ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「真田幸村 大坂の陣秘録」

2016-06-23 23:26:31 | 

 

「真田幸村  大坂の陣秘録」   津本陽    洋泉社

   2015.11.30

 

零細な信濃の田舎大名でありながら、天下の大大名北条氏政、徳川家康の軍勢と三度戦い、三度とも勝った幸村の父、真田昌幸の武名は当時から天下に轟いていただろうが、

大坂の陣当初、さしたる戦歴をもっていたわけではない幸村は無名であった。

 

有名な真田丸にしても、幸村の入城前にすでに普請に入っていたと考えられる。

幸村の入城は慶長19(1614)年10月10日で、彼が真田丸の守将として東軍を迎撃したのは12月4日。60日足らずで南北200m、東西150mもあったという真田丸が完成できるはずもないだろう。

普請が進んでいた出丸に入り、五、六千人の鉄砲隊がかつやくしやすいように空濠をこしらえ、狙撃手の通路となる武者走りをつくり、難攻不落の防衛拠点にしつらえたと考えるのが妥当だろう。 

 

等々、

史料などを絡めて当時を類推する。

 

 

 

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