十勝岳の標高1,000mの地点に登山のベースともなっている「白銀荘」(吹上温泉)があり、隣接するキャンプ場の目立たない場所に古い句碑が建っている。
2020年8月の十勝岳自転車登山でキャンプした時に見つけた。
当時、資料を読んで、俳人長谷川零餘子(むかご)が冬の「吹上温泉」まで馬橇で登った時に詠んだ一句であることを知った。
- 鬼欅の中の温泉に来ぬ橇の旅
長谷川零餘子 -
再度、資料を読んでみた。
零餘子は群馬県に生まれ、苦学して東京帝大で薬学を学ぶが俳句界でも頭角を現わしていた。
卒業後、一年にも満たない時期に高浜虚子から「二兎を追うものは一兎を得ず」の意味を教えられ、俳句の道に生きることを決心する。
俳句のことは知らないが、零餘子は「物はみな立体の分子で成り立っているが人間の眼は不完全で物は立体に見えない。それ故、物を心眼で見なければならぬ。」と『立体俳句』を提唱した。
理論的にものごとを考える理系の人柄を感じる。
後に写実の「ホトトギス」と対抗する俳誌「枯野」を創刊主宰し、大正時代から昭和初期の日本、そして北海道の俳句界に多大の影響と足跡を残したとある。
零餘子は冬の北海道を馬橇で旅をしたかったらしいが想像するような牧歌的なものではなく、上富良野駅から猛吹雪の中、12時間をかけて夜中の11時にやっと吹上温泉に辿り着いている。
馬橇の馭者の述懐によれば、猛吹雪の中、馬も体からもうもうと汗を出し、十メートル進んでは休み、又進むというまさに〝難行苦行〟だったらしい。
あの坂を・・・。
俳壇関係者は北海道の冬の大自然の景観を味う事ができるのは十勝岳と思いついたらしいが、吹雪の十勝岳を登る零餘子一行と馬の姿に困難な道を拓き進む姿が溢れている。
句碑は、十勝岳を霊山にしようと数々の努力と苦労を重ていて、零餘子の馬橇登山を思いついた旭川の聞信寺先代住職によって大正13年に建立された。
永年の風雪でいつのまにか倒れ土砂の中に埋もれ、終戦後も町民や俳人からも忘れ去られていたが、昭和四十二年に上富良野町と上富良野町観光協会によって鮮やかに蘇がえったとある。
先日、十勝岳の「吹上温泉」から降りてきて2022年の自転車旅はひとまず終わった。
標高1,000m、19Kmを登りは4時間20分、下りはあっという間の30分だ。
今、零餘子の資料を再度読み返して、「吹上温泉」の物語のひとつが余韻として残った。
「喰うものに パン二つあり 橇の旅」という句もある。
次はいつか。
《2020年8月撮影》
上の浴槽は源泉が流れ込み、沢水は殆ど入れないので48℃。熱いと言うより痛い。
透明で油のような質感がある。
下は温度調整している。
自然に抱かれ、脱衣場も無く混浴という露天風呂の原型がある。
将来、冬に訪ねてみたくなった。