明日から京都旅行

明日から4日間、妻と娘のいる京都へ旅行する。
 娘が京都の奈良に近い田舎に(椿坂)と言うところを見つけ案内してくれると言う。楽しみがプラス1された。
 宿泊は妙心寺(禅宗)の広い石庭のある宿坊で、今年で3年目になるけど少しも賢くならないのが不思議だ。

 
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あんなことをやっててどうする気だ?

世論調査は世論操作の道具の一つ。
 日経新聞は「景気対策は十分か?不十分か?」の世論調査をし、十分が10数パーセント、不十分が60数パーセントだったとと繰り返しテレビのニュースで伝えていた。
 この問いかけは対策が正しいことを前提にして、規模を問いかけている。この質問からどうして「間違っている」の認識が生まれよう。
 私は経済対策の間違いを実証済みの「田分け者」の策と日記に書いてきた。
アメリカやヨーロッパで国民や議会で不評なのは何故か?日本は事前に世論操作をし、声の上がるのを未然に防ぐから、対策そのものへの不評の声が出ないのは当たり前。
日本のメディアの論調は似たり寄ったりで、与野党も党派的な対立は激しく見えても基本的なところで対峙しない。
 専門家やメディアや各党派も、どうせ競うなら先見性を競い結果を検証すれば分りやすいのに、
 それを曖昧にして、皆して同道巡りを何時までもやっている。
 
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豚インフル「緊急事態」

タイトルは1面トップ記事。2面の見出しは大きく、「感染飛び火世界注視」
 日米政府が緊急事態宣言を発した。
 人類の安全保障の優先順位として、1、疫病 2、地球危機 3、自然災害 食糧不足‥
 軍備はもっと下位だろうと以前書いた。
 人命を脅かす規模と人意が及ぶか及ばないかで考えた。
 今は、お金のかけ方の順位は逆かもしれない。
全体的に 安全保障を並べ、緊急性、重要性の優先順を考えるいいチャンスになればいいと思う。
 世界はは疫病を恐れながら優先順位が低く可能な対策を講じている国はない。
疫病が蔓延したら、国の機能はマヒし、即人命を脅かす。
 
 単なる自然災害ではなく、ヒトはヒトの進化(例えば文明文化)を阻害し、ウイルスの進化を助けるような環境を作っていないだろうか?
 
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特別支援学校生、急増(10年で3割)

4月26日朝日新聞朝刊、1面トップの大見出しである。
 メディアも取り上げたとはいうものの、率直に「今頃何を言ってるか?」「状況を理解していない」と思った。
 「急増」と言うこと自体、事態が分っていない。大本営発表そのままだ。
  自然現象だって因果があるというのに、育ちの問題を仮説でも良いから可能な限り原因理由を語るべきではないか。【増えている】とか【保護者が子供の障害を受け入れるようになった。】では
 理由にならないし根本的な対策は立てられない。
 (個人的には)大人が担ってる文明・文化の責任を放棄して、子供や保護者のせいにして済むのか?子供は居場所を無くし、保護者は持って行きようがないだけではないのか。と考えている。
 全てとは言わないが他人事のように発表した文科省やそれをそのまま報道するメディアは子供や家族のことを考えると許せない気持ちになる。
 昨日見た映画「少女の情景」のポスターの言葉、「子供は大人が作った世界の中でしか生きられない。」
 これは、アフガンだけではなく、日本だってどこだって同じ事。
 
 子供でなくても定年前に辞める教師や神経の病気になったり、不登校?になる教師の多いことと誰も繋げて考えないのだろうか?一般的に障害そのものは本人は不便することあっても、苦痛を伴わない。子供や家族の苦痛をどれだけ想像して言ってるのだろうか?
 私も今の学校なら教師にならなかっただろうし、なっていたとしても辞めるだろう。
システムが教育とは程遠い。人間から【学び】を奪ったらどうなるか?まして子供は柔らかいのだから。
勉強と学びは主体の精神活動は全く違うのに‥
ドジも心底怒りを覚える。
(政治や経済社会)を含めた大人の文化がこの事をを区別しにくくしていると思う。
昔はこういう問題はなかったし、後進国では今もない。文化が進んだからか?
環境不適応障害と言われてる雅子妃は彼女のせいか?環境のせいか?
 同じ理屈にならないか。
これまで、障害が発見されなかっただけと言うヒトもいるが、専門家と言われる人からも、納得できる説明を聞いたことがない。
かつては家庭でも学校でも地域でも職場でも普通に生活していた。この事実が如実に因果を説明していないだろうか?
 だからこそ、各界がこの対策を急いで希望を持って進める必要があるのではないか。
 
