災害報道もおかしくない?

梅雨前線停滞による災害が連日報道されている。
小宮悦子さん(私は以前彼女のファンだった)の出るワイドショウでも取り上げていた。現場の中継の女子アナ?はプロレス中継ののり《あの声あのテンポ》で話す。目の前に被災者がいるにもかかわらず。それに違和感を感じた。
天気予報ではこの前線は2^3日後関東まで押し上げてくるらしい。
(ないと思うが?)もしあの大雨が関東に来ていればあちこち開発された関東の災害はあんなものではないと考えるのが普通だろう。
もし明日関東にあんな大雨が降ったら我々はどう行動するのか、被災された人たち同様、何の準備もしていないのだから同じように混乱するはずだ。今は、災害時の行政や住民の準備を急いで知らせことが必要ではないか。そんな指示は誰がするのか。責任者は誰か。今は災害を見物しているときではなく防災体制をしかなければならないときではないか。《学校の避難訓練で子供が本気にならないのは当たり前。》国のレベルで見ると経験されたことが何も学習されず生かされていないことになる。災害に対するメディアの役割は大きい。社会的責任でもあろう。
勿論メディアもなかには良心的で心から「よかった」と感謝したくなるような番組もなくはない。《昨夜,NHKでやった(ワーキング プア)はいくら視聴料をはっらってもいいと思ったぐらい感激した。ついアナウンサ-の言葉に目が潤んじゃった。女房はすぐ寝付けなかったと言っていた。しかし全体的には(あのおかしな声の災害番組タイプの)報道が多い。
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経済成長路線の全体主義

NHKの日曜討論会で財政再建や消費税のことを取り上げ話し合われていた。
聞いていると与党の自民党や公明党をはじめ野党の民主党・共産党・社民党は上記への考えの違いはあるものの、どの党も経済成長や国際競争力は当然の前提として話し合われていた。(過日のG8サミットも同じだった。)この1元論に誰からも疑問のかけらすら見られない。
日本列島はかつてない気候の異変である梅雨前線の停滞による集中豪雨によって多大な被害をこうむっている最中にもかかわらず。
この唯一の価値観が国を超え、宗教を超え、資本主義や社会主義のイデオロギーを超え
世界を動かす全体主義になっているように思えて仕方ない。
異なった価値観として経済縮小の考えがあってもいいではないか。
地球温暖化の原因が経済活動と関係していることは、仮に科学的に証明されないとしても、人類は常識的にその因果関係を捉えている。でも一原論から抜け出せない。神・仏・天地神明、何でも良いが、現在の経済が、地球から無断で盗賊のように略奪し神や仏の名で神や仏を冒涜しているように見てしかたない。科学や経済の論理からは外れるかもしれないが文化として多様な価値観として人類の知恵として現在の経済成長路線以外の経済路線の考えがあっても良いのではないだろうか。それを提案し検討しなければならない時期はとっくに来ているのではないだろうか。子供の中に新しい価値を見出すのを仕事としてきた自分は、素直に単一的な全体主義の群れの中に身を置いたとしてもそれを見るもう一つの目も持ちたい。
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輪廻

国の内外、いい話が少ない。気が滅入りそうになることがある。
東洋には古来(輪廻)と言う思想がある。破壊と創造・死と生成は様相を変え常に循環して起こっているという自然法を言っているのだろう。そう考えると
こんなに破壊されているのだから何が新しく展開されるのか楽しみにもなってくる。
確かに歴史はそのようにして変わってきた。
宮様がご苦労し、超エリートの子息が不祥事を起こし超大国の指導者が超下品な言葉を使うどころか何より地球が昼夜悲鳴を上げている。
次世代の肥やしは見えるのだが育つべき新しい芽がよく見えない。輪廻だからないはずはない。時に目立ったないがまぶしいような感性の持ち主に出会うこともあるし以前から思ってきたのは壊された子供や人間の行動そのものがあったらしい芽の表れかなと思うこともある。この辺、壊す人間が壊され、騙す人間が騙される(その逆もあり)時代なので新しい芽が分りにくい。(目立たず他人の話に耳を傾けられるか・常識を大事にしているか)どうかは手っ取り早い目印にはなると思う。マスメディアによく登場する先生達の多くは自分をアピールすることに一生懸命で新しい芽にはならず壊す方に貢献していると思う。
輪廻と言う自然法の中で今日も沢山の出会いがある。新しい芽を一つでも多く見つけたい。勿論、庭先の草と古女房や親友そして自分の中にも。
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「糞みたい」(おごれる者久しからず}か

