ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

とりあえず5冊

2011-08-11 13:15:35 | 
「凶存凶栄」 森村誠一 徳間書店 2003.1.31

 棟居刑事シリーズの短編集。
 このシリーズは、刑事が前面に出てこない。

 人々の日常があって、事件が起きて…
 そんなプロセスに味がある。
 

「光村ライブラリー [中学校編] 2005.1

 あの坂をのぼれば  杉 みき子
 爪王        戸川幸夫
 鼓くらべ      山本周五郎
 くるみ割り     永井龍男
 子馬        ミハイル=ショーロホフ
 最後の一句     森 鴎外

 昭和から平成にかけて中学校の教科書に載った作品。
 
 教科書は侮れない(笑)
 娘の教科書は全部読んだものだ。
 娘が小学校中学年のとき載っていた人の名前は今でも覚えている。
 確かスリランカの人で、ポディママハッタヤさん^^


「ネットいじめの真実」 渡辺真由子  2008.7.26

 3年前に書かれたものだから、もう一昔前のデータが元になっている。
 今は、もっと酷くなっているのだろうか。
 
 アッという間に普及したインターネットと携帯電話。
 10年位前までは、携帯を持つのは高校生くらいからだったが
 今は中学生の殆どが持っているというし、
 小学生もかなり所持していることだろう。

 あくまで道具だということを子供たちにも教えなくてはならないと
 改めて考えた。
 プロフに自分をさらけ出して何とも思わない子供たち…
 かまってほしいという気持ちの裏返しと思える。

 テレビ欄をみるとバラエティー番組が多く、
 ヒトをバカにする笑いが溢れている。
 ごくごく日常の中に、加害者意識を持たずにすむイジメの根幹があるように思う。

 いつの時代にもあるイジメだが・・・
 匿名で、本人が関知しないところでさえイジメがあるのは
 ヴァーチャルならではだろう。
  
 リテラシー以前に人間性の問題だと思う。
 大人の責任は重いが、カナシイことに、その大人がどうもアヤシイ。


「きみ、ひとりじゃない」 デボラ・エリス さ・え・ら書房  2011.4
 NO SAFE PLACE 2010年 もりうちすみこ訳

 嵐のドーバー海峡
 カレーからの小船に乗っているのは
 戦乱のバグダッドを去った15歳のアブドゥル、イギリスの少年ヨナ、
 ロマのロザリア、ロシアの軍隊から逃げてきたチェスラブの4人。
 それぞれに辛酸な過去を持つ子供たちだ。

 それでも一人で生き延びてきた彼ら~
 
 この著者の作品は、しっかりと現実を見つめている。


「発達障害かもしれない大人たち」 林 寧哲(やすあき) PHP 2011.5.12

 [定型発達]
 ◎いわゆる普通の人
 [広範な表現形]
 ◎ときどきトラブルを起こすが通常は問題がない、やや個性的で変わっている人
 ◎サポートやケアは通常必要ない
 [特定不能の広汎性発達障害]
 ◎基本的に困っているけれども、人に合わせることができて疲れやすく、
  条件がそろうとすごく困った事態になってしまう人
 ◎サポートは必要ないことが多いが、二次的へ依存症に対するケアが必要
 [自閉症スペクトラム障害]…自閉的認知行動特性を伴う一群
 ◎ほぼ常にトラブルがあって周囲は困っている。本人自身は困っている自覚がない
  場合もある。
 ◎周囲のサポートが必要

 
 適応障害があると~(p35)
 『幼少時以来、周囲から疎外された体験で対人関係に不安や恐怖を感じていて、社会
 そのものに入っていけないという人もいれば、なんとかがんばって社会の中に入って
 いったとしても、ある特殊なことに対しては特異な能力を発揮するものの、その他の
 大部分で会社が要求するレベルの仕事ができないために、いたたまれなくなって
 辞めてしまうという人もいます。
  また、「辞めてくれ」といわれて辞めていくとか、職務遂行能力には問題はないの
 ですが、対人関係で、最初はそこそこあわせられたものの、いつの間にか疎外され、
 一人孤立するようになり、会社にいづらくなって辞めてしまう、といった理由をよく
 聞きます。』

 ↑ これが障害だとすると、どんな人も障害者だと思えてしまう。


『抱えている発達の問題とうまく付き合っていくためには、あきらめが肝心。
 無理なものは無理、できることはできる、というように、できることとできないことを
 明確に認識しましょうということ。
 それは「知る」ということかもしれません。
 人間関係にしても、諦めが肝要で、みんなと仲良くできなくてもしかたない。
 嫌われてもしかたない。あきらめてしまえば、疎外感もなくなってしまいます。
 「あきらめ」というのは仏教の諦観に近く「明らかに極めよ」ということ』

 ↑ 障害に限らず、すべてにおいて言えると思う。

 p164
 『本当にうつ病であるなら、薬で改善できます。具体的には、内因性のうつで、
  「大うつ病」や「双極性障害(かつての躁鬱病)」のような遺伝的な問題のあるうつ。
  これに対し、うつ状態は薬を使ったとしても治りません。二次性のうつや反応性の
  うつのことです。
   二次船のうつの場合、起因しているのが発達障害だとしたら、何らかのサポート
  がなければよくならないし、その人に会っている仕事をみつけてあげなければなり
  ません。
   反応性のうつの場合は、その原因になっている精神的ストレスが除かれなければ
  改善されません。例えばセクハラ上司のもとを離れるとか、嫌味な同僚がいなくなる
  などです。
   二次性のうつにしても、反応性のうつにしても、うつという病気ではなく、状態
  なので、薬を使えば治るというものではないのです。
   今は、うつうつとしていればみんなうつだといって、うつ病もうつ状態も、
  全部ひとくくちであいまいになってしまっているのが現状です。
   精神科のクリニックに行ったら、全部が全部、そういったあいまいな部分を
  明確にして診察してくれるかというと、残念ながらそうではない』

 精神の病は、本当に見極めがつきづらいと思う。
 どこまでが個性と言えるのかしら… 
コメント
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