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電車もいいもんだ。

昨日は、映画(少女の情景)を都心へ行って見た後、近所の碁会所で囲碁を打ち、夕方からは妻と一緒に知人宅に招かれご馳走になった。いい日だったが、最も良かったのは、映画の行き帰りの電車の中の3時間。
 始めは周囲のお客さんを見ていたが、そのうち、乗っている電車がお客さんを見たらどう見えるか?外の街や山から電車を見ると電車や我々はどう見えるか?そのうち、この「競争社会」を(地球)をベースにして見た時どうなるかを考えていた。
 例えば、経済競争だが、世界の国々や企業(主語は人)は地球から資源を競って獲得し、それを物やお金に変えて再び分け前えを争う。これにほとんど立場の違いはない。
 主語を地球にすると、この競争は最終的には成り立たない。
  競争が活力を生むといっても普通生き物は同じ種族で食い合うことはない。
 動物と植物、宿主と寄生生物、花とミツバチののように普通は、共生、相互依存、循環の関係を保つ。ヒトは例外的な競争をしている。
 
こんな競争経済を基にした競争社会が何時までも続くはずがない。
 人間を中心に考えてきたからか上記のような事は浮かばなかったのが
 地球を基に想像したら浮かんだ。
 何を基にするかで見え方は変わり、意味が変わる。
  世界の色んな出来事を、地球を基にして想像し意味を考え直したら面白いと思う。
  
 
 
 
 
 
 
 
  
 
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地球とお金の関係

「始めに神あり」と言うけれど、そう言うヒトや生き物が生まれる前に地球が在ったことは事実だろう。
 ヒトが土から誕生し、土に返るだけでなく、全ての物がそうかもしれない。
 ヒト物と物を交換するうちに、お金を介在させて交換するようになった。
 そして、何時頃からか、お金を持った者が物やヒトを動かす。
 考えて見ると、お金もヒトの作った物だから、結局は全てのものが地球からうまれているにも拘らず。
 だから最終的には地球(資源)をヒトもお金も超えられないはずで、どこかで主導権が変わる。
それは何時、どういう過程で変わるのか。
 まだまだお金を持ったヒトが地球(資源)を支配しているが基本的には上下に交差する関係にある。そしてそれは既に始まっている。
 お金がお金を生む、カジノ経済とも言われる行過ぎた金融産業の破綻が今日の未曾有の経済危機を招いたのが何よりの証左。要するに産業においてお金の力が弱まり、今慌てて、お金を増やしてお金と物との力関係を回復し産業を回そうと世界は必死である。
 しかし、ボクシングのように景気循環(バブルの拡大・収縮)のラウンドを重ねるたびに、経済の体力もお金の力も減退する。その度にヒトはどう行動するか?その辺も地上で人間のやってることを観察する時の一つの観点になると思う。
 

 
 
 
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少し離れて意味を考える

無駄に生まれてきたと思ったり、今は小さいから大きな人のようには出来ないがそのうち自分もあれこれやれるようになると希望を持たない赤ちゃん(小さい子供)
はいない。だから、それが損なわれ無為に命を断つ所に目がいくのは自然。
 地上をぐるーと見回し飢餓、疫病、戦闘で困難に遭遇している地域がどうなっているか?を見ることは
 個人や国にとっても意味あり、目に見える優先課題かもしれない。
 その程度のことは分っても、今どうなっているか分らない事が多い。
あまり報道されないから仕方ない。
 
反面、政府機関の(成長路線から安心社会へ転換)など意味のないことをそのまま流したり、草薙君のストリーキングにジャックされたような今日のテレビ局。
 酔っ払って裸になった事はファンにとっては大事だろうけど、世界の出来事や人々の暮らしとどれほど?
 オリンピック誘致のニュースも、4都市の派手な誘致合戦を派手に報道するが、
 その意味には触れない。
 どの国も、国の威信と経済効果を狙っていることは明らかでありながら、
 威信はともかく、経済効果が期待できない事は北京や次回のロンドンを見るまでもない。過去の思考を切り替えられない景気対策同様的外れ。この不景気と借金を抱え持ち出す(田分け者)。
 世界の平和を考え、本当に子供や若者に夢と希望をもたらしたいなら、こんな具合には考えられないか?
 ソマリア・ケニア・ドミニカ・タイ・アフガン・ネパールどこでも良いから、
 誰が見ても 大きな困難を抱える国でオリンピックをやったら良い。世界の国々がお金を出し合い施設を作り準備を手伝う。そういう提案をしたらいい。今やってる誘致合戦よりオリンピック精神や、世界の祭典の意味があるのではないだろうか?
 理想論?カも知れないが、見当ハズレが分っている夢を追うより現実的ではないかと思う。
意味のないことを、ない袖振ってするのは、さらに意味がない。