G8の休憩時間ブッシュアメリカ大統領はプレアイギリス首相と戦闘するイスラエルとヒスボラの一方を「糞」と罵っていたらしい。国連事務総長の提案は
「あいつは分っちゃいない」とこれも一方的になじったらしい。その上,「各国の首脳の話が長い」と陰口もたたいたそうだ。やっぱりカメラの前とは大違い。あれが普段の言葉使いや行動なのだろうか。それにしても乱暴で下品過ぎる。わたしは考えは違っても他人にはそれなりの敬意を持って当たってきた。アメリカの過去の大統領は学校の図書室にも偉人の伝記が並んでいるし、教科書教材として取り上げられることもある。そういう大統領を引き継で(あーだったのか)と思った。あまりに段差が大きい。あのニュースを子供達が見たらどう思うだろうか。ジダンや白鳳よりショックは大きくないか。あれでは子供の喧嘩でも納まるものも納まらない。煽っているだけだ。聞く耳持たずもあれで酷ければ学校の先生どころか家庭も近所付き合いも難しい。あれで教会では「わたしの罪を許し給え」とやるのか。ちょっと漫画っぽい。神への信頼は厚いのかもしれないが人には不信感丸出し。
(万物の創造主は気に入らない国や人も作ったはず。)考えは違ってもそれなりの言い方がある。世界のリーダーは建前だけでも社会のルールとして節度と礼儀をもって事に当たってほしい。そうしないと我々だって〈お前、他人のことが言えるか)と言い返され返答できない。G8の首脳の中ではそれが通るのか。他がルールを破ってそれを諌めるときそれ以上のルールを尊ぶ価値観が必要であり諌める方がルールを破ったのでは話にならない。これは日本だけの倫理なのか。秋田の畠山容疑者の取材だって彼女のやったことが悪いのだからどう取材しても良いと言うことにはならないはず。不用意にお袋さんや弟さんを苦しめることは新しいメディアの人権侵害ではないか。こんな自分勝手な無神経さが争いごとや犯罪を生む土壌になってはいないか。
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脱教師で思うこと

自分は教師として、なんだかんだ自分の経験をベースにしながら、自分の受けた教育や目の前の教科書の枠の中で教育してきたのだとと思う。定年後4年して周囲を見て、あれで良かったのかと疑問に思うことが多くなってきた。(今思うと)自分は或る限定した範囲しか見ないでいて、社会に自立し社会を作っていく基礎的なことをどうも指導してこなかったのではないかと思うようになった。《勿論時代的には今はもっと酷い》
地球や人間にしっかり立脚した周囲の社会や自然・歴史や未来など基本的なことをすっぽりぬかしてきたようにさえ思う。「勉強は人に騙されないため」と子供に言い、私の心の中では真理真実を分ってほしいと願っていたのだが、(今考えると)その半分も教えてこなかったような気がする。あんなだったから騙される人がこんなに多く社会にあふれ、こんな時代になってしまったと世の中と一緒に自分も批判する時間が増えている。せめて今思うことを、今の時点で、できることをやろうと思う。(と偉そうに言ってその実) まずは碁を打ってから・・・?
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G8ー嬉しくもあり悲しくもあり

