今日は思い出の英文を紹介します。
時は銀行に就職して2年目の1997年11月。既にこの時、金融という仕事に魅力を感じなくなっていました。
自分の将来について迷い始めていた時期。何らかのきっかけや答えを探すために、1週間の長期休暇を使って、マレーシアに一人旅に出ました。
マレーシアは、卒業旅行の時マレー鉄道を使ってバックパッカーとして放浪し、お気に入りの国でした。
2度目のマレーシアとなるこの時は、マレー半島東部の街 Kuantan に滞在しました。Sungai Kuantan(クアンタン川)やSultan Ahmad 1 Mosque(スルタン・アフマド1世モスク)で、今とこれからの自分について考えながら、無為な時間を過ごしました。
そして、ホテルの部屋に帰ってマレーシアの英語日刊紙「Sun」に目を通している時に、読者の投稿コラムに目が留まりました。その記事を読んでいるうちに、「こういう文章を使って英語を教えたいなー」と思ったのです。
「いつの日か英語を教える日が来るかもしれない」と漠然に思い、その新聞コラムを日本まで持ち帰り、今日まで保存していた次第です。
銀行員としての自分の将来に疑念を抱き、そして自分の中に‘英語を教えたい’という気持ちが芽生え始めた時期に出会ったこの英文は、私の英語人生においてはとても大きな意味を持つものなのです。あれから既に10年の月日が経っているとは・・・。
因みに、マレーシアから帰国すると、山一證券が潰れるという衝撃的なニュースが日本中を席巻していました。
時は銀行に就職して2年目の1997年11月。既にこの時、金融という仕事に魅力を感じなくなっていました。
自分の将来について迷い始めていた時期。何らかのきっかけや答えを探すために、1週間の長期休暇を使って、マレーシアに一人旅に出ました。
マレーシアは、卒業旅行の時マレー鉄道を使ってバックパッカーとして放浪し、お気に入りの国でした。
2度目のマレーシアとなるこの時は、マレー半島東部の街 Kuantan に滞在しました。Sungai Kuantan(クアンタン川)やSultan Ahmad 1 Mosque(スルタン・アフマド1世モスク)で、今とこれからの自分について考えながら、無為な時間を過ごしました。
そして、ホテルの部屋に帰ってマレーシアの英語日刊紙「Sun」に目を通している時に、読者の投稿コラムに目が留まりました。その記事を読んでいるうちに、「こういう文章を使って英語を教えたいなー」と思ったのです。
「いつの日か英語を教える日が来るかもしれない」と漠然に思い、その新聞コラムを日本まで持ち帰り、今日まで保存していた次第です。
Philip Wongさんが投稿したコラム
銀行員としての自分の将来に疑念を抱き、そして自分の中に‘英語を教えたい’という気持ちが芽生え始めた時期に出会ったこの英文は、私の英語人生においてはとても大きな意味を持つものなのです。あれから既に10年の月日が経っているとは・・・。
因みに、マレーシアから帰国すると、山一證券が潰れるという衝撃的なニュースが日本中を席巻していました。