 
 
 


 
 
  
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変なヤツがいるなー

【安心社会へ政策転換】成長優先見直す (経済諮問会議)
 今朝の朝日新聞政策面のトップ記事の見出しである。
 こんな事を平気で言える諮問会議、伝えられる朝日新聞を見て、われわれ読者や国民はどんな立場に立たされているかを改めて考えさせられた。
 
 2つ矛盾がある。
  1、もともと(地球的に見て)持続不可能な従来の経済成長路線が維持できなくなった事が明らかになっただけなのに、あたかも(安心社会)へ路線変更するかのような物言を権威を持った政府直属の機関や報道機関が言う。
 (安心社会)は路線や政策の選択の問題ではなく、もともと国家そのものもつ役割ではないか。安心できる社会を求めない国があるだろうか?
  2、経過がどうあれ、矛盾を持つ路線変更は結構なこと。
    ところが、現在進めてる景気対策は経済成長を前提として借金しての財政出動、金融の量的緩和である。間違いなくツケを将来にまわし、2年後の消費税増額どころか、政策的インフレが現実的に危惧される政策を進めながら、≪よう言えるワ≫である。
 これが何の問題もなく政府機関が言い、報道機関が伝え、国民はほとんど疑問を感じない。
  社会が崩れ、我々の感覚もどうかしてきているからこんなことがまかり通るのだろう。
  
ドジはこんなしてエラそうで、生意気な事を言うのは、若い頃から自覚はしていたようだが、生まれながらの性分だから仕方なかったのだろう。
  
その生意気さがよくて、(キュン)となった人がいるとかいないとか?
   あの星には、たくさん変なヤツがいるなー。
  

   
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絵画展②

昨日書き忘れたが、絵を見ていて「俯瞰図的だな」と思った。こうした見方も今回が始めてだった。
 その事を「関係ないけど嬉しい人」に話すと、その作品はちょうど宮沢賢治の作品から取った絵で其の通りだと、返り際わにお礼まで言われた。その意味は分らなかったけど、ほとんど、どの作品も俯瞰して描かれているようだった。言い換えれば、自分を離れた別の視点で自分を含め全体を見ている。
 こんな絵もあった。ねずみの宮殿の壁にねずみ宮殿そっくり権威ぶった人間の宮殿の絵を、貼ろうとしている絵。遊具を中心にして遊具で遊んでいる子供を描いた絵。「会話」や「踊り」は2人をセットにしてできた図形。などなど、
 知人の子どもは「絵の中の絵」と題して心象風景の絵を何枚も並べて対象化して見ている絵だった。
どの作品も発想の大胆さと、細かいところまで磨きに磨き正確さを求めている。自分と正面から謙虚に向き合っているのが伝ってきた。この年で大発見だ。


 
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関係ないのに嬉しい人

午前中、豊田にある市民ギャラりーへ行って絵画展を見に行ってきた。
 絵画など特に苦手な自分は鑑賞眼にも自信なく自分から見に行く事は滅多にないが、今日は知人の息子が出品していると誘われて見に行った。
 ずーっと絵とのお付き合いがないのに描いている人の心が今までになく感じられたようなきがしたのが意外だった。
 その上、その絵画展を主催した先生が、取材に来た来た記者へ淡々と話す内容をそばで聞いていて、とてつもなく人間の大きさと深さ、鋭さを感じた。
 年のころは70前後の自分とほぼ同世代のプロの絵かきさん。
芸術家は自分とは全く別世界の理解できない人たちだとコンプレックスのようなものをずーッともってきた。所がその人の話は分りやすかった。むしろ親しみや繋がりを感じた。
印象的なフレーズは沢山あったが、個性の大切さや「絵は見る人とのコミュニケーションンで意味が出てくる。」と言うような話も印象に残った。
誘ってくれた知人との話で、その親子に言いにくい事をためらわず率直に言うのだが、不思議と嫌味なく、ストンと腑に落ちる物言いをして母親も素直に聞き入れていた。自分は、あんな具合には話せないなー。
 
 40年近く日野に住んでいるらしい。関係ないのに嬉しくなった。
  
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