小泉劇場ならぬ3日間のサミット劇場。西ドイツの女性首相が言うように違いより共通点を求めた歴史的なサミットとも言える。しかしイランや北朝鮮どころでない現在の火事現場のイラクや確実に背後に迫ってる地球の温暖化には口をつぐんでもいた。嬉しくもあり悲しくもなる世界のリーダー会議だった。我々は誰もがこのような世界の現実のもとで生きている。
昨夜NHKが2時間にわたりかなり詳しく報道してくれた。女房ともども見たが今まで見たどんな映画や芝居よりリアリティーがあり或る意味で充実した気分になった。映像から好感持てたのは首脳が出会った時やテーブルについた時の落ち着いた表情と空気(勿論カメラを意識しているとは思うがそれを割り引いても)がよかった。他にも横柄な言動の気になるブッシュが落ち着いて見えたこと。小泉首相の記者会見での話し方がいつもの(木で鼻をくくった)感じではなく、むしろあの間の取り方が内省を伴った理想的にさえ見えた。思わず「頭がいい」と声に出したくらいだ。(女房も 《最も》だとうなずく)
ところでメディアがクラブとかサークルと揶揄し論評するような問題もあったとは思うが、私はそのメディアも含め現在の限界を感じ悲しくなった。感覚的だが一つは全体が経済成長路線の枠内の話でしかないことに。もう一つは言葉や表情は別にして相互不信を抱えての対話に見えたことだ。リーダーの視野も心理も狭く閉ざされたものを感じた。身近に置き換えると私なら友達に彼等をは選ばないし、教師像や子供像としても
理想の反対で子供だったらこれからどうしょうかという気持ちにさせられる人たちだった。
サミットの3日間も3秒に一人の幼児が飢えや病気で死んでいる。始まる前にはヒマラヤで大きな崩落があった。集まった首脳の庭先の草木や虫はどうか。(勿論すぐさまどうと言うことではないが、自分を脅かす足元の確実な変化を無視するなといいたいだけ)
南極や北極やヒマラヤの頂上や海の中がどうなろうと目の前の経済成長のためお芝居でもなんでもする人たち。懐にピストルを忍ばせ(比喩)握手し乾杯する。でもこれを悪くばかりとることはない。歴史的にやっとここまでたどり着いたと言えなくもないのだから。
でも昨夜は自分一人がこんな風に見えるのかとつい思い不安になり女房に「俺おかしい?」と尋ねた。少したって「そんなことないよ」と返ってきた。(少しモヤモヤ)
サミット劇場で分ったのは世界の中での日本の位置だった。競争的経済成長路線
で現在第2位の日本なのに今後のレースの展開を考えている首脳達はアメリカも含めそれなりの扱いしかしなかった。日本には自分の足元を見られる前に相手の足元を見ろと言いたい。
然しそれが言えるのは、相手より視界が広いときだけ。今はまだその反対になっているからしかたない。
自分が国粋主義者かと思うほどサッカー以上に応援したくもなる。(自分の子供を応援する気持ちに似ているよ)聞こえないだろうけど難しくはない。「基本にもどれ!」「基本を見つけろ!」それだけだ。

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「大同小異・小異を捨て大同につく」そしてつぶやく

アメリカとイラク、北朝鮮と日本、自民党と共産党、右翼と左翼、資本主義と共産主義、資本家と労働者、保守と革新、勝ち組と負け組み、金持ちと貧乏人、親分と子分、上司と部下、先生と生徒、医者と患者、健康と病気、生と死、戦争と平和、護憲と改憲、神と仏、大人と子供、男と女、若者と老人、
違いはどこか境はどこだ?立場や利害の区別はどこでつけるのだろう?とよく分らないことがある。確かに違いはあるが共通点の方ががはるかに多いのではないか。激しく対立しているように見えても、全体から見れば括弧でくくれる小さな違いや仲間の小競り合いのようなものでははなかろうか。同じ根っこの木だって1枚1枚形は違う。違いを基本にするか共通点を基本にするかで考え方や行動は反対になり言葉と仲間が作られる。それはそれでそれぞれ正当性はあるが大局を見失ってはいけない。物事が大同小異なら小異を捨てないまでも大同をより大事にしなければならないのは当たり前。さもなくば両者のの根を絶やし生命の仕組みを壊す。これが理性というものだ。理性は小難しいしかめっ面や怒った顔ではなく、さわやかで穏やかな笑顔をたたえた(こんな表現あったかな?)ようなものだろう。この当たり前の判断ができないのはすでに全体を見失い余裕をなくしているからに違いない。
ジダンにしろその相手にしろ、露鵬と千代大海にしろ言い分はあるだろうが上記の大同小異の関係を見失ってしまった。

