ドラえもんについて考えていたのだが、のび太はジャイアンよりも悪人であると悟った。ジャイアンは悪ガキのように描かれているが、かあちゃんが怖い事から店の手伝いをちゃんとする。親を敬い、親孝行の出来る少年である。戦前の修身の教科書ならば見本とされるような小学生に違いない。小学校に通い勉学に励みながら家業である青果店を黙々と手伝うのである。殊勝な子供である。のび太を苛めるが、ガキ大将だけはあって、映画版で . . . 本文を読む
アカデミズムを離れてからの方がアカデミックに思索出来ると言うのは一種のアイロニーだろうか。「官僚的なソクラテス」を持ち出すまでもなく、例えば大学内における純学理的な追究の成果は紀要として出版されるが、唸るような論文を余り見たことが無い。大抵は極めて瑣末な・・・としか思えないような事柄についてごく内輪だけで成果発表をしているように見える。引き籠りの究極としてよく文人同士が銀座界隈で呑んでいるのと変わ . . . 本文を読む
鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネによる福音書2章16節/新共同訳) クリスマスとは何だったのだろうか?世界中で家族と共にギフトに囲まれ、豪勢なディナーを注文し、新しい趣味の品々を買いそろえて満足げな姿が描き出される。ある者は大いに飲み、またある者は大いに喰らい、老いも若きも財布が空になるまで騒ぎ楽しむ・・・一年の中でも . . . 本文を読む
コメディアンに鬱病者が多かったり、名俳優がシャイで無口だったりする。葬儀屋さんは実はあっけらかんとした明るい性格の人間が多かったりする。さらにそれとは関係があるかどうか自信がないが、歯科医に虫歯が多く、眼科医が近眼で、看護師にケアが必要で、精神科医が精神疾患を発症したり、がんの研究医ががんで亡くなったりする。
正と負のバランスと言うか、足りない何かを求めて特定の職業に従事するとか、足りない部分を . . . 本文を読む
イスラエルにあるキリスト教の聖地「聖墳墓教会」は磔刑で有名なゴルゴダの丘の部分に建立されていると言うが、この教会の「正面扉の鍵」と「外塀」はイスラム教徒が管理することになっていると言う。日本ではキリスト教会を宮大工が建てる事がかつてあり、宗教間摩擦をことさらに強調する前にぜひとも覚えておきたい事実・史実である。
東方正教会の修道院の中にイスラム教徒が住みこんで一日5回の礼拝を欠かさないとか、キリ . . . 本文を読む
「人は“かにパン”のみにて生くるにあらず。」こう主は言われなかったが、しかしパンのみで人は生かされていないことは確かである。パンだけが人を生かす訳ではないと語っていると、横にいた滞米歴の長いインドの友人が「オレはミルクも欲しいな。」と述べたことが印象的だった。
目に見える物質的な食糧・栄養源の象徴としてのパン、この俗世間をも象徴しうるパンが人の生命・人生の根源では無い事は、先進国の乾いた魂を持つ . . . 本文を読む
スピリチュアリティーが話題になっていると聞く。人間存在を霊性を中心にとらえる「生き方」であるが、思えばここまでの道のりは長かったのではなかろうか。そしてまた苦い宗教関連体験を幾度か繰り返した日本人は、迷わずに正しい道へと辿りつけるのであろうか?
本邦では60年前に宗教的狂信主義が国を狂わせてから宗教と霊性はご法度になった。社会科学の解禁と共に唯物論的社会主義が輸入され、教育の現場では東京裁判史観 . . . 本文を読む
ヒトは動物として生まれ、神仏と悪魔の間を彷徨う存在である、と思う。人間はあらゆる自然界の中の生物では弱小存在として生まれ、それがためかあらゆる他の生物に対して優位を誇り示そうとする。しかし何をしようが人間の最高の叡智を持ってしても、神仏の愚かさには露ほど塵ほどにも近づけないのである。
ヒトは他の動物と同じくいくつかの反射を備えこの世に生を受ける。ただ他の動物とちがうのは本能があまり発達していない . . . 本文を読む
生命の考察から究極的存在について考える事がよくある。生命の誕生と死とは生命の限界としての輪郭・境界を位置づける瞬間でありプロセスである。誕生と死と言う瞬間と、それらを迎える一定の期間にヒトは宗教的になる。知的な推論よりも内省的で瞑想的な心情が上回る。如何にして生体の最少の細胞と最大の細胞とが合致して、そこから精密な生化学的反応を経て一個体が成立するのか。または意識を保持していた個体から意識が消失し . . . 本文を読む
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった」
杉原千畝・リトアニア在カウナス日本領事館領事代理 (東方正教会信徒)
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宗教間対話と言う事が言われる。では宗教間対話とは何だろうか?そしてなぜ必要なのだろうか?私はずっと考えてきたが、宗教間対話は必要ないのではないかと思うようになった。イスラム教(イスラーム)・キリスト教・シーク教・ジャイナ教・神道・ヒンズー教(サナタン・ダルマ)・仏教・マニ教・・・数多くの宗教が世にあれど、絶対的他者にして内在化する絶対的存在を追求する限りにおいて、各宗教間で対話は必要ない。対話とは . . . 本文を読む
「スターウォーズ面白かったな。」「なんでも世界中の神話の要素が含まれているらしいぜ。世界中の人々の深層心理に訴えかけるように作られたそうだ。」「だから世界中でヒットするのか?」「そうだな。神話学と言う学問に基づいているそうだよ。ユング心理学も神話学の方法と近いよな。」
ジョセフ・キャンベルが神話学の権威であって、ここで彼が神話素を丹念に取り出して見せたかどうか、その妥当性がどうかと言う事を議論す . . . 本文を読む
クリスマスが間近である。アメリカだと意外にもクリスマスは街全体が静かな雰囲気に包まれる。本邦は・・・と言うと静の文化、落ち着きと成熟を求める国にあってクリスマスは何故か騒がしい。あの強迫的に煩いアメリカとは真逆である。クリスマスとあってキリスト教の祝祭とされるが、ここでよく聞かれる質問は「なぜクリスマスに礼拝などに出るのか?なぜ神を信ずるか?」と言う類のものである。「あなたは科学を学んだのではない . . . 本文を読む
6丁目に「66計画」で建設された六本木ヒルズ。そういえば「六本木」と言う地名も解析すると「六六六」の漢数字が並んでいる奇妙な地名である。何から何まで6が並ぶこの土地・計画は、自然の成り行きかはたまた狙われたものか定かではないが、不気味な感じがする。
「また小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印の . . . 本文を読む
「Being John Malkovich」と言う映画について先日述べたが、ここからが真骨頂である。John Malkovichの認識・情動が変遷を遂げていくのである。少しその変遷を見てみよう。John Malkovichを通して人間の霊的進化について垣間見る事が出来るようだ。
①まず第一段階は「瞑想的段階」である。John Malkovichの視点を持つ事の出来る穴を通してJohn Malko . . . 本文を読む