「わや」

 私は道産子。子供の頃、身の回りのことでも、遊びでも、図工の時間の絵でも、滅茶苦茶になって,どうしようもなくなくなった時、「わやだ」とか「わやになった」と言ったもんだ。今の世の中、とりわけ教育や結果としての子供の状態を見ていると、子供時代の「わや」がピッタリくる。
今は、小学校で障害児のお手伝いをすることが多いが、時々普通学級にも指導に入る。正直,羨ましいと感じる子供が1人もいない。自分なら耐えられないと思うぐらいだ。
戦後はとてつもなく貧しい生活だった。食べる物も、着るものも、まして学用品には不便した。世の中も荒廃していた。栄養失調で、多くの子供がなくなり、結核で多くの人が死んだ。乞食も北海道の田舎でもしょっちゅう目めにした。今と全く違う。
でもやっぱり今の子供にはなりたくない。教師生活40年の実感でもある。
勿論、少なくても大人より子供は遙かに輝いているし生来の知恵も備えている。親や大人も必死だ。でもやっぱり自分は今の子供に返りたくない。
最終的には、人間は知恵があるから、どこかの時点で、方向変換するだろう。それが何時なのか、どれだけリスクを払うのか。「今」が大切なのに。人は限られた命なのに。 
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