地球温暖化の絵の中に上記の相対立している2つのものを描くと似たもの同士にならないか。(巨人と阪神ファンのように。)両者野球が大好きで同じ球場に行き向かい合って大声上げている。台風でも上陸すれば野球どころでない。所詮持ちつ持たれつの運命共同体の関係にある。ファンの居酒屋でのバタバタしてない小競り合い程度なら負けておこう。最近はテレビの中で、国会の中で、教室、茶の間、町のあちこちまで興奮し青筋立てたバタバタした争いに出会う。今日も国のそして内外のバタバタぶりとドタバタ笑いがテレビで朝から晩まで報道される。それをバタバタ見るはめになる。実際多くの人はそのバタバタぶりも見られぬほどバタバタしているだろう。バタバタのスパイラル。私は老人性の喘息でバタバタできない。老人が増えるから世の中落ち着くかな?と思うとどうしてどうして、最近知り合いがバタバタ逝っちゃうよ。蛇足になるが、このところ民主主義も選挙も世論も言葉も支配の道具になっている感じがする。こんな衆愚政治より立派な王様の王政のほうがいいのかななんてつい思ってしまう。「裸の王様」だって最後は子供だけは正直にものを言う。最近は子供も役人や町の人のようだ。こんなことを考えるのもまた「バタバタ思考」の癖なんだろうな。
(全く自分もよく躾けられているもんだ。)しょうがないからまずは《言葉》 特に【会話】 を取り戻そう と。隣を見ると女房もパソコンだ。はー~あ? と(あくび)やっぱり現実は厳しい。(しばらくたってから)私「買い物に付いて行こうか。」妻(少し嬉しそうな声で)「うん」(ちょと間おいてから)「行こうか」だって。

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やってほしい構造改革

この5年間やってきた構造改革は経済のグローバルな競争に勝つための改革だった。或る前提条件の下では合理性もあり成果もあったという。国民の求めもあったろう。私も構造改革を願っている。それは地球と人類を守るための経済と行政の改革。(勿論、本来の子供を守る教育改革も)  前提条件が違っているのに、私の見ている限りそれを主張する政党や団体はない。構造改革の方向が逆だから実際は願いから遠のくばかり。地球の異変は見たくないがいつまでも覆い隠し目を反らせられるものでもあるまい。G8はどう反応するか?初めてのこととはいえ、世界は《本来の保守性》が《早急》に求められている。この声 天まで届け!
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うまい言葉が見つかった

一昨日、対話の態度について「うまい言葉が見つからない」とくどくど書いた。
「普遍的価値や意味を見出そうとする態度」はどうだろう?
十分ではないが分りやすい感じがする。(常識・コモンセンス)でもいいのだが
最近は常識が常識でないことが多いので通じにくいだろう。
私がまだ中学生のころ(コスモポリタン・宇宙主義者と訳すのかな)のことばを何かで目にした。中身はよく分らないが国の枠に縛られず地球を人類共通の故郷としての考えだろう、ちょとしたら「人類みな兄弟」もそれに通じるのかもしれない。当時子供心にも現実離れした理想主義だと思った。あれから50年以上もたった現在は当時と現実感が全く違う。地球の現実はそれを求めているのに、人類の意識がそれに対応できてない感じだ。今日意味の広がりはそこまで求められよう。
「どんな言葉にも間違いはない」と学生時代哲学で教わった。相手に通じるかどうかは別にして言った本人の意識と言葉の間には間違いはないと言うことだった。
私は感動して聞いた。そのぐらい相手の立場や言葉の意味をよく考えることの大切さを教えられた。話をよく聞き一方的に決め付けないことの大切さだ。共通言語・共通文法と言ってもいいがそれを求める態度は社会のリーダー的な人や学者は状況判断上・学究的態度・問題解決の態度として最低限求められないか。話す場合も同様。
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底堅いデフレ好景気→インフレ不景気???

政府もメディアも今は底堅いデフレ下の好景気と喧伝している。
昨日、日銀はゼロ金利を解除した。今日の朝日新聞の1面トップのすぐ下には「忍び寄るインフレ懸念」の見出しが並ぶ。読み進めると、「下手をすれば急な金融引き締めがインフレは止めずに景気を失速させる最悪のシナリオをも招きかねない」と論じていた。私は以前からこのブログでそのことを指摘してきた。既にインフレと不景気の助走が始まっていることや底堅いデフレ好景気とインフレ不景気が隣りあわせになるとは誰が考えるだろう?要するに現在の経済状況が正しく伝えられていないから、情報的には信じられないようなことが展開する。
私は株をやっていてそのことを肌で感じていた。朝日新聞も今まで報道してこなかったが知っていたことになる。まだ政府や他のメディアからは聞こえてこないが早晩中心的な問題になり言わざるをえない時が来るだろう。ただその時の言い方はまたストレートではないから気をつけないといけない。
国民にとって大事な情報を伝えるのはマスメディアはこぞって遅いし特に政府などの公的機関はなお遅い。(従来の例から考えると変形した形になるがそれでも大体伝えられるのに1~2年かかるだろう)その間、間違った情報で犠牲者が増えるのは当然。本当の意味で自己判断による自己責任が痛切に求められる時代になっている。
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