楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

ウクライナ戦争報道

2022年04月20日 | 日記

ウクライナ戦争でロシア軍は南東部のマリウポリに総攻撃をかけ、多数の民間人の遺体が見つかった首都キーウ郊外のブチャよりも厳しい状況になる恐れがあるという。

これからさらに凄惨な戦いの状況を目の当たりにすると思うと胸が息苦しくなる。

 

ニュースショーの戦闘シーンなどで「日本語による吹き替え」が行われるTV局が気になっている。

言葉は心の奥底からの感情の発露でもあると思う。

吹き替えは目の見えない人への配慮があるのかもしれないが、ではニュース番組が全てがそのようになっているのだろうか。難しい問題ではあるが。

 

こんな言い方は失礼かもしれないが、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人々の代弁方法として、安っぽい吹き替えは当事者の怒り、悲しみ、訴えを伝えるうえで適当でないのではないか。

それは吹き替えしている人の感情に過ぎないと思う。

 

母国語で必死に訴えている姿には字幕ーパーが相応しい。

時には吹き替えがドラマかゲームでもやっているような間違った感覚を引き起こし、現実に起きている戦争の悲劇を伝える力を失うな気がするからだ。

 

もうひとつ。番組で外交、軍事の専門家を「お客さま」と紹介する局がある。

「加わっていただく」「解説をお願いする」ではないかと思いながら観ている。

これはウクライナ戦争に限ったことではないが。