うっとうしいので暫く管内閣のTV報道は観ない。ラジオで十分。いやラジオが取材も評論も優れている。
何とも後味の悪い出来事だった。衆人注目の公党のトップを決める選挙で露骨な「村八分」を見せつけられた。ここまでやる
のか、ここまで長いものに巻かれてしまうのかと思うとこの先の管政治の息苦しさを感じる。
自民党は“逆らうものは邪魔”という排除の論理で出来ている集団であることが明確に世に晒された。そのことに管氏も自民党
も気づいていない。奢りが加速している。
あれこれ耳障りの良いことを言っても多様性を認めない政治集団だということだ。
8年近い長期政権の公的な業績について検証を始めようかという時に安倍氏はそれを感知したかのようにスルリと抜けた。
私的な数多のスキャンダルも管政権で覆い隠される。そのための総裁選挙だった。
手練手管は世の中の注目を組閣に集めておいて素知らぬ顔で陰の仕事をする官邸側近は変えない人事をしていることに現れている。
石破政権が生まれていれば霞が関も変わるチャンスがあっただろう。行政機関の毀損が一段と進む。優れた人材が去っているという。国民にとって大きな損失だ。
政権の交代でしかこの閉塞感を解消出来ないが、野党にそれを吹き飛ばす迫力が無い。名前も代表も変わらない新政党が二つ出来ても何のことか分からない。
国民民主党は鵼のようだったが、保守に純化してスッキリしたくらいか。立憲民主党は既存の政策をハイブリットに組み合わせることも一つの考え方だが、政権交代には国づくりの「骨格政策」を示すダイナミズムが無いとダメだ。
“富の再配分”のシステムづくりが基本ではないか。そのための抜本的な税制改革、社会保障政策としてのベーシックインカム
制度の導入、権限と予算を伴う地方主権国家の確立などなど打ち出さなければならないテーマは沢山あるのに何をやっている
のだろうか。
与野党とも微風も吹かず、「第三次安倍政権」の息苦しさが淀んでいる。