コマーシャルに一言

何所へ行ってもお店の看板がやたら立ち並び、家の中まで新聞やテレビの宣伝やコマーシャルが無断で割り込む。

社会生活上情報機関の情報は不可欠だが、あの強引な侵入は辟易するだけでなく、社会の有り方に疑問を感じる。

テレビのコマーシャルは、読書中にスポンサーが勝手に本を閉じたり、食事中に配膳してくれた人が黙ってお皿をテーブルからどかすようなもの。

ヒトの体や心へ影響に人権上の矛盾はないか?

商売や宣伝も必要なもんおだが今は度を越しており、さらに世の風潮となり、コマーシャル的な言動が幅を利かし、政治の政策や手法にまで及んでいる。

マスメディアをを媒介とするから、個人は受け身になり意識し難い状況下に置かれている。

人々は持続不可能な社会の中で行き詰まっていながら、その立場とは異にした商売上のコマーシャルが溢れ人々を動かしている。

しかし、人々の本来的な自然な実感とコマーシャル的な情報は根源的には一致せずどこかで乖離していく。

一方ではそんな動きも感じられる昨今だ。

 

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アベコベの情報

政府や日銀や報道するテレビや新聞は一体になって「時間差をもってアベノミクスの恩恵は末端にまで及ぶ。」と報じているが、実際は「被害が末端にまで及ぶ。」と早急に知らせなければならない状況だろう。戦時に例えるなら、提灯行列をやっているような場合ではなく、非常事態を宣言し警戒警報を打ち鳴らさなければならないタイミングだろうと本気で考えている。 

 現状で良いのかこのボケ老人の戯言が正しいかの確認はそのうちこの眼で出来そうな気がする。

【ついでに、世界のニュースや情報もアベコベに描いたものが多いことを書き加えておきたい。】

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リーダーが心配することの優先順位

世界のリーダーたちはイランや北朝鮮の核兵器より先ずは北極でエサを探す白クマの事を、日本のリーダーたちは株の上げ下げで一喜一憂するより、先ずは今日も小中学生で自ら命を落とす子が1.4人いることを心配してくれると良いんだけど…

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(3本の矢)の向かうところ

(3本目の矢)である経済競争力会議や経済成長戦略会議などの答申案に政府やマスコミも期待を寄せているようだが、1・2本目の矢と同様私は全く期待出来ないでいる。
「農家の収入を10年で倍加する。」などの戦略がぶち上げられたが、民主党政権のマニュフェスト同様、根拠が無くTPPや次の選挙対策の口から出まかせだろうと確信している。

産業再生の模索は日本だけでなく世界中がここ何十年も模索し、先進国は借金 まみれから脱せず今日に至っていることを忘れているのだろうか?それともこれまでその知恵を出し惜しみしてきたとでも言ってるのだろうか?

3本目の矢は産業構造に関わるが、民間企業中心の規制緩和を政府が支援すると言う、

基本的に従来やり残した部分に手を付ける程度で、世界の現状認識を改めたものでもなければ、産業構造を転換と言えるほどの発想を転換したものでないことはこれまでの発言ではっきり認識することが出来る。

欺いた経済政策をテレビや新聞がフエや太鼓を使って持ち上げるから国民もその気になっているが、これまで戦争・原発・バブルの崩壊と過去何度も経験してきたようにまたもや(ある日突然)現実にさらされる、そんな筋書きの上に乗っかり暮らしている感じである。

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子育てに無責任な仕組み

家庭教育ー社会教育ー学校教育   教育の3っつの分野で関わる人は其々の立場で子供の育ちを考え論じ対峙するが、一人一人の子供は3っつの分野の壁を全く意識することなく全領域の全体的な関係の如何で育っている。

3っつの全分野を総合し子育てを考える立場の人は社会のどこにいるだろう?
  
自分自身学校教育の中から子供たちを見てきたが、子供の全体的な立場に立っていなかった事を今になって知る。加えて3っつの柱がそれぞれ傷み機能が低下し逆作用も散見されるて今日、社会の仕組みの問題とは言え、子どもたちにとって「うかつ」では済まされない。

社会は、次代を担う子供たちの成長・発達まで無責任な仕組みの中に置いていた…。

 

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不思議な空間

スマホだか何だか分からないが若きも老いもやたら覗き込んでいる人が多い。自分が出来ないのを棚に上げての事だが、乗った電車の前のシートの7人中6人が覗き込んでいるのを見て、気になるのを越して少々考えてしまった。

世界や日本の全人口のどのぐらいがやってるのかは分からないが、少なくても東京での比率は可なり高いだろう。

スマホは便利な道具である事は間違いないが、それも度を越すと、生きている以上避けられない現実の情報処理する能力はどうなるか?

