「天子蒙塵」の第三巻が出た。
第一巻、第二巻を読んだのは、確か昨年の冬だったが、例により内容の記憶が不確か。
ということで、読み返してみた。
以前にもメモってる筈だが、それはそれ、これはこれ、ということで。
「天子蒙塵 第一巻」 浅田次郎 講談社 2016.10.26
天子塵を于外に蒙る、敢えて奔りて官守に問わざらんや。
今、汝を困(くる)しめたるは塵埃に過ぎぬ。今、人心の離るるも一時に如(し)かぬ。堪忍して来るべき秋(とき)を待て。
との一文があった。
清朝最後の皇帝・溥儀は、紫禁城を追われながらも、王朝復興を夢見ていた。
イギリス亡命を望む王妃と、史上初めて中華皇帝との離婚を望んだ側妃とともに、
溥儀は日本の庇護下におかれ、北京から天津へ。
そして、父・張作霖の力を継いだ張学良は失意のままヨーロッパへ。
二人の天子は塵をかぶって逃げ惑う。
「天子蒙塵 第二巻」 浅田次郎 講談社 2016.12.6
父・張作霖を爆殺された張学良に代わって、関東軍にひとり抗い続けた馬占山。
1931年、彼は同じく張作霖側近だった張景恵からの説得を受け、一度は日本にまつろうがーー。
一方、満州国建国を急ぐ日本と、大陸の動静を注視する国際連盟との狭間で、溥儀は深い孤独に沈んでいた。
志津注意は単純な理屈に気付いた……。
軍隊を一個の生命体と仮定すれば、それを構成する細胞がかつての痛みを忘れたあたりで、本来の指向性が甦るのである。そもそも軍隊は戦争をするために存在する。本質的な存在理由はほかになく、その指向性の発揮すなわち戦争を抑止する要素は、軍隊自身の持つ記憶と良識にすぎない。
軍隊は戦争の記憶を失った。(略)良識など期待するべくもない。
P96~
満州事変は特務機関長の土肥原大佐が謀略の絵図を描き、板垣参謀長と作戦主任参謀の石原中佐が実行した。彼らが越権と下克上によって支配する関東軍は、もはや満州の野に放たれた猛獣である。
永田大佐は吉永に言う。
「石原はファナティックだ。戦争は一種の科学なのだから、当事者たる軍人は理知的でなければならぬ。しかし理詰めの教育を受けてきた将校たちは、彼のファナティシズムをエモーションと混同して憧れる。それは危険なことだ。多くの軍人がそうした混同をすれば、やがて我が国の国体についても、そっくり援用されてしまうからな。すなわち、戦争がファナティックにエモーショナルに始まるかもしれぬ。そうした戦争は国家が破滅型するまで終わらんよ」
満州事変の真実を知る吉永はつくづく思う。
こちらから喧嘩を売っておいて、「凝らしめる」も糞もあるまい。
軍人が国民から敬せられる悪い時代になったとーー。
関東軍が伝統的謀略の結論として招来せしめたこの事態を、いかにして収束するかーーすなわち、石原大佐を始めとする関東軍の参謀たちが拡げた大風呂敷を、どのように畳むかということが武藤大佐の使命だった。
リットン調査団は、実質は英米の合同調査。
中国に対するインド的統治をめざすイギリスと、経済的支配をもくろむアメリカが、日本に嫉妬し、
国際連盟の名のもとに満州国の解消を要求した、
というのが正体。
5・15事件の首謀者たちは「農村疲弊」を理由の一つにしたが、粱文秀(リアンウエンシウ)の見方の方が、言うまでもなく尤もだ。
農村の疲弊する最大の原因は第一に、不景気でも凶作でもなく、労働力の不足。人口が都市に集中することで食糧の需給均衡が壊れる。
第二に、勢力増強のために農民たちが軍隊に召集されると、農業生産力は低下する。
その理を無視した旧日本軍だったのだ。
前にも書き留めた記憶があるが……
「役職にあるから役人なのではない。役に立つから役人なのだ」
という言葉を、国会議員や官僚などをはじめ、
公職に就いている全員にしっかり考えてほしい。
「天子蒙塵 第三巻」 浅田次郎 講談社 2018.6.19
満州の怪人・甘粕雅彦、男装の麗人・川島芳子、
欧州に現れた吉田茂。
「日中戦争」前夜、
大陸に野望を抱き、夢をつかもうとする者たちが動き出す。
当然、真っ当な軍人もいたのだ。
志津は言う。
「石原は(略)軍を私物化して、日本を破滅させます。日本の大陸政策は明らかに侵略であり、満州国は日本の傀儡国家であります。その計画を主導した人間が、なぜ今ものうのうと軍務についているのか、自分には理解しかねます」
ーー何もかも不自然なこの国家は、色眼鏡を通して見るがいい。
ほの暗い水の底に沈めてしまえば、いくらかは信じられる。ーー
「蒼穹の昴」第5部だ。
9月26日刊行予定の第四巻で完結するという。
もう一度じっくり、「蒼穹の昴」から読み直したい。