全体と部分の逆転現象

企業が国や世界の経済にとって重要な役割を果たし、個々の会社が命運をかけて頑張っている。

しかし、 国や世界の経済と企業の利潤追求は一致しないにも関わらず同じであるかのように全体をコントロールすべき政治と企業集団が一体化しているところに問題の根っこがあるのではないか。

 現場で実際に活動し利潤を上げるのは企業であり、その利益をもって行うのが政治だから、企業集団が政治集団の上位に立つのは当然だとも言えるが、

それでは国や世界の全体としては経済も社会も成り立たない。今はその様相を呈しているのに、見当違いの議論をしている。

 

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割り切れない

 昨夜、囲碁を終えたところで

   同年輩のおじさんが 政治家や公務員を誹り 世相を嘆いた

   聞いていた同年輩のおばあさんは 「わたしゃ 早いとこ死ぬからいい」と返してる

   お二人には 子供さんやお孫さんがいると言うのに… 分からない

 

  

     

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だいじょうぶ2

一見ハデハデに見えるところもあるけれど

本当は けっこう大変なんじゃないかな

 気が付いているかどうかはかどうかは知らないが エライことになっている

 でも 宇宙は人間が好き勝手が出来るほどやわではないし小さくも無い

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「だいじょうぶ!」

テレビや新聞こそないが、できたての湯気の出ている蕨の煮つけやとりたてのサクランボをタケノコを近所からいただき、

畑からもいだばかりのキューリの香りで子供のころを思い出し、窓越しに月や星を見ながら眠りについた数日。
       東京へ帰ってみると相変わらずの情報がいっぱい。

 翌朝、アメリカや中東やヨーロッパの様子を伝える(世界のニュース)も日本と似たり寄ったりで胡散臭い。

 人のまことがとてつもなく小さく感じられ、つい人為や自然の災害に思いが飛んでいる自分。

  「大丈夫!人間も自然や神が生み出したんだ。」

 

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端的に言うと2

昨日は支配構造のトップは財界と記したが、もう少しグローバルな視点から付け加えてみたい。

「ユーロの金融危機」と共に経済活動の主要国であるアメリカ・日本・中国・ドイツの生産の下降が見られ、世界経済の先行きが危惧されている。

 株式や為替をはじめとした数々の市場の指標は世界中の出来事や思惑を中心に殆ど同時で一元的にさえ見える。

 世界の経済は国境を越えた金融界と産業界の関係で動く。

 産業界は金融界からの資金で賄われているからその影響は決定的と言える。

 金融界の中心は金融市場であり、金融市場は貨幣の量で動く。 

 お金が金融市場を動かし、金融市場が産業界を動かし政治や社会を動かす仕組といえるかもしれない。

 要するに、人がお金を動かすのではなく、お金が人を動かし支配するような仕組みが既に出来上がっているのではないか。

こうしてみると、端的に支配のトップが財界や企業に限定出来るものではなく、(国境を越えたお金の力が支配の中核になっているとしたら)トップに見える財界も支配されていることになり経済社会で生きる全ての人間は、根本的に立場に違いは無い。

 同時に地上に生きていることと、共通した立場を認識しないと、争いばかりで新しい時代への出口が見つけられないのではないか。

 

 

 

 

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端的に言うと

諸般の事から、(表向きとは別に)実質的な支配高構造のトップに君臨しているのは財界だろう。

 新勢力がクーデターで真っ先に手中にするのはメディアである。

権力者はそれが表であれ裏であれメディアを手中にしてから支配する。

 権力の最も強い形は、形があるような無いような(有象無象)が最も強いのは歴史が示し支配者や支配層が最も苦慮するところではないだろうか? 現在の世界も大きく違っているようには見えない。

 財界がメディアを手中にし、官僚や政治家を動かし、専門家を操る。

民主主義や主権在民は 時に支配者の道具として使われる。

 権力者がどうあれ良いものは良いのだが、財界は地球に属する財や自然の摂理より当面の利潤追求が任務だから、不都合が起きる。

 

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その時、私たちはいない

子供のころ、物を粗末にすると親から「バチがあたる。」としかられた。

たった6文字の言葉だが、何故か効き目があって、いまだに畳の縁や敷居をまたぐとき咎め、食べ残しが出来ない。

 今は、大量消費の時代と言われ、生活パターンは変ってしまったが、バチの心配はなくなったのだろうか?

