名古屋では深夜に放映される「探偵ナイトスクープ」と言う関西系の番組の中で、芸能人たち扮する探偵局員が「イチゴ味のカキ氷がトンネルに入るとメロン味に変化するか」調査して欲しいとの依頼を受けていた。果たしてイチゴ味のカキ氷が、全く味の異なるメロン味に変化するのか、その辺りに探りを入れるため、タレントの松村邦洋氏が現地に赴いた。最初はイチゴ味を感覚し続け、依頼者の証言=珍説を否定していた松村氏。次第に依頼者の主張する立場に傾いていった。分岐点はトンネルのライトに順応し始めたと思われる頃だ。
トンネルのライトを浴びている間だけは、カキ氷のピンク色が緑色に変化した事は間違いなさそうだった。もっとも、カメラを通して茶の間で映像を見る際には、カキ氷の色はもとの暖色系を呈していたのだが。先述したように、変化したのは見た目だけではなかった。時間の経過と共に依頼者の証言を否定していた松村氏が、依頼者と同じ説を唱えるようになっていった。「あっ、メロン味だ。」何度やってみても結果は同じだった。不服と言うよりも怪訝な松村氏。
追試実験が面白い。トマトやカキ氷ではない果物のイチゴで味の変化を体験するか調べてみようと言うのである。結果は意外であった。トマトや果物のイチゴの味は酸味を増して感覚されていた。もちろん色は肉眼には緑色に見えていたと言う。
ここでこの緑色と味覚との間に何らかの連合が成り立つのではないか、と科学的に考えた彼らは次なる実験を実施した。鼻の辺りに水平に布をあて、口から下の部分を見えないようにした状態で、緑色(メロン味)と赤色(イチゴ味)のカキ氷を提示して、口には3種類の異なるカキ氷を含ませる。評価対象はメロン味・イチゴ味・レモン味の各種だ。
結果は予想通りであった。視覚刺激に緑色(メロン味)のカキ氷を提示している場合には、実際にメロン味を含ませようが、イチゴ味を含ませようが、それはメロン味として感覚されていた。逆に視覚刺激に赤色(イチゴ味)のカキ氷を提示している場合には、実際の評価対象の種類に関係なく被験者はイチゴ味を感覚していた。但しレモン味だけは例外で、視覚刺激と無関係にレモン味として感覚されていた。
このことからメロン味とイチゴ味のカキ氷のシロップには“味の互換性”があり、視覚刺激による許容作用によって“本来の味”が体験されている事も1例報告ではあるが、示されていた。
視覚と味覚の連合などと大層なお題目を並べなくとも、日本の伝統料理は全て視覚に訴えるように出来ている。夏であれば見るに涼しく、冬であれば見るに温かい食材・料理の盛り付け、器の選択などに工夫が凝らされている。
視覚・味覚等は特殊感覚系であるが、連合野のレベルでいかにして両者の情報が統合されて、最終的に“経験”として認識されているのか、これは現在ホットな脳科学・意識科学の方面からも興味深い。この辺りのメカニズムが多少なりとも明らかになれば、単純刺激がいかにして統合され体験されていくかについての機序がわかるかも知れない。
また服みやすい薬剤のデザイン、栄養剤やサプリメントを考えていく上でも視覚刺激の成分は無視出来ない事も示唆される。服薬のコンプライアンス・アドヒランスを単に患者の意志の問題だけに帰結するのではなく、薬剤デザインと言った観点、創薬の観点から考え直してみるのも面白いと思う。
トンネルのライトを浴びている間だけは、カキ氷のピンク色が緑色に変化した事は間違いなさそうだった。もっとも、カメラを通して茶の間で映像を見る際には、カキ氷の色はもとの暖色系を呈していたのだが。先述したように、変化したのは見た目だけではなかった。時間の経過と共に依頼者の証言を否定していた松村氏が、依頼者と同じ説を唱えるようになっていった。「あっ、メロン味だ。」何度やってみても結果は同じだった。不服と言うよりも怪訝な松村氏。
追試実験が面白い。トマトやカキ氷ではない果物のイチゴで味の変化を体験するか調べてみようと言うのである。結果は意外であった。トマトや果物のイチゴの味は酸味を増して感覚されていた。もちろん色は肉眼には緑色に見えていたと言う。
ここでこの緑色と味覚との間に何らかの連合が成り立つのではないか、と科学的に考えた彼らは次なる実験を実施した。鼻の辺りに水平に布をあて、口から下の部分を見えないようにした状態で、緑色(メロン味)と赤色(イチゴ味)のカキ氷を提示して、口には3種類の異なるカキ氷を含ませる。評価対象はメロン味・イチゴ味・レモン味の各種だ。
結果は予想通りであった。視覚刺激に緑色(メロン味)のカキ氷を提示している場合には、実際にメロン味を含ませようが、イチゴ味を含ませようが、それはメロン味として感覚されていた。逆に視覚刺激に赤色(イチゴ味)のカキ氷を提示している場合には、実際の評価対象の種類に関係なく被験者はイチゴ味を感覚していた。但しレモン味だけは例外で、視覚刺激と無関係にレモン味として感覚されていた。
このことからメロン味とイチゴ味のカキ氷のシロップには“味の互換性”があり、視覚刺激による許容作用によって“本来の味”が体験されている事も1例報告ではあるが、示されていた。
視覚と味覚の連合などと大層なお題目を並べなくとも、日本の伝統料理は全て視覚に訴えるように出来ている。夏であれば見るに涼しく、冬であれば見るに温かい食材・料理の盛り付け、器の選択などに工夫が凝らされている。
視覚・味覚等は特殊感覚系であるが、連合野のレベルでいかにして両者の情報が統合されて、最終的に“経験”として認識されているのか、これは現在ホットな脳科学・意識科学の方面からも興味深い。この辺りのメカニズムが多少なりとも明らかになれば、単純刺激がいかにして統合され体験されていくかについての機序がわかるかも知れない。
また服みやすい薬剤のデザイン、栄養剤やサプリメントを考えていく上でも視覚刺激の成分は無視出来ない事も示唆される。服薬のコンプライアンス・アドヒランスを単に患者の意志の問題だけに帰結するのではなく、薬剤デザインと言った観点、創薬の観点から考え直してみるのも面白いと思う。