世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
墓穴を掘る
人類は自ら墓穴を掘っているようだ。自らの棲み家を壊して燃やしてはいないか。
長年やっていると その異常さに気が付かないことはよくあるものだ。
やっと取り戻した❣
先行きの明るい話題を最後に耳にしたのは何時だったろう?
子供のころは 自分も周りの人も皆が希望をもっていたような気がする。この歳になってやっと取り戻したような感じだ。
仮説に余裕あり
「希望に向かい 世界は動いている。」との声は どこからも聞こえないが 間違いなく自分は 希望に向かっていることを感じている。
「希望が持てる時代が必ず来る」との仮説には まだ5ー60年の期間があるから 時間的には十分余裕がある。
先のことなど分からない
日本において「失われた30年」 この言葉は政治勢力のいかんを問わず 現在は普通にまかり通っている。
しかし、言われ出したのは4~5ねんまえからである。社会の変化を世間が言葉にするのは 数年後になるようだ。
だからか 「来年のことを言えば鬼が笑う」と常識であるかのように語られる。
幸せ!
息を吸って 息を吐く
その後に生ずる新たな思い それに沿いながら静かに暮らす。
そんな思いもよらなかった幸せにやっと気が付いたようだ。
自分だけ良ければ良い
「自分だけ良ければ良い」と言う心性が 今日の社会を形成している主軸なのだろうか?
この不合理な論理は 正されるとは思うが 時間がかかりそうだ。方向性だけでも確認できれば (私は)幸せである。
計画性の無さ
世界の行き詰まりは 諸活動の行き当たりばったりの無計画さの形で目にすることができる。
全体を見ずに目先の動向に左右された無計画な活動は 当面している困難から脱出するのは基本的に難しい。
テレビ報道を見ていてつくづく思いため息が出た。
あぶり出し
温暖化によって人類は あぶり出されたかのようにその全体がその姿を現し始めた。
人類は自分の姿に気が付き始めて仕事に取り掛かれるのだが まだ緒に就いたばかりで仕事が手につかないのだろう。
教育原理
目をさましたら 自然と「教育原理」の言葉が浮かんだ。教育学や心理学以前の必須教科だった。
今人類が必要なのはこの自然の理にかなった原理・原則を思い起こすことではないか。
地球(宇宙)の自然の一方的な破壊をもって 経済活動の基にしている。有限な自然が尽きるのは時間的な必然であり、そこに至る過程では自然の不足と破壊による不都合が生じるのは必然であり 今はその過程にある。そのことに気が付き声は上がるも,時の声にはならないが、物事は基本的には「成るべくして成る」ものだ。今はその過程を目にしている。
生みの苦しみ
世界の国々は地球規模で影響し合いながら成り立っているが、その認識は一般的ではなく情報は国家中心に為されている。
この視野の狭さは 国家の成り立ちをも不明にし 国家や国際政治を歪めている。
国際社会は行き詰まりを来し久しいが出口を探し損ねている。
しかし 国際社会も結局は自然の理に沿わざるを得ないが、人類がそれに沿うのは試行錯誤を繰変えす 時間のかかる作業なんだとは思う。
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