楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

北海50号

2020年07月11日 | 日記

 

午前6時過ぎ、朝のポタリングの時に夫婦で馬鈴薯の早堀り作業の準備をしている姿を見かけた。午前6時過ぎ。農作業支援は8:00から17:00までだけれど、農家の人はその前後も働いている。生業とはいえ農作業のキツさを体験して頭が下がる思いがする。

いつもの漁川の河川敷道路を下流に走って折り返しで再びその畑の傍を通ると二人で収獲カゴに腰掛けて朝食中だった。なんだか微笑ましい。河川道路の上から声を掛けた。

「ご苦労さんです。この二日間、イモ拾いやってましたよ~! 脚、シビレました! 笑」

「暑かったしょ。大変だったね。今日は?」

「私は休みです。これから手伝いの人が来るのですか?」

「土曜、日曜は家庭サービスの人もいるからなかなか集まらないのさ。今日は二人でやるよ。」

「頑張って下さ~い!」

「有り難う!」

 

こんな会話をして別れた。

この時期、本州の馬鈴薯は品薄で北海道の早生種が価格も良く、これから出荷が本格化するという。作付けされているのは『北海50号』だ。

調べてみると、昭和37年に恵庭の島松地区にあった国の試験場で造成されている。品種登録はならなかったが恵庭や道南の共和町などで独自に栽培が続けられ、平成15年に「地域在来種」として増殖が認められたとある。

きっと地域の人にとって捨てがたい魅力があったのだろう。

作業支援に行っていた農家のKさんからキズはついているが立派な薯を貰った。大好きな玉葱と一緒の味噌汁にしてもらって食べた。母方に「男爵」が入っているのであの〝馬鈴薯らしい〟素朴な味がした。経営はさして大きくはないけれど多作物を組み合わせて頑張っている恵庭の農業の味がした。

馬鈴薯の増殖は種子ではなく、食用部分の塊茎を使うので効率は悪い。なおかつ「地域在来種」として純正な「種芋」を脈々と確保してきたのは農家の大変な熱意と努力がなければ出来ないことだ。

農作業に関わって学ぶこと、感じることが多々ある。

 

 

《キズがつかないよう手で拾う。そのケースが並べられていた。 2020.7.11  18:20》

 

 


マスクの次は自転車?

2020年07月08日 | 日記

新型コロナ感染防止のために、満員電車を避けて自転車を利用し始めた人が急増しているという。

ある専門メーカーでは街を走るのに適しているクロスバイクが在庫切れになったとか。マスクの次は自転車が品不足になっているようだ。水族館のイワシの大群よろしくワッと寄りつき同じ方向に流れる現象は日常につむじを作る。事故だ。

自転車は道路交通法で「軽車両」に区分され、キープレフトであることを知らない人が多い。ツーリングで「危ないから歩道を走って!」と親切に車の窓から注意してくれたオヤジさんがいたっけ。

左側通行は後ろから来る車が見えず不安なものだ。特にトラックのガーッという爆音が近づいてくると恐怖だ。細い道などでは知らず知らずか、右側を走っている自転車も多い。

右側を走れば確かに向かいから来る車は見えるが逆にそちらに気を取られて四つ角では右から来る車等が目に入らず接触事故が起きやすい。自転車事故の4割は“出会い頭”の衝突と言われている。

右側通行の台湾では自転車、オートバイがイワシの大群のように流れていた。つむじというより渦。巻き込まれるようで最初は恐ろしかったが数日走っていると流れが気持ちの良い日常になった。

コロナ禍で自転車が通勤ばかりでなく旅にも採り入れられて日本の自転車文化が育つ切っ掛けになればいいなと思う。つむじによるケアレス事故も随分減るだろう。

 

 

 


漁川で

2020年07月07日 | 日記

 

朝のポタリング(自転車散歩)で走る漁(イザリ)川はアイヌ語のイチャニichani(鮭の産卵場)が由来という。豊かな漁場だったのだろう。

恵庭岳の麓に端を発して、恵庭市域の北側を西から東に流れ、千歳川に合流している。

松浦武四郎の『西蝦夷日誌』には「イザリ」(鮭が卵を置との義)と記述されているそう。秋のポタリングでは数匹のサケの遡上を見ることが出来る。

 