ヒトの能力はする学習によって高まり低下もする。

政府が有りえないような経済政策を本気で掲げ実行するような時代とも重なって不思議に見えて仕方ない。彼等はこの老人が不思議に見えて仕方ないと言うかもしれないが…

 

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「頭隠して尻隠さず」

地球を丸ごと現状を見て喜んでいられる人が居るとは考えにくいが、テレビや新聞が映しだす現状は、全く違った印象でテレビなどは楽しみやあ娯楽にすらなっている。

どちらかと言うと、ヒトは伝えられる情報によって行動するから、地球丸ごとの現状とはかけ離れて行動することになる。

しかし、ヒトがどれだけ現状を無視し行動しても、現状からの影響は避けられない。

アベノクスはほころびを見せてはいるものの、テレビや新聞の報道で国中がはしゃいでいるようだが、

アベノミクス自身が幼稚園の買い物ごっこのようなものに過ぎず、昨日の金利上昇と株価の暴落で、流石の政府やメディアもかなり慌てたようだが、冷静を装ってるところは、子供がよくやる「頭隠して尻隠さず」を思い出す。

 

 

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囲碁と似ているヒトの動き

囲碁の世界は敢えて(宇宙流)を唱えなくても、囲碁そのものが基本的に(盤面である宇宙)に支配されるのだが、それを意識してうつのは難しい。ヒトも宇宙に支配されて存在するのだが、ヒトも大抵はその事を知ってはいるが、それを実際に認識して行動するのは、舞台である盤面の大きさから言ってもその難しさは囲碁のどころではないだろう。

囲碁ではプロが指南する部分的な定石や技術や知識を読破しても実践では役立たないことも多く時にはそれが邪魔して一瞬にして碁をダメにしてしまうことがある。

現代の世界の壊れ方を見ていると、囲碁と似ている。

アフリカの難民は約250万人で今も増え続け,日本では今日も自殺者が約80人が見込まれ、子孫に崩した地球と清算のしようも無い借金を残したのだから、明らかに囲碁では投了しなければいけない。大自然はいつまでもそんなわれわれを相手にせず、次の対局を準備するだろう。

昨日、裏の山から繰り返し聞えてきたウグイスの「ホーホケキョ」はそんなことを言っていたかもしれない。

夕方の総武沿線から見たビル街は小雨のせいもあってか暗くて落ち着いて見えたが、車中のケイタイを覗き込む人の多さと、向かいに座っていた女の子のお化粧には抵抗を感じ、帰ってから見たテレビのコマーシャルの失礼な割り込みと、アベノミクスを嬉しそうに語る解説、ついて行けないお笑いにはいつもの事だが閉口した。

   ここまで来ると(~観)どころの話ではなく(カン違い)の気がしないでも無いが、5割は自分の(カン違い)の可能性もあるがいずれにせよ隔たりを感じる。

 

 

 

 

 

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メディアの限界

日本の農業に携わる人は減り続け、就業者252万人の平均年齢右は69歳を超る一方、39歳以下の若い新規就業は増えており年1万人が定着している。(2013・5・13東京新聞社説より)  又、農学部への大学進学希望者も増えているらしい。

混乱した世界や日本にあっても、このように新しい時代への胎動も一方では始まっている。

社会の中では古い時代を仕切りそれを支える圧倒的な力を持つ勢力だが、地球丸ごとの大自然の中では、単なる少数の守旧派に過ぎく、胎動は必然的な動きと言える。

今の時代、本来の社会的な役割では宗教家や哲学者やジャーナリストの出番だろうとは思うが、今一芳しい動きが無いのは守旧派の陣頭に立つマスメディアによって立塞がれているからに違いないが、これも大自然の力には抗せなくなる時が必ず来る筈である。

 

 

 

 

 

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自然から離れてどこへ行く? 

予期しなかったであろう自ら生み出した巨大な力(システム)で、人類は地球の自然から離れて行くうようだ。

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