「100㎞!」 片川優子 講談社 2010.8.25
題に ヒャッキロ と振り仮名。
知らないうちに参加の申し込みをされて、
100㎞歩くという大会に出場する羽目になってしまった、
高校1年生のみちる。
「なんでこんなことしてるんだろう、私」
と、歩き始めて早々に思いながらも、
ほかの参加者との出会いの中で、少しずつ前に進んでいく。
ただ歩くだけ…
嫌になるほど、考えに考えるだろうな。
何がどう、とは言えないけれど、
こんな風に限界近くまで肉体を酷使したとき、
気持ちの有り様や人生観が、いい意味で変わるのではないだろうか?
作者は1987年生まれ!
中三のときに書いた「佐藤さん」で2004年にデビュー、
2010年現在、麻布大学獣医学部で学びながら執筆活動中とある。
文系でないのが、いいなぁ^^
「何者」 朝井リョウ 新潮社 2012.11.30
直木賞受賞作。
「桐島、部活やめるってよ」の作者だ。
若いよなぁ・・・
1989年、岐阜県生まれ、早稲田の文化構想学部(そんな学部もあるんだ)を
昨春、卒業して就職したと、ある。
就活に臨む学生たち。
現実をいかに受け止めるか、、、
くだらないと斜に構えてる自分と、就活しなくてはならない自分。
p74
たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。
確かにそれは個々の意思のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、
「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分は
アーティストや起業家にはもうなれない。だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の
「何者か」になれるのかもしれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下した
ひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。
「就活をしない」と同じ重さの「就活をする」決断を想像できないのはなぜなのだろう。
決して、個人として何者かになることを諦めたわけではない。スーツの中身までみんな
同じなわけではないのだ。(略)
就活をしないと決めた人特有の、自分だけが自分の道を選んで生きていますという自負。
p117
本当の「がんばる」はインターネットやSNSのどこにも転がってない。
何者かになりたい、でも、なれない。
でも、いつか何かのきっかけで自分は変われると思い
他の人たちの就活を、自分はあんなカッコ悪いことをしなくていいはずだと、どこかで思っている。
そんな想いを閉じ込めておけなくて、誰かに認められたくて
裏アカウントでつぶやく・・・
そんな たくと に理香は言う。
「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を理想の自分に近づけることしかできない。
みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のまま
あがくんだよ」
「笑われてることだってわかってるくせんみ、そんなことをしてるのは何でたと思う?」
「それいがいに、私に残された道なんてないからだよ」
「カッコ悪い姿のままあがくことができないあんたの本当の姿は、誰にだって伝わってるよ。
そんな人、どこの会社だって欲しいと思うわけないじゃん」
「そうやってずっと逃げてれば?カッコ悪い自分と距離を置いた場所で、いつまでの観察者でいれば?
いつまでもその痛々しいアカウント名通り【何者】かになった振りでもして、誰かのことを笑ってなよ」
「・・・・・・でも、私だって、同じようなものなのかもね」
「私だって、ツイッターで自分の努力を実況中継していないと、立っていられない」
最後の言葉がジーンと響いた。
誰かに認めてもらいたい。
誰かと繋がっていたい。
私は facebook に登録する気もないし、ツイッターはごく稀に興味あるところを覗く程度だが、
常に携帯やスマホに触ってないと気がすまない若者も多いのではないか。
情報は大切だけれど、それに振り回されて
溢れている情報を取捨選択する自分の《芯》が心許なければ、意味がない。
他者との繋がりでしか、自分を測れないとしたら、カナシすぎる。
題に ヒャッキロ と振り仮名。
知らないうちに参加の申し込みをされて、
100㎞歩くという大会に出場する羽目になってしまった、
高校1年生のみちる。
「なんでこんなことしてるんだろう、私」
と、歩き始めて早々に思いながらも、
ほかの参加者との出会いの中で、少しずつ前に進んでいく。
ただ歩くだけ…
嫌になるほど、考えに考えるだろうな。
何がどう、とは言えないけれど、
こんな風に限界近くまで肉体を酷使したとき、
気持ちの有り様や人生観が、いい意味で変わるのではないだろうか?
作者は1987年生まれ!
中三のときに書いた「佐藤さん」で2004年にデビュー、
2010年現在、麻布大学獣医学部で学びながら執筆活動中とある。
文系でないのが、いいなぁ^^
「何者」 朝井リョウ 新潮社 2012.11.30
直木賞受賞作。
「桐島、部活やめるってよ」の作者だ。
若いよなぁ・・・
1989年、岐阜県生まれ、早稲田の文化構想学部(そんな学部もあるんだ)を
昨春、卒業して就職したと、ある。
就活に臨む学生たち。
現実をいかに受け止めるか、、、
くだらないと斜に構えてる自分と、就活しなくてはならない自分。
p74
たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。
確かにそれは個々の意思のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、
「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分は
アーティストや起業家にはもうなれない。だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の
「何者か」になれるのかもしれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下した
ひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。
「就活をしない」と同じ重さの「就活をする」決断を想像できないのはなぜなのだろう。
決して、個人として何者かになることを諦めたわけではない。スーツの中身までみんな
同じなわけではないのだ。(略)
就活をしないと決めた人特有の、自分だけが自分の道を選んで生きていますという自負。
p117
本当の「がんばる」はインターネットやSNSのどこにも転がってない。
何者かになりたい、でも、なれない。
でも、いつか何かのきっかけで自分は変われると思い
他の人たちの就活を、自分はあんなカッコ悪いことをしなくていいはずだと、どこかで思っている。
そんな想いを閉じ込めておけなくて、誰かに認められたくて
裏アカウントでつぶやく・・・
そんな たくと に理香は言う。
「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を理想の自分に近づけることしかできない。
みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のまま
あがくんだよ」
「笑われてることだってわかってるくせんみ、そんなことをしてるのは何でたと思う?」
「それいがいに、私に残された道なんてないからだよ」
「カッコ悪い姿のままあがくことができないあんたの本当の姿は、誰にだって伝わってるよ。
そんな人、どこの会社だって欲しいと思うわけないじゃん」
「そうやってずっと逃げてれば?カッコ悪い自分と距離を置いた場所で、いつまでの観察者でいれば?
いつまでもその痛々しいアカウント名通り【何者】かになった振りでもして、誰かのことを笑ってなよ」
「・・・・・・でも、私だって、同じようなものなのかもね」
「私だって、ツイッターで自分の努力を実況中継していないと、立っていられない」
最後の言葉がジーンと響いた。
誰かに認めてもらいたい。
誰かと繋がっていたい。
私は facebook に登録する気もないし、ツイッターはごく稀に興味あるところを覗く程度だが、
常に携帯やスマホに触ってないと気がすまない若者も多いのではないか。
情報は大切だけれど、それに振り回されて
溢れている情報を取捨選択する自分の《芯》が心許なければ、意味がない。
他者との繋がりでしか、自分を測れないとしたら、カナシすぎる。