高校入試と違い、大学入試、特に私立大学や国公立二次試験は範囲があってないようなもの。受験生たちは日々勉強していてもゴールに近づいているという実感がないまま、不安な状態で受験生活を送っています。
だからこそ、自分のやったことが成果として目に見えると、気持ちが落ち着くのです。その典型が模試の結果でしょう。しかし、勉強した分がすぐに模試の成績に反映されるかというと、範囲が広く奥深い分、なかなか難しいです。そこで私は、「努力を可視化せよ」と受験生にアドバイスします。「努力の可視化」とは、参考書を絞り、それらに情報を集約しながら取り組む中で、汚していくことを意味します。
一昨日の高3生対象の英語の授業では、私が大学受験の時に実際に使用した『試験にでる英単語』と『新英和中辞典』を見せながら、「努力の可視化」の重要性を説きました。
単語帳は基本の一冊となるものを徹底的に繰り返します。発音、意味(多義語の場合でも一つの意味でOK)、綴りの優先順位で何回も声に出しながら繰り返す。覚えられないものはノートに書きまくるなどして、五感を総動員して覚えます。繰り返しているうちに、派生語も気になりはじめますので、それらも回数を重ねながら覚えていきます。それでも、模試や過去問ではその単語帳に載っていないものが出てきます。カード化するのも一手ですが、面倒な場合もありますので、私は表紙や中表紙にサインペンでどんどんと書き込み、オリジナルの単語帳に仕上げていきました。
こうやって参考書が汚れてボロボロになると、自分の中に自信が生まれてきます。「自分はやっているんだ」と。この自信が、勉強への励みになり、さらに頑張ろうという気持ちを駆り立ててくれました。
「参考書は綺麗に使いましょう」という考え方の指導者も少なからずいらっしゃいます。でも私の場合、そんなスマートなやり方は性分に合っていません。だって、使い込んでボロボロになった参考書を持っている人が、受験会場で隣の席に座ったらどう感じますか?「こいつ、受かるな」って思いますよね。そう思った時点で受験結果は出たも同然です。勉強や受験は確かに自分との闘いかもしれません。しかし、大学には定員があるわけで、他の受験生との競争が避けられないのは事実なのです。
合格へ向けて、いかに自分をプラス思考へ切り替えることが出来るか。そのためには、努力の可視化こそ最も有効な術なのです。
だからこそ、自分のやったことが成果として目に見えると、気持ちが落ち着くのです。その典型が模試の結果でしょう。しかし、勉強した分がすぐに模試の成績に反映されるかというと、範囲が広く奥深い分、なかなか難しいです。そこで私は、「努力を可視化せよ」と受験生にアドバイスします。「努力の可視化」とは、参考書を絞り、それらに情報を集約しながら取り組む中で、汚していくことを意味します。
一昨日の高3生対象の英語の授業では、私が大学受験の時に実際に使用した『試験にでる英単語』と『新英和中辞典』を見せながら、「努力の可視化」の重要性を説きました。
単語帳は基本の一冊となるものを徹底的に繰り返します。発音、意味(多義語の場合でも一つの意味でOK)、綴りの優先順位で何回も声に出しながら繰り返す。覚えられないものはノートに書きまくるなどして、五感を総動員して覚えます。繰り返しているうちに、派生語も気になりはじめますので、それらも回数を重ねながら覚えていきます。それでも、模試や過去問ではその単語帳に載っていないものが出てきます。カード化するのも一手ですが、面倒な場合もありますので、私は表紙や中表紙にサインペンでどんどんと書き込み、オリジナルの単語帳に仕上げていきました。
当時、電子辞書はありませんでしたから、私は引いた単語すべてに赤鉛筆で線を引きました。表紙もとれてしまい、大学に合格したころにはボロボロになっていました。ちなみにこの辞書は三代目です(笑)。そのくらい、辞書を引きまくっていました。
こうやって参考書が汚れてボロボロになると、自分の中に自信が生まれてきます。「自分はやっているんだ」と。この自信が、勉強への励みになり、さらに頑張ろうという気持ちを駆り立ててくれました。
「参考書は綺麗に使いましょう」という考え方の指導者も少なからずいらっしゃいます。でも私の場合、そんなスマートなやり方は性分に合っていません。だって、使い込んでボロボロになった参考書を持っている人が、受験会場で隣の席に座ったらどう感じますか?「こいつ、受かるな」って思いますよね。そう思った時点で受験結果は出たも同然です。勉強や受験は確かに自分との闘いかもしれません。しかし、大学には定員があるわけで、他の受験生との競争が避けられないのは事実なのです。
合格へ向けて、いかに自分をプラス思考へ切り替えることが出来るか。そのためには、努力の可視化こそ最も有効な術なのです。