ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「どこからも彼方にある国」「戌亥の追風」

2014-07-16 21:18:09 | 
「どこからも彼方にある国」 アーシュラ・K・ル=グィン あかね書房 2011.2

訳:中村浩美

ル=グィンは、こんな青春小説も書くんだ!

頭はいいけれど、周囲にうまくなじむことができないオーウェンと、
音楽を通してしか自分を表現することができないナタリー。
そんな二人がひょんなことから親しくなり、次第に心を通わせていく。
誰にもわかってもらえなかった自分をありのままに受け止めてくれる人がいる幸せ…

オーウェンが友達であるナタリーを一人の女性として急に意識しはじめて、
友情の歯車が噛み合わなくなる。

周囲から自分の望まないものを期待される息苦しさ、
この先、社会とうまくコミットしていけるのかという不安…

はじめの方の、オーウェンの言葉を引いておこう。

(子どもは)本音を隠すってことをまだ知らない。それができるようになるのはもっとあと、
一人前になって、人はみんなひとりなんだと気づいてからだ。
自分が本当はひとりぽっちだと気づいたとき、たいていの場合、まず感じるのはパニックだろう。
そのあげく極端から極端に走って、なんでもいいからクループの一員におさまろうとする。(略)
へまをすると、はみだしてしまう。とにかくはみださないことが大切なんだ。
平穏に過ごしたければ、多数派のなかにいることだ。ぼくはぼくしゃない。(略)
見えるのは「ぼくたち」という集団だけだ。「ぼくたち」のなかにいれば、なにも恐れることはない。
ひとりでいるところを「ぼくたち」に見つかった場合、シカトされるだけですめば
ラッキーだと思わなきゃいけない。運が悪けりゃ、石を投げつけられる。
そういうやつを見ると、本当はだれもがひとりぽっちで、だれひとり安心などできないことを
思い知らされるからだ。


「戌亥の追風」 山本一力 集英社 2014.6.10

 追風は「おいて」と読む。

船番所に留め置かれた娘を救うべく、
悪を許さない江戸の男達が動く。

「手も触れたことがなくても、惚れた女のためなら命がけになってこそ、男だ」

クサイけど(笑)、いいなぁ。

本能寺の変が伝えられて動いた家康が増水した川にでくわし、
 立ち往生したとき、助力を申し出た漁師が暮らしていたのが摂津国佃村。
江戸開府し、「江戸にて将軍家の御菜御用をつとめよ」との頼みを聞き入れて
出刃ってきた漁師に、家康は特権的漁業権を与えた。
さらに正保元(1644)年には大川を埋め立てて、島を築造。
漁師在所にちなみ、佃島と命名されて土地を与えられた。

奉行所や船番所で飼う犬のほとんどは、血統の確かな川上犬である。
狼の血をひく川上犬は、敵対する者には命を惜しまず飛びかかった。
すこぶる気は荒いが、飼い主には従順至極だ。
この気性を了として、公儀は役所番犬に川上犬を多用してきた。

この小説にも、座布団のシーンがあった。
幕末だから、目を瞑ろう(笑)
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