成人式が荒れていると言う。私は実は成人式は生まれてからこの方、参加した事が無いので内容はよく分からない。しかし新成人として既に少年法は適用されないのだから、「実名報道+厳重処罰」を覚悟して暴れてもらいたいと思う。万が一逮捕されたら、それは「自分で招いたのだ」と知るべしである。
思えば報道されているような仕方で大いに騒ぐのは、せめて中学・高校ぐらいで終えておく「必須科目」なのでは無いかと思う。学校 . . . 本文を読む
医学部に籍を置きながら臨床検査学部で開講されている寄生虫学と微生物学の臨床検査技師国家試験対策コースを受講してみた。ここでは学問的内容は端折って、フィリピンにおける臨床検査技師の養成課程から透かして見えるフィリピンの医学教育の多層構造と、植民国家としてのフィリピンの在り方について述べたいと思う。特にフィリピンの医学教育の多層性は、メディカルスクール構想を検案する人々には少し考えていただきたい事柄で . . . 本文を読む
早稲田大学医学部とは聞きなれないが、実際に医学部設立構想は存在していた。早稲田大学の積年の念願であった医学部設立構想は最終的に「人間総合科学部(現・人間科学部)」設立構想として落ち着いた。「人間総合科学部」が「人間科学部」になったのは、旧文部省(現・文部科学省)との折衝で人間科学系学部として「人間総合科学部」設立構想がまとまっていたのだが、旧文部省側が「『人間総合科学部』では何を学ぶ学部か分からな . . . 本文を読む
外国語には予てから興味があったが、第一外国語である「英語」に関しては本邦では様々の希望と挫折、憧憬と怨念や執念が取り巻いており、冷静に外国語の一つとして位置づける事が難しいようである。英語が出来ても出来なくても、本邦の人は幸せにはなれない構図がある。これがドイツ語やらフランス語やらイタリア語であれば全く違っているだろうにと思う次第である。
英語を使う人間は世界じゅうにごまんといるのであるが、基本 . . . 本文を読む
本邦では「国語」が作文や感想文等の「文学」に偏向しており、論文・説明文等の「論理」や、論理を基礎とした「言語運用能力」に対する配慮が多少欠けているきらいがあると以前書いた。これを痛感するのが大学入試の現代国語や小論文である。初等教育でさんざん文学的観賞力を鍛えるように要請されてきたにも関わらず
大学入試となると突然に論理的思考力や言語運用能力を問われるようになるのである。(勿論、小中高でも説明文・ . . . 本文を読む
理系離れ等と言われて久しいが、日本の数学・物理・化学・生物の教科書はなぜあんなに難解な記述なのか。事実を抽象的に書いた後は、事実の間を埋めるロジックが乏しいような気がしてならない。超天才学生であれば事実をつなぐロジックを発見できるかも知れないが、一般学生には教科書が難解過ぎて手に負えないこととなる。
このロジックを埋めるのが予備校等が発行する参考書の類だ。数式やグラフの意味はもちろん、科学史上の . . . 本文を読む
文科系出身の人間として気になる事として、理科系の学生はなぜにキャッチボールをするのか、と言う事がある。ちょうど受験シーズンだから高校の事などを思い出しているのかも知れないが、周囲の友人に聞いて見ても理科系の学生の娯楽はやっぱりキャッチボールなのである。
理科系コースの学生達が数学の補習を受けて採点を待っている間、文科系コースの学生は英語の補習の採点待ちだったと思う。文科系学生はとにかく私語の時間 . . . 本文を読む
「だからこのブックね、ベリーディフィカルトね。これ漢字キャラクター。メニーね。」英語と日本語のチャンポンの会話である。年配の方を中心に英語をなんとか繰り出して会話をしようとすると出てくるような言葉である。こうした会話で興味深いのは個々の単語は相手の言語に合わせようとして外国語に変換されると言う点である。以前友人に紹介してもらった文化人類学者の西江先生はこうした言語と言語とが交叉する現象を研究してお . . . 本文を読む
大学はさておいて専門学校での教育で強く感じる事がいくつかある。それは定式化された概念や定義を詳説し、それを積み重ねていく演繹的な教授・講義スタイルよりも、まずは情緒だと言う当たり前の話なのであるが、それを最近特に強く体感・実感したのである。
授業中は寝ている学生、ふてくされている学生、顔をそむけ話もろくすっぽ聞こうとしない態度の学生に対してかねてからコミュニケーションを取り、話を聞いてその行動の . . . 本文を読む
インターネットとは今やほとんどの人々が使いながら、その使い方がほとんど知られていない奇妙な道具である。私も調べものにと時折ネットサーフィンをする。アメリカ西海岸の南カリフォルニアでは海のサーフィン人口が多いので「きみサーフィンする?」が挨拶にもなるのだが、私はこう答えていた。「するよ、でもネットのね。」調べものにネット検索は今や不可欠であるが、しかしデフォルトのページに適当に語句を入れてヒットした . . . 本文を読む
国語の古文・漢文を選択科目にしてしまうと言う提案が某所でなされていた。私は古文が大の苦手であったが、習って良かったと思っている。苦手か得意か、或いは難解か平易かと言う問題と教わるべきか否かと言うのは全く別の問題であると認識しているからである。以下は私の拙い回答・・・である。
古文漢文と我々が認識している語法・文法・話法の体系 は現代国語を作り上げた基礎でありますが、確かに読解や鑑賞には困難さが伴 . . . 本文を読む
「We don't need no education・・We don't need no thought control」で始まるのはピンク・フロイドのAnother Brick in the Wall Part IIであるが、何とも言い得て妙である。「教育」を思想改造と読み替えるあたりが特に。この度、教育基本法の改正が謳われているが、では根底にどんな思惑があるのだろうか?
「美しい国」を掲げ . . . 本文を読む
「数学」と聞くだけで恐れをなしてはいないだろうか?ああ数学。たかが数学、されど数学。ここで数学に対する不安をなんとかできれば、数学力がアップするかも知れないと聞いてあなたは何を思うだろうか?
数学のテストの出来を予め気にし過ぎて心配している事で、実はその予期不安の通りの結果をもたらすかも知れないと、アメリカの研究者が発表した。「数学恐怖」とでも日本語には訳されるかも知れない気持ちが(原語では不安 . . . 本文を読む
オバマ氏が米大統領選挙に出馬との話である。私の予想ではヒラリーVSライスの女性対決が展開されると思っていた。女性同士で、一方は黒人系、もう一方は白人系と言う寸法だ。もっともヒラリーの名前ロッダムとはオランダ系ユダヤ人の姓名であると指摘する識者もいるが。いずれにせよ黒人系と女性と言う組み合わせと言う意味で、アメリカ史上かつて無かった階層が今回大統領選に出るだろうとは、大方予測が付いていただろう。オバ . . . 本文を読む
今更「教養」の無さを嘆いても仕方あるまい。無ければ何とか教養を付けるしかない。教養とあって、一朝一夕では身にならない。嘆きながら己の無知を厭と言う程に自覚して、結局読書する事になる。
読書すると言えども時間は限られる。特に雑用のある時には尚更だ。やっと雑用が片付いたので、では読書でも・・・と言う訳にはいかないのが現実である。現実にはプライオリティーが存在するからである。万巻の書を渉猟し・・・とは . . . 本文を読む