昨日は朝の4時から魚釣りをしている家族に出会った。6時を過ぎていて丁度帰る頃だった。

15センチほどのヤマベが5~6匹釣れていた。「今夜は天麩羅。」と父親は満足そうに笑い、妹は「そろそろ帰りたい。」兄ちゃんは「もう少し!」という風景にホッコリした。

 

ニジマスが釣れることもあるという。自転車で10分ほどの所に自然がふんだんに残っている幸せを感じる。

 

 

 


球磨川氾濫で想い出したこと

2020年07月05日 | 日記

 《2016.4.6  指宿から開聞岳へ向かう海岸で  》

この週末は気温も上がりそうなので1~2泊程度のツーリングキャンプを考えていたが朝夕は肌寒くて中止。来週の農作業支援は早出しの馬鈴薯拾いが二日間あるので暫し延期としよう。

球磨川氾濫のニュースが流れている。以前、自転車旅で通過した所が多く、被害が少ないことを祈るばかりだ。最近は線状降水帯による猛烈な豪雨災害が多い。

思えば能登半島では台風に追いかけられて民宿に飛び込み、鹿児島の開聞岳山麓では日本一周中の若者と暴風雨が過ぎ去るまで二日間をキャンプ場の炊事場に張ったテントで過ごしたことがあった。

 《2013.10.9  能登半島山中で台風接近中、遂には追い越された》

 

 《2016.4.6  開聞岳山麓 暴風雨で二日間停滞》

 

《暴風雨一過、くっきりと開聞岳。桜はいわれているように簡単には散らない》

 

《2016.4.7  開聞岳山麓 若者達は“青森ねぶたまつり”を目指していた》

 
 
《2016.4.8  開聞岳→枕崎 鰹節加工場 濃霧と蒸気》
 
 
そして熊本ではあの大地震に遭遇した。幸いこの時は市内の頑丈な会館に宿泊していて難は逃れたが、夜通し震度4~5の揺れが数十回続き、生きた心地がしなかった。
 
朝、ロビーに降りると近所の人達が毛布にくるまって非難していた。TVニュースでとてつもない地震が起きたことを知った。鉄道、道路は全て不通。取り敢えず西鉄が動いている大牟田まで走り、福岡行き電車に乗った時の安堵感は忘れない。
 
今年は天候不順とコロナウイルス感染で記憶に残るシーズンになりそうだ。こうして静かにしている時間に改めて自然災害の恐ろしさを肝に銘じている。

 

 

 


2020農作業支援 -ブロッコリー収穫-

2020年07月04日 | 農作業ヘルパーの記

《さてと、収穫開始。2020.7.2 5:00》

 

近所の畑でブロッコリーの収穫が始まっている。JAから連絡があって、春の田植え手伝いから1ヵ月振りで二日間、農作業に出掛けた。

行った先は車で10分ほどのFさん。小麦、大豆とともにブロッコリーを1ヘクタールほど栽培している。まだ若いが近所の農家に苗を供給してきた草分けのような存在だ。

この時期、価格の良い本州向けとのことで、10アールくらいずつ出荷時期をずらして秋口まで続くという。刈り取りは午前5時から12時まで。午後には陸送される。

初めての早朝作業はまだ肌寒いが、朝露に濡れたブロッコリーの茎に特製包丁を入れるとパキッと爽やかな音がする。収穫ケースに交互に4個ずつ2列2段に積む。規格サイズでキッチリと納まる。

収穫は昨年も2回、経験したが規格サイズに再び目が慣れるまで少々時間を要した。Fさんから「ブロッコリーを切っても手を切らないでね。ゆっくりやって。」と注意喚起。

コロナ禍の影響で休業を余儀なくされた宿泊、観光などの業態から農作業に来ている人もいるらしいが、労働力不足の傾向に大きな変化はなく、出荷の適期を過ぎた大きめのものも目に付いた。

“昼カラ”でコロナウイルスが拡散されている。休憩時間に「暇だったら手伝いに来て欲しい(笑)。」と話題になった。

いつもながら日本の農産物の「流通規格」に疑問を感じる。味に変わりは無く、勿体ない。帰りに頂いたのを茹でたり、炒めたりして新鮮な甘みと柔らかさを堪能した。

 