地球の財を我先にと奪い合い、消費するのは、バチを言ったりその【意味を解する人】がいなくなったからかもしれないが、バチは人間の意思で下す罰とは違うから、オバマさんも野田さんにも分かりはしない。

「親の因果が7代…小にたたり。」とか言うが

 自然の摂理を無視した現代文明をチェンジしないとバチは孫子の代にあたるかもしれないのに

 素知らぬ顔した我々の厚顔無恥ぶり。

どれだけ権威を持つ人間であろうと、 バチが当たるようなことに手を貸事に政治生命をかけ責任を持つと言われても、その時あなたはいない。

 根本が根本だから、日本も世界も人心が乱れるのは必然で、そんな体制の世の中で我々は生きんがために黙々と働きアクセクしているのかもしれない。

  

 

 

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失敗から学べない

世界経済が競争原理によって成り立っているかのようによく言われる。果たしてそうだろうか?

 経済に(競争)が原理として働いていれば、常に経済の勝者と敗者が存在すことになる。

今日のように、ギリシャだけでなく先進国が軒並み借金で首が回らず、世界経済がそのものが行き詰まり、縮小しているかに言われる世界のどこにどう勝者と敗者が存在してると言うのか?

 (競争は)一定の限定された範囲内では経済や社会を活性化させるとは思うが、その範囲や限界を超えた時、逆にマイナスに働き経済や社会そのものを壊す働きに変化しないか?

 現在の経済や社会はすでに、目的とは逆に作用する段階に入っているように見えるのだが…。

 国の内外に見られる政策や対策は新しい装いで登場しても、目先を変えただけで根本の発想そのものがが古く現状に合わなくなっていないか。

 例      原発・消費増税・東京オリンピック招請・ 大阪都構想・ G20 の金融危機対策・ シリ        ア、    イラン、北朝鮮への 国際的対応 等挙げればきりがない。
        過去の失敗例を見ながらただ繰り返しているだけに見えて仕方ない。

 

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テレビの功

この間 テレビの番組であるデザイナーがある小学校の5~6年生の教室で特別授業をしていた。

 その講師が「自分が最も言いたいことを簡単にメモしてください」の問いに答えて」3分の1位かと思うほどの子どもがその短い文の中に(地球)の言葉を入て書いていた。

 自分の子供時代は勿論、教師の現役時代でも、ちょっと考えにくいことだ。

 ここ数年、テレビでぐるぐる回る地球の映像を見ることが増えた。天気予報やニュースだけでなくコマーシャルでもよく使われているようだ。

 そのせいかどうかは分からないが、あの映像を何回も見ていると頭に深く刷り込まれ、地球をベースに物を見たり考えたりするようになる。その影響ではないかと思った。

 テレビ番組を見る割には文句を言う自分だが、そのテレビで子供たちは

 予想できないほどの空間意識を身につけていたのかもしれない。

  追記    「世界の天気予報」と言いながらが北半球だけしか取り上げないのをを不満思っていたら、2~3日前のどこかのBSで初めて地球全体を映し出してやっているのをはじめて見た。
    ぜひ続けてほしい。 (世界に天気)では済まされない大きな意味があるだろうと思う。

 

 

 

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「また お邪魔するよ。」

何時建てたか分からないような空き家に、時々年取った狸の夫婦が泊まりに来る。

それまで、私たち家族はあの2階を急ぎのトイレに使わせてもらっていたよしみもあって、お決まりの散策コースに入れている。

今朝は、子供3人を引き連れて畑の芋を掘り返した後、あの家へ行ってみたら、縁の下は網が張られ中に入れない。

仕方なく縁の下伝いに歩いて帰ろうとしたら、歩くのもぼつかない1番下の息子が敷いてある板を踏み外し、バタンと音を立ててしまった。

 家の中の、狸じいさんが目をさましたらしく、縁側を開けて見張っている。

 見るとひげこそ生やしているが、息子よりさらに足元のおぼつかないじいさんだったから、いつものように隊列を崩さず私を先頭に、長男~次男~末っ子と堂々と並んで歩き、予定していた、3~4メートルある石垣上りの練習をした。長男や次男は大丈夫だとは思ったが、末子が登れるか心配だったが、

狸じいさんんが見ているからか、見栄もあってか見事に登り切った。

 途中、狸じいさんは「ニャーオ」と猫の鳴き声をまねて脅していたが、末子が登り終えると手を叩いて、見送ってくれた。

 「また、お邪魔するよ」                                     家路に向かう 銀狐にも似た超オシャレなハクビシンの父より

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