矢を撃てば的に当たります(上手なら)
でも、”永遠に当たらない”ゼノンのパラドックスがあります
”運動”をアニメ、フィルムのように時空(点)の連続と混同したからでしょうか(知ったカブーです、スミマセン)
死んだら世界は終わります(彼岸のことはわかりませんが)
五感で感じ学んで自分の中(脳)で構築したものが世界のすべて(主観)
ですから環境、状況によって好き嫌い、善し悪し等価値観ができて当然
そして命の数だけ世界はあり、死んだら各々終わるのかなと
同時に死んでも世界は終わりません(死後の世界は知りません)
たぶん今死んでも、明日も日が昇って誰かがコーヒーを飲んでることでしょう
また、骸は炭素、窒素、水素等に分解、やがて他のとくっついて”何か”になる
こうしたサイクルを繰り返す法則という客観に則って、世界は存続していくのかと
終わりだけど終わりじゃない
言葉にすると矛盾しているようですが、別に当たり前のことで
・・・ただ
”真理”という法則(客観)を顕す筈の内容を
道徳や感傷といった主観を含んだモノで語るのは
パラドックスに陥るのではないかと
でも、”永遠に当たらない”ゼノンのパラドックスがあります
”運動”をアニメ、フィルムのように時空(点)の連続と混同したからでしょうか(知ったカブーです、スミマセン)
死んだら世界は終わります(彼岸のことはわかりませんが)
五感で感じ学んで自分の中(脳)で構築したものが世界のすべて(主観)
ですから環境、状況によって好き嫌い、善し悪し等価値観ができて当然
そして命の数だけ世界はあり、死んだら各々終わるのかなと
同時に死んでも世界は終わりません(死後の世界は知りません)
たぶん今死んでも、明日も日が昇って誰かがコーヒーを飲んでることでしょう
また、骸は炭素、窒素、水素等に分解、やがて他のとくっついて”何か”になる
こうしたサイクルを繰り返す法則という客観に則って、世界は存続していくのかと
終わりだけど終わりじゃない
言葉にすると矛盾しているようですが、別に当たり前のことで
・・・ただ
”真理”という法則(客観)を顕す筈の内容を
道徳や感傷といった主観を含んだモノで語るのは
パラドックスに陥るのではないかと