じいちゃんが死んだ。
今朝5時20分。81歳。
ずっと長期入院していたので、「ついに」という感じ。
そんでもって俺は普段と変わりなく仕事をしている。
最近俺は全ての事象をoverjoyの状態にもっていこうとしているが、これはどう心的処理しよう。難しい。今のところは気持ちが宙ぶらりんになっている。仕事という社会的役割に引っかかっているからだろう(引っかかっている、というのが一番しっくりくる表現だ)。とりあえず、今週末の予定は全部キャンセル、来週の渚も行けない。これでは多分overjoyは保てないのではないだろうか。家族の死というのが、今後直に俺の精神状態に影響してくるかもしれない。
そんなふうに、今はものすごく客観的にこの事態を見つめている。
こんな時でも、俺は大江の作品の一幕を思い起こしてしまう。
大江の実父が、大江がまだ幼少の時に突然死したとき。当時の大江は、死んだウサギの、限りなく澄んだ目を見たことがある経験から、実父の目がそのウサギと同じ目をしていたため「父はもう助からない。死んだウサギの目と同じ目をしているから」と悟り、またそのように周りの大人に発言もした。ウサギの死と肉親の死を同等視したことについて、大江は激怒された上、思考に障害があるのではないか、とも判断されたのだが…。
死は絶対的に存在する。そこに「ある」。生よりも実存的だ。
はは。俺はバカか。
今朝5時20分。81歳。
ずっと長期入院していたので、「ついに」という感じ。
そんでもって俺は普段と変わりなく仕事をしている。
最近俺は全ての事象をoverjoyの状態にもっていこうとしているが、これはどう心的処理しよう。難しい。今のところは気持ちが宙ぶらりんになっている。仕事という社会的役割に引っかかっているからだろう(引っかかっている、というのが一番しっくりくる表現だ)。とりあえず、今週末の予定は全部キャンセル、来週の渚も行けない。これでは多分overjoyは保てないのではないだろうか。家族の死というのが、今後直に俺の精神状態に影響してくるかもしれない。
そんなふうに、今はものすごく客観的にこの事態を見つめている。
こんな時でも、俺は大江の作品の一幕を思い起こしてしまう。
大江の実父が、大江がまだ幼少の時に突然死したとき。当時の大江は、死んだウサギの、限りなく澄んだ目を見たことがある経験から、実父の目がそのウサギと同じ目をしていたため「父はもう助からない。死んだウサギの目と同じ目をしているから」と悟り、またそのように周りの大人に発言もした。ウサギの死と肉親の死を同等視したことについて、大江は激怒された上、思考に障害があるのではないか、とも判断されたのだが…。
死は絶対的に存在する。そこに「ある」。生よりも実存的だ。
はは。俺はバカか。
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