本来に帰すれば良い



   紛争の限界

   
砲弾の爆音と人の泣き叫ぶ声は 聞きたくない。

  
     世界は 今なお 紛争予防学の出番である。

       人は 生まれながらの生命やプライドが 大切にされたら 紛争している暇も出番もない。

        紛争の火種を見つけて紛争を煽り でっち上げる時代の限界が来てはいないだろうか。
        
   知恵も知識もいらない。元々あった本来に帰すればいいだけなんだ…

              戻る道のりが近いのは誰?  権威の衣を着た人の道のりは 遠そう。
  
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旧弊からの脱却 




   





   「日本外交の高い評価」は マスコミの独自判断による喧伝だったのか。 

    ある局の識者による討論会での司会者の前置きにした言葉にそれを見出した。

     外交の「蚊帳の外」や「置き去り」が 突如起きるとは考え難い。
   
   忖度した「独自の行動」は官僚だけでなくマスコミを始め 広い分野で進行していることが裏付けられた気がした。

     「アクティブラーニング」によって更に忖度が加速するのだろうか。

       「旧弊からの脱却」の難しさ。

   

    
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自尊心



  2018・3 末日 昨日より サクラの薄緑が濃くなった。

    
人は最終的に 富と安全のどちらを望むだろう?

    
     暮らしに富は必要だが生きるには安全がより大事。振り返って世の中はどうなっているだろう。

     命をかけて富を求めてきた歴史は無かったろうか?
    
  
さらに プライドと生命を天秤にかけざるを得ない時、最終的に 人はどちらを選択するだろう?


      人は誰しもが常にその選択の狭間にいる。
  
      自分は命を汚したくないから 天然へのプライド(自尊心)を取るかもしれない。

    的になっているのが熱画像かも…

      
         予想外の世界の動きも 「自尊心」が回転軸だろう。


          日本人の[自尊心]は どうなっているんだろう? 「傲慢」や欺瞞」とプライド(自尊心)は両立しないのは確かだ。
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道草



過去に 「奇跡的」とも言われた高度経済成長していた日本の現状の凋落ぶりは 世界経済の行き詰まりの象徴的存在か。

     しかも この経験から多くを学ベば良いのだが 日本は夢から覚めずさらに逆行し 世界は他人事のようだ。

     世界は 本来的な自然観への転換が 求められてるのだが… 人類は 道草の喰い過ぎ。    

       

     

    
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へんてこな物差し



  海外の動きが 日本の姿を映す鏡にもなるが コマーシャルも同じように

    私たちの望みや欲望を表わす裏返しの鏡かもしれない。

    コマーシャルの煩わしさは 私たちの根源を測る気分の良くない不都合な物差しか。
   
  

   
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今日の日は




夢と騒がしさを遠くに見ながら サクラは薄緑が混ざり 熱画像で遊び 午後は百草でおしゃべりカフェ  

       

     


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転換の方向性は自明



「産業構造の転換」は 言われていないわけではない。アベノミクスの第3の矢も 言葉上は こじつけられる。

   ただ 世界経済をグローバルに見た時、「産業構造の転換」にかけられた期待は全く別だろう。

     工業の限界に行きついてる現在 転換の方向は自明だが 話題にもならない。
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それが難しい



   覆い切れないでいる 政府の慌てようは手にとるようだ。

     積もり積もった子孫への有形無形の負債は 一政府の責任だけではない。

何人も 大人の責任として自らを振り返り 地球化と自然化への出口に向かえば良いだけ。  …それが難しい…

     
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誇りとホコリ



株仲間の隠語で 少額で取引する株を「ゴミ株」と言うらしい。

            市場ではゴミ程度の意味しかないと言う自嘲的な言葉でもある。

            「箒の会」は社会のホコリを掃き清める意味だろうか。

             同じ市民の中に「ホコリ」も在りか?
             
ついマスコミの客観的な事実の報道を欠いた情報空間にそれを感じる。
     
             ホコリ扱いされた人の誇りは どうすりゃ良い?
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た易くない直観力



   「客室で「ピカピカ日本」に耽っているが 揺れと周りからの警鐘で 事態に気づき始めたようだ。」

   こんなことが言えるように 事が運ばれると良いのだが 耽りから覚め無謬主義の癖を直すのは た易くない。
     
今必要なのは 事実を欠いた情報や旧弊の知識や権威ではなく 何人も 人として元々備わっている直観力を働かすことだろう。
      
      心の錆は なかなか落とせない。

       

    
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