Fun with NATURE

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まっちゃの環境、自然、あそびの広場

プレイパークその2

2010-05-24 | 子ども


先週の金曜日に「しが冒険遊び場づくり講演会」へ。
講師は、天野秀昭さん(日本冒険遊び場づくり協会)。

先月は京都でプレイパーク交流会で発表させてもらい、今月は講演会を聞きにと、プレイパークが盛り上がりつつあるかと。

プレイパークや遊びだけに留まらず、子どもの本質や自由、子どもが育つこと、大人がどのように関わるかを考える良い機会でした。
来月からチャレンジキッズが環境レイカーズではじめますが、子どもたちの遊びを中心に、やりたい!、挑戦したい!をつくっていきます。

講演のメモ

・プレイパーク、現在東京に35箇所。都会には遊び場がない、では田舎はどうかと言うと、子どもが遊んでいない。田舎の風景は同じだが、子どもが遊んでいないということは、自然があれば子どもが遊ぶというわけではない。
・危険は子どもが見えるようにしておく。子どもが判断できる。
・遊具の構造が子どもを選ぶようにする。遊具の力量は子ども自身が計る。
・火の遊び。(料理、風呂、鋳物づくり、鍛造)
・破壊できること=子どもの遊びの自由度 でもある。
・子ども商店街での、お金のやりとりで工夫が広がる。
・子どもがやりたい遊び≠子どもにさせたい遊び
・問題はどちらか?「子どもが遊べない」か、「子どもが遊べる場がない」子どもを問題とするか、環境を何とかしようとするか。
・やったことがないことを、自ら広げようとするから危ない。それこそが、子ども自ら育とうとしていること。
・危ない、汚い、うるさい、これが遊びそのもの。大人の社会はそれらを排除しようとする。すなわち子どもの遊びや子どもそのものを排除しようとしている社会である。逆に許容する社会が必要。
・遊びは子どもがやってみたいと思うもの。大人は形にこだわってしまう。やってみたいとする動機は内側からしか起こらない。
・主語の違い。教育とは大人が教え育てる。遊育は子どもが遊び育つ。「子どもが」という主語に価値を置いているかどうか。
・「責任をとる」というのは社会システム上である。子どもたちは責任を負うことを知っている。自分の責任で自由に遊ぶのではなく、自由に遊ぶから責任を痛感する。
・チャレンジは、危険を嗅ぎ分けられる力をつける機会である。

PHOTO:ベランダにやってきたコメツキムシでした

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