情報の流れ

現代は情報社会とも言われる。そこで言う情報は、人や組織が作り発信する。メディアの情報は、大量生産の製品にも似ている、伝達は 、トラック運送のようだ。
どこからどこに、誰から誰に運ばれるか。それは人と人との関係や社会のあり方そのものを表してると言えないか。教師生活40年、教育に関しては地域や時代関係なく上から下への情報伝達が殆どだった。それは学校だけではなかった。目にした多くの情報もが同様だった。上から下へ、中央から末端への流れだっ構図である。教育は医療と同様、子供がいて、そこから発せられる発達の情報にどう答えるかにかかっている。医療や教育は患者や子供の状態如何で発生する営みだ。だから子供と付き合っているとメディアの情報は空中を飛び交っている商品のようだった。
最近、「ゆとりか、基礎学力か、」中にはご丁寧にも、どちらがいいか2者択一のアンケートを採って、結果を世論であるかのように発表した新聞もある。ある機関紙には、基礎学力の低下の原因を新学力観を推進した文部行政に求めていた。私は大人が子供から3間(本来の自然の空間、子供の時間、仲間)を取り上げたことだと思っている。広げて言うなら、家族や地域の共同社会をずたずたにし、人間関係を薄っぺらで、粗末なものにした結果だと考えている。このような設問はメディアには登場しない。それが世論だ。
学力テストについても同様。学力テストで計れる学力、それを比較競争することで、失うもの。それは
真面目な教師だったら、立場に関係なく殆ど承知しているはずだし、子供の声によく耳を傾ければすぐ分かる。ただ漠然とご都合で聞いたり調査するならやらない方がましかも知れない。比喩的だがそれが出来る人は子供に指名してもらうといい。とにかく、情報はほとんど下りだ。登りがなければ下りもないはずなの
に。地方産の新鮮なものはおいしいのに最近は、都市で作ったインスタント物や工場製品が、お店に並ぶ。
田畑が減り、離農が増えるのは当たり前。教育で言えばどういうことになりますか。定年後分かったこと
は、この情報の流れは教育だけではないこと。今日の状況にしたのは情報伝達の結果だとも言えるのにマスメディアを始め、情報を伝える人(当然自分も含まれるはず)にその責任感が感じられない。他人事だ。
そうあってほしくないし、気を付けたい。
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「小さな政府」大きな態度

今日の朝日の朝刊は、(サラリーマン増税)と(小さな政府 骨太方針)の見出しが1面で並んだ。  
 おそらく新聞各紙、テレビ各局のニュースやワイドショウもほぼ同様だろう。国民はこの報道でどんなイメージを描いたろうか。
 多くは、国も老齢化の上、赤字だし、増税は困るが、公務員などの無駄を省くなどして切り抜けるのも仕方ないか と受け止めたのではないだろうか。論調もその様だった。
確かに数字の上ではそうかも知れないが、どこかに違和感を覚えるのはどうしてだろう?
赤字国債の責任がどうの、今後の福祉がどうの。有事の準備がどうの言ってもよく分からないし、始まらないのかも知れない。只思うのは、今のような混乱した状態で、なにか困ったとき、「小さな政府なのだから
自己責任で」と、これまでリードしてきた人たちが言うときは、普通は「済みませんが」と頭に付けて、少々小さなって言うのではないだろうか。新聞やテレビに出てくる人を見ていると、党派や主張に関係なく態度が大きい。JR事故時の役人や報道機関の人たち。アジアの歴史や国際関係を語る人たちも同様だった。あんな大きな態度では庶民や子供達ならみんなから嫌われ、やっていくのは難しい。社会的な関係の前に良心や常識が見えなくなっている。それが言う方も見る方も当たり前になっている。


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「思い」と「事実」

先日、このブログで「株で証明しよう」のタイトルで書いたら,大ボラだったのか、夜中に株の数字の夢を見、喘息発作が出てしまった。慌ててその投稿を削除したら、静かに眠った。気が小さくてしょうがない。
読んだ方には申し訳ない。
ところで、このブログで時々、(鍋ガエル)が登場する。「事実」と「思い」の違いから、気が付かぬ間に茹で上がってまいってしまうカエルになぞらえた言葉だ。
養老さんが言うように人は誰でも脳味噌に映った事実(思い)に従い行動する。思いが事実と異なると、違和感を感じ、ストレスになる。今は、ストレス社会が進行しているとも言われるから、人々の思いと、客観的事実とのズレが大きくなっているとも言える。勿論、一般的全体的なことで、個人差は大きい。
経済、政治、教育、国際関係、自然や地球、子供達や我々のこれからのこと。我々の思いと、実際はどのぐらい違っているだろうか?
先の予想は、株でも何でも、歴史(過去のデーター)と現在の実態からしか考えられない。
どのぐらい事実に即しているかによって正確度が決まるのであって(思い)によるのではない。
論理的に言うとストレスの進行する社会の行く末は、ドンドン意外で、想定外のものになるだろうと言える。目印になるものは多いと思うが、私は大人は(命)子供は(育ち)が中心だろうと考えている。
今、大人は命をどう感じ考えているだろう。そして実態とのズレは? 子供達の育ちをどう感じ考えているだろうか。 そして実態とのズレは?  広がっていると思いませんか。  
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摩訶不思議?