 

 


ヨトク

2020年07月03日 | 日記

夕方、外出先から戻る車のラジオから道議会のニュースが流れていた。予算特別委員会の知事総括質疑が定刻より遅れてようやく開かれたとのことだった。通常1日が2日間になったが、理事者側の準備が間に合わず、なおかつ開会が遅れたということのようだ。

鈴木知事が答弁書の朗読をしていることに会派は分からなかったが質問者が「知事、紙を見ないと答弁できないのですか。涙が出ます。自分の言葉話して下さいよ。」という録音も。

どこかの国会と似てきたか。

予算特別委員会は国会と違って議会の都度、設置される特別委員会だ。知事総括質疑はそれまでの質疑で詰め切られていない知事の政治姿勢を質すもので、関係者の間では“ヨトク”と呼ばれ、普通は論点がかなり絞られたものが上がる。通常は各部1~2件くらいであり、知事も答弁書案を作る事務方も緊張するものだ。

コロナ対策予算で知事は議会を軽視していたように思う。緊急性を理由に、3月と4月のコロナ対策予算は本会議のみ。5月の補正予算に至っては議会に諮らず知事の専決処分、6月補正予算も議会招集日の6月16日の本会議のみで即日裁決している。これほど続くのはこれまであまり例が無いと思う。

流石の議員さん達もメンツ丸つぶれ。議会質疑を取り戻すべく、異例の2日間、200問ほどの質問を用意したものだから、事務方と調整が間に合わなかったらしい。

国に先駆けた法的根拠の無い「北海道緊急事態宣言」、現場置き去りの唐突な「学校一斉休校」など、鈴木知事は官邸ばりに功を焦っているようにも見える。腰を据えて道政に当たって欲しいものだ。

 

 

 

 

 

 


人間とウイルスの付き合い

2020年07月01日 | 日記

2020年2月11日にWHOが新型コロナウイルスの名称を「covid-19」に決定した。

Corona、Virus、Disease(病気)、見つかったのが2019年。

何故かマスコミ報道では殆ど使われない。“新型”がやはり目新しさがあるからだろうか。しかし、ウイルスと人間の付き合いは古い。

いつもステイホームの暮らしだが、学生時代を思い出しつつ、いくつかの書き物を読んでみた。

ウイルスがいたから人類は進化したのではないか、という仮説が興味深かった。ウイルスは遺伝子を持っているが自分でタンパク質を造れない。そこが〝生物でない〟所以だ。

なので人間などの宿主の細胞に侵入し、リボソームの力を借りてタンパク質を造る。つまり増殖する。その過程でどうやら宿主の遺伝子を獲得し、やがて別の宿主に持ち込む。

生物界とウイルス界では、そうしたことが〝水平的に〟繰り返されて宿主は本来持っていなかった遺伝子をウイルスを経由して獲得し、進化してきたというわけだ。因みに親子は“縦”の遺伝子移動になる。

ヒトのゲノムのおそらく3割はウイルス由来の遺伝子があるらしく、ある種の大型のウイルスには使われていないが本来持っていないリボソームを獲得したものが確認されているという。

こうして考えると、“ウイルスと戦う”という言葉が個人的にはしっくりこない。人間(宿主)とウイルスは共生し、いわばパートナーとも思えるからだ。

ウイルスは増殖し過ぎると宿主を殺してしまい自分も困る。そこの間合いのようなものがあるらしい。衝撃だった仮説は、「食べ物も環境も満ち足りているとその生物は増殖を続け、やがて生存競争により絶滅する憂き目に遭うが、ウイルスに感染することにより個体数が適当に保たれ、今日まで進化してきたのではないか。」というものだ。

このことは「covid-19」を若年層に症状が出にくく、高齢者が重症化するということに直ちに結びつけるほど単純なものではないとは思うが、人間にどのような作用を及ぼしたかはこの先数万年というスパンで考えることらしい。

さし当たって、感染拡大を抑えなくてはならない。経済を回さなくてはならない。高齢者を守らなくてはならない。

ウイルスの撲滅は無理なことは皆分かっている。何も「新しい生活様式」などと力まなくても、個々人の手洗い、マスク、顔を触らないで感染はかなり抑えられるという説に賛成である。