「いい年」変格活用

いい年を

いい年に

いい齢だ

 

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お芝居の筋立て(?)

「地獄の沙汰も金次第」と言うぐらいだから(経済権力)が(政治権力)に勝った支配構造になるのは、自然かもしれない。

 だから、政治のパワーゲームの劇場中継は(経済権力)を主役にした方が分かり易いのに、一向に主役が登場しない。

 主役なしのお芝居は話の筋が見えにくく、分かりにくいから騙される。

  農村の疲弊や、街中に広がるシャッター街の中にあってその政治権力者の応援団だった人たちは 置かれた状況をどう思っているだろう?、
 原発、国の借金、年金、増税、社会保障等々、も同じで、政治権力者を中心に芝居を追ってきた人たちは お芝居の筋立てに疑問を抱いていないか。

 にも関わらず、今日も新聞テレビのマスコミは政治権力のお芝居を茶の間まで丁寧に運び、我々は茶の間から出られない。

   

 

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 育つ コミュニケーションの力


    音の大きさに顔をそむけながら、(翼がほしい)としっかり歌うⅠ君、最後まで手拍子をとるU君‥等一人一人が、はっきり落ち着いてきている。

 何よりうれしかったのはT君が有馬記念の競馬に行って参加しなかったことだった。1人前の競馬ファンになったと言うことか。

 10何年振りかの彼らは、コミュニケーションの力を確実に付けているようで幸せに見えた。

  帰りの薄暮の星がことさらきれいに光って見えた。

  

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夢のよう

 「命 広々」の子は 技術者、ぞうさんのように低い声の主は NPO法人「碧いびわ湖」の機関誌で(子育て日記)を、男の子と見間違えた女の子の子供は来春1年生に入学すると言う。

久しぶりに会った面々は  皆、まぶしいほど輝いていた。

 この困難な時代の転換期に、お互いに最後まで、様々に輝ければいいな。

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いつのまにか

 山の木を見ていると
             いつのまにか自分の中に木が育ち

             いつのまにか木になっていて

           いつのまにか子供たちが遊びに来てるかもしれない

       

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挨拶や礼儀は要らないか?

金正日氏の死に、アメリカや日本をはじめ主要国からお悔やみの言葉が聞こえない。

 (ならず者国家の首領)だと罵っても、死んだら話は別で、お悔やみの一つも言えないのだろうか?

 親戚や、近所、職場にだって気が合わず仲の悪い人の1人や2人はいるもんだ。だからとお悔やみも言えなければ逆に人格が疑われる。

     キリスト教の(主の祈り)でも 「我々に罪を犯すものを許す如くわれらの罪を許し給え」と祈るではな いか。

     親鸞の悪人正機説なら「善人なおもて往生とぐ、況や悪人おや」と教える。

   個人と個人であろうと国家間であろうと最低限の礼儀も言えず、何が出来るだろう?

   子供の喧嘩でもあるまいし、対立していれば、尚更礼儀はだけは正さなければならない。何故なら、人間的な面から対立の正当性が疑われる。
     
          国際的に恥ずかしくはないのだろうか?   国際関係が挨拶が出来ないぐらい野蛮だと言うなら、国連で国際的にルールにしたら良い。   人類はこんなに恥ずかしいレベルなのか?

   

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黄色で良いのだ!


時々、自分の思考が迷路に迷いこんだか?と心配になることがあったが、昨日、雑誌(世界)の特集で樋口陽一氏と西谷修氏の文を読み自分の位置が確かめられたような気がして安心した。
安心したことがもう一つ
この間買った真黄色の中古の車を見て、無二の親友は「とうとう、おかしくなったか?」と夫婦して笑いこけていた。さすが、自分も照れ笑いでごまかした。あれから2か月もたったろうか、意外と黄色い車が多いのと我々の目が慣れてきたのとで、我が家は満足しはじめていたら、娘が植えた夏みかんが50個ほど真黄色になり満足が倍加した。喜んでいると、コップいっぱいの暖めた蜂蜜入りのオレンジジュースが目の前に追加された。

 

 

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そんなに大きいことか?

 「冷えますねー」が隣近所との朝夕のあいさつになった。

 確かに、石油ストーブを炊き、ダルマのように着込んでるのだが、どこか冷え冷えする。

  昨日から内外のメディアは隣国の金正日総書記の死一色で占めどこも(情報収集と今後の動きに注目)を強調している。季節のせいか このメディアのニュースのバランス感覚に(冷え冷え)したものを感じた。

  ニュースは安全上を考えてニュスの構成や優先順が決められるべきだと思う。

     今日だって、地球環境の異変やアフリカの飢餓やフィリピンの水害のこと、 国内だって今日1日で自殺者と孤独死者を合わせると、180人を超えるだろうこと(情報収集や今後の動き)からは目を離せないはずだが。

 

 

 

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悪循環にはまって出られない教育

教育分野に見られる負のスパイラル(悪循環)の例

  財界は即戦力になる人材を確保するよう政治に求めてきた。

  政府の教育政策はそれを直接的に受け止め、基本の人格形成や全人教育を棚上げし、目先の学力向上に走ってきた。

  結果は、財界の求める創造的人材が得難いだけでなく、特別な対策を必要とする多くの人間を生み出しその経済的負担は結局は企業が負うことになり  経済活動をも阻害している。

  これは、財界の求める即戦力に応じた政府の学力至上の教育上の齟齬を変えられず、

  対策の科学的検証とまともな教育の政策化を困難にし、負のスパイラルに陥いらせてる。

   財界と政府の教育政策上の齟齬は、権力と支配の逆転に因るから政治的政策化が難しくなり、事後対策を講じても、構造的に抜けだせるものではない。

 

だから、特に第2次オイルショック以降、教育や経済だけでなく政治的・政策的に成功した例を見出すのは難しい。

   

 

  

  

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負のスパイラルを生む支配構造

(毎度の定義を曖昧したいかにもドジな感覚的な物言いだが)

  経済団体が国に求めてきた景気対策が国の借金を膨らませ、雪だるま化した財政赤字が社会保障を困難にし、社会保障の貧しさが、より大きな社会保障を必要とさせ経済を悪化させる。

 要するに経済団体の求めが経済的な負のスパイラルを生む構造は世界的で、こと財政赤字や社会保障に留まらず、地球環境から安全保障や国民生活に至るあらゆる分野に波及しているのではないか。

   これでは、企業や経済団体がいかにも悪者でもあるかのようだが、企業の稼いだ利潤を分け合いおかげで国と国民の生活が成り立っているのも事実である。

 負のスパイラルはなぜ生まれるのか。

 それは、企業が求める景気対策を政治が経済政策に練り上げることなく直接実施しているからではないか。

 要請する財界の強さによるのか、政治を担当する部署の弱さにあるかは議論のあるところだろうが、負のスパイラルから抜け出さなければ、企業も国民生活も共食いし、弱体化する。

今は、その過程にあって、「先行き不透明」ではなく先行きは見えているのに、仕組みのたがを外せないでいるように見えて仕方ない。

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