントマイム師バティスト役が有名ですが、どこか俗世間から逸脱して浮遊している雰囲気をもった人でしたよね。そして、どこかもの悲しさを湛えている。プティはアメリカでは何冊も著書があり、社会的に認知されたアーティストですが、母国フランスに関してはそっぽを向かれているようなところがあり、そのことが彼の心に暗い影を落としているとまでは言わないまでも、彼の一見、天衣無縫な生き方に詩的な陰影を加えている気がします。
少なくともハタから見ればね。
というわけで、久々に映画を観て外に出ると、週末の銀座は歩行天(ほこてん)。このまま地下に潜るのは惜しいので、銀座4丁目角のカフェのテラスでしばしピープルウォッチング(もうショッピングするお金ないんだもん。こないだカードの限度額が知らぬまに越えていてエラーが出たのに仰天。人生初めての消費月間だったのよ、この引っ越し騒ぎ)。
初夏のパリのカフェテラスは最高に幸せになれる場所ですが、ここ銀座一等地のカフェテラスもなかなかよろしいわ、早速、好きな場所リストに加えた次第です。
そうなのです。
今年はこれといったお花見にはどこにも行かず。
ここだけの話、お花見の宴が大の苦手・・。だってお酒飲まないんだもん。桜を見上げながら地べたに座ってご飯食べるったって、半時間もすれば飽きてくる。昼なら日焼けを気にし、夜は寒さに震える、ってのが私の場合は相場です。
この10年、目黒から世田谷にのびる呑川(のみかわ)緑道の桜並木の下を自転車で駆け抜けるのが私の花見。夜は八雲商店街提供の提灯が怪しげな灯火をゆらめかせているし、それはそれでなかなか風情があるのですよ。
でも今年は、アパートのバルコニーから花見だ!
白いポールは電柱ですが、左下の白いのはうちのバルコニーの欄干です。
で、バルコニーの右手に見えるのが八重桜。
もちろん私の庭やないです。大家さんのお庭の桜ですが、お得な借景でっしゃろ!
さらに右手には、枇杷の木が初々しい葉を伸ばしていて、まあ、枇杷の木を上から眺めたことなど今の今までありませんでしたが、濃い緑と青白い新葉とのグラデーションが非常に美しいものです(写真撮り忘れた、かんにん)。
というわけで、今年からお花見はうちで十分! あては、近所のケーキ屋さんのショコラ・フィレンツェ(ピスタッチオのクリームムースにチョコムース、底にさくさくのチョコパイ)と熱いミルクティーどした。じゅうぶんやん!