6月11日、朝日新聞 朝刊の社説は「救えた命がある」夕刊1面トップは「うつ自殺予防策研究」と
自殺予防について報道した。私は自殺と不登校については、2年前から新聞各紙を切り抜いている。不思議なことが2点ある。
①朝日の社説の中の1文に、昨年の自殺者数32325人と警察庁発表の数字がある。昨年まではどの新聞も1面トップで大きく取り上げ報道していた。念のため他紙を調べたが今のところ一切見当たらない。勿論テレビは昨年同様、触れない。なぜこんなに昨年までと扱いが異なるのか。この後、報道されるのかも知れないが。
②自殺者数が警察庁と厚労省で年間2000人の違いがある(警察庁が多い)なぜか。

 今日の段階では、ほとんどの日本人は(当局が発表した後だというのに)、昨年の自殺者数もその増減も 原因の内訳も知らないはずである。
 日本の社会にとってある意味で国民が承知していなければならない最も重要な事実ではないだろうか。
 教育では不登校の数字が実態とかなりかけ離れて過去2年間報道され続けている。
 これではそのうち 自殺も不登校も、闇の中に消えるのではないだろうか。情報機器は発達するが
 大切な情報が伝えられるかどうかは、全く別のようだ。私の予想ではそのうち「不登校数減少」と当局の 発表がそのま報道されるだろう。減少理由が「対策の結果、今後も一層努力」という役人のコメントも添えて。(切り抜きを続けていると、メディアの報道もも役人の言葉も脚本通りの感じがする)       軽く書いたけれど、これは、社会・学校・メディア の存在意義そのものが問われることではないだろうか。
 社会的、歴史的な意味や、原因・結果の関係では、JRの脱線事故や高校生の爆弾事件より 大事件だと思 うのです。このような現象が「見ざる 聞かざる 言わざる」から生じたのか(語弊はあるが)「つんぼ桟敷に置く」から生じたかは別にして起きているこの現実。年寄りの取り越し苦労であってほしい。 
 
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新聞のバランス感覚

6月4日の朝日新聞の夕刊の一面トップは、「日本 W杯王手」の大きな見出しの上にこれまた。ゴールの瞬間の写真がでかでかとある。W杯地区予選の第4戦 バーレン戦の結果を伝えた記事だ。サブでは
「敵地で一丸、守り倒す」とくる。私はこれを見て、「ちょっとオーバー」と思った。
ところが、夕刊には珍しく両開きのスポーツ欄は、両面を使い、写真三枚、図二枚と共に詳しい報道。さ
らに、最後の社会面でも写真二枚を入れて、紙面の右半分を占めている。(全紙面で写真6枚)
この報道ぶりに、唖然としてしまった。朝日はスポーツ新聞ではない。新聞は、国民や読者にとって必要な
世の中のことを一応知らせてくれるものだと思ってきた。私もスポーツは好きだが、この報道には新聞として呆れた。加熱を通り越している。恐いものを感じた。どうしても読みたければ、近くの駅に行って買って読む。
これほど、第四戦の結果を知らせる必要があったのか。他に国民の生活にとって、伝えなければならないことはなかったのか。この日だって、統計的には、90人近くが自殺し、12万以上の子供達が登校できず家族と共に悩み、およそ300名の高校生が、学校を中退し、80万の若者が、ニートとして家に引き籠もり、200万人を越える人たちが、職探しをしてる。警察が認知した犯罪は8~9000あったはずだし、逮捕・補導された人も1000人を遙かに越えている。離婚が600、児童虐待と家出は60件は越えている。
外国に目を向けると,連日、飢えと戦争でで何万の子供や市民が死んでいる。地球の温暖化と砂漠化は1日も休みなく進んでいる。
要するに、世の中全体を見ているのかはなはだ心配だ。全体を見ていれば当然、バランス感覚が働くはずだ。紙面はアアはならないはずだ。今日の風潮で,ことさらセンセイショナルにとりあげ、目を引きつけようとするのは商業上あるのかも知れない。しかし、それが結果として国民の意識(世論)を形成することを忘れないでほしい。それはメディアの社会的責任だ。JRでいえば、安全性に当たる。
心理学的にはメタ心理感覚(全体把握の感覚)の喪失であり、下世話にに云うと、メディアの鍋ガエル化だ。翌日のテレビは全局同様の報道姿勢だった。


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