世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
言葉と実際の方向が違ってる
軒並み先進国は、老齢化し、赤字を重ねている。 果たして(先進)とは 何を意味しているのだろう?
どの国も(経済成長)を唱えながら、さっぱり良くならない(経済)とは何のことか?
目指せば多少なりともその方向へ進むものだ。
しかし、全体的にそうはなっていない。 言葉と実際の方向が違っている。
まして、個々の政策は説明と実際が一致するのを見つけるだけでも難しい。
森のようちえん②
水から上がって魚が生きてはいけないようにヒトは自然から離れては まともに生きていけない。
人間活動によって地球の自然を壊している様は、人間本来の姿でないのと合わせて人間と自然の乖離を思わせる。
魚を水に返してあげるようにヒトの生誕した森に返してあげたらヒトはどう動きどう変化するか 、それが(森のようちえんの)実験の持つ意味ではないか。
人間が水を得たように元気になるだろうことは容易に想像できるが、社会が人間本来を忘れているような状態の中にあっては、実験結果を感覚的認識にとどまることなく、科学的、論理的な法則性まで導き出さなければ実験の結果を人々には伝わりにくい。
森のようちえん①
(森のようちえん)と言うと、 森の木陰でドンジャラホイ テンテン手拍子足拍子‥の歌を思い出す。
小人たちが楽しく踊っている、グリムやアンデルセンの夢のよう童話を思い出す。
一方、現実社会は人間活動によって地球や自然を崩し異常気象や年間4万にも及ぶ絶滅種を出しながらブレーキがかからない。
景気が悪いといってはお金を印刷するのは、日本の民話に出て来るタヌキがヒトをばかすのを、ヒトがヒトをばかすのにやっている。
童話の世界と現実が逆転したかのようだ。
しかし、魚やカッパが水からあがってもヒトにはなれないように、ヒトがいくら背伸びしても地球の生き物であることに変わりない。
(森のようちえん)構想は河童や魚を水に返してあげるように、ヒトを自然に返してしてあげる実験ではないだろうか。
( ヒトを自然に返しすとどうなるか?)の仮説で実験をする。ヒトは、元気ななって本来の力を発揮するだろう。
現実の社会や人間活動が普通になっている中にあっては、この実験結果も科学的に、論理的に、法則的に明らかにすうr必要がある。
《森のようちえん」)の持つ意味は単なる幼児教育の一つの提案では留まらない。
経済の行き詰まりは人間力、しいては教育の行き詰まりをも意味している。
( 森のようちえん)の社会実験意に求めるところは、幼児や子供より急がれるのは大人かもしれない。
特に、社会的なリーダーには求められる。