ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「子の無い人生」

2016-06-17 23:13:28 | 

 

「子の無い人生」   酒井順子     KADOKAWA

     2016.2.29

 

「負け犬の遠吠え」から12年、

期せずして子の無い人生を歩む著者が、

ママ社会、世間の目、自身の老後から沖縄の墓事情まで、子がいないことで生じるあれこれを真正面から斬る。

 

以下、本文より抜粋。

 

世界的傾向を見ると、出生率が日本のように下がっていない先進諸国は、男女の平等の徹底を目指すことによって、出生率低下を食い止めている。

家事や育児を男性も担い、子育て中の女性も働きやすい制度と環境を整えるとこによって、男女ともに「仕事も、家庭も」ということになっている。

「女は家で子育て」という子育て右翼の人達の考えを推し進めるということは、日本を昔ながらの家族制度に戻すということだが、そのような手段で出生率を押し上げた国は、今までない。日本や韓国のみならず、イタリアやスペインなど、伝統的な家族制度が根強く残る国ほど、出生率は低下していったのだから。

 

日本人を動かすのに、刃物は必要ない。「皆と一緒でありたい」とさえ思わせればいい。であるならば少子化対策としてSNSというのは、非常に重要な手段。「出産や子育てをして幸せで楽しい」という様子を嘘でもいいからせっせとネット上に流せば、それが、これからの出生率の増加傾向につながっていくのではないか。 

 

子供が育ってしまったら、子ナシ女性よりも子持ち女性の方が「幅広い視野を持っている」とか「部下の気持ちがわかる」などと、評価されがちな風潮が広がっているのでは?

だから、これからは「出世のために子を産む」という女性が増えてくるように思う。

 

もし、「誰でも安心して一人で死ぬことができる」世になって、「死に際して、誰もが自立できる」のであれば、それは子アリ・子ナシにかかわらず、高齢者の心に平安をもたらすのではないか。

1978年の厚生白書においては、日本の三世代同居が高い(当時)ことについて、

「同居という、我が国のいわば『含み資産』」 

と記されていた。すなわち、介護も看取りも死後の仏壇の世話も墓参りも、無料で専従してくれる「嫁」がいたから、国の世話にならずに済んだ。黙ってタダ働きしてくれる嫁の労働力が「国の含み資産」と表現されたのだ。

しかし今、無料で重労働しなくてはならないことが自明の三世代同居を選択する嫁はいなくなったし、「嫁」という立場がとてもつらそうなので、何となく結婚を避けた女性も増加。含み資産は霧散した。

家制度のひずみが嫁にだけかかったせいで「嫁」がいなくなったのだから、今まで「含み資産」に甘えていた国がなり代わるしかないではないか。

 

「結婚してるのに子供はいない」という状態に劣等感や欠落感を抱く女性が多いが、

男性は、その手の感覚はないらしい。

 

 

等々……

些細な部分はともかく、共感するところが多かった。

 

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