原油高騰

世界的インフレのなかでの物価高と原油高騰とは共通するところもあるが、基本的に原因が違うと考えてきた。3年前、またたくまに、1バレル20万ドルから60万ドルへと高騰した。既に、あの時の高騰は需要と供給の関係が崩れた結果だった。石油資源の限界は時間の問題だった。あれから、世界は石油対策をどうやったか?今回の高騰が現物投機の責任にする論もあるが、投機も品薄でなければ成り立たない。縦割り思考か、原因結果を問わず予知予測しない知性のせいか、お金によって思考が寸断され物事の現実感が薄れたからか、どっちにしろ、惰性や立場に固執し意地を張ってもツケが大きくなるだけ。 原理原則に戻らないと、はじまらないのに、ここに至っても、曖昧にしない真正面からの動きが全く感じない
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ブッシュ氏の竹島帰属発言

ニュースによると、ブッシュアメリカ大統領は竹島{独島は韓国に帰属するかのような発言をしたと報道された。日本政府はは(固有の領土)と主張してきただけいに、重大な発言をした事になる。歴史的経緯はよく分らないが、問題が問題なだけに、今後の展開に注目したい。ところで、韓国は早速『評価する』とのコメントを出したが、日本の態度が分らない。メディアも、政府の態度表明を待っているのか何のコメントも無い。主権に関する国の最重要課題で、大地震のように臨時ニュース問題ではないか。思いがけない意外な展開は情報のブラックホールのけっかだったのか?先の読めない知性のせいか?自分の『意外』の中にも入っていなかった意外な出来事だった。(今のところ)
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テレビコマーシャル

ドラマやスポーツ、ニュースや対談の流れに関係なくお知らのコマーシャルが入る。せっかく盛り上がっていたのに、急に白け、不快を覚えるので昔から途中に割り込むコマーシャルは好きでなかった。昨今の、我々の行動や思考そのものに疑問を感じる事の多くなると、あのコマーシャルは、単に不快で済まされないものがあるのではないかと考える事が多くなった。思考が壊されていないかと心配になる。 心理的に、思考は連想(概念の連合)が脈絡なく想起するのではなく経験や論理など、一定の脈絡を以って脳の中で概念の結合が行われる事を言う。突然の割り込むコマーシャルは、思考や感情の流れをとめるだけでなく、生理的には全く異質のものを挿入させている。
 思考過程は崩れるはずである。
  思考が中断したり崩れるのを、日常としたとき、人の思考力や思考過程が変化しないはずはない。
 少なくても、情報に対する、現実感は薄くなる。 この辺の科学的研究もあるだろうとは思うが、現実感の薄れた言葉や行動を見ていると、直感的に、マンガと現実をあいまいに行動する子供に似たものを、大人にもかんじる。いつのまにか、我々は縦割り思考や思考の断続が普通になっている生活空間の中に、放り込まれているのかもしれない。

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昨夜の芝居

昨夜妻や友達と定例の観劇会で『ルーム・サービス』を観てきた。芸術祭大賞を受賞したと言う傑作コメディと名売った、ハリウッドの演劇にまつわる八どたばた喜劇だった。無念にも、2時間半近い公演の半分近く眠っていた。後半は目を醒まし見たところはさすがプロと思わせそれなりに楽しんだ。見終わってやっぱりすっきりしなかった。追っかけをやった素人のミュージカルは何度見ても眠るどころか全身歯熱くなリ、力をもらった。見ているうちに舞台の上も下も、舞台中もオワってもミュージカルは続いている感じだった。その感じにならない。昨日のは、演技を見せてもらった感じだった。ミューージカルは、一人ひとりの人間を見た感じだった。そして、いつのまにか自分もそのh鳥になっていた。昨日の舞台は演技を除いたら何が残るだろうと思ってしまった。勝手な独断で、人知れぞれだから、一概には言えないが、曖昧にはしたくなかった。昨日のは、テレビを生でみたのと違わず、主人公はタレントや、俳優だった。反対の関係にならないのか?あれでは長い目で見て、演劇離れ、テレビ離れが起きても仕方ない。
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this week

毎日、BS放送で世界のニュースやアメリカの政治座談会(this week)を見ていると、何となくだが、日本のメディアはアメリカの感覚に近いと感じた。
何でそう感じたのかを少し追って見たい。
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WTO交渉決裂

「米と中印ゆずらず」「自由貿易体制に打撃」の見出しがついている。世界の経済的国益の違いが明らかになる会議。国際的日本の立場や、自給率40パーセントをきり、選挙も間近い日本政府にとって関係者はさぞかし、苦しい会議だったろう。アメリカは農産物の大輸出国。食料に関しては、日本は最たる輸入国。農産物貿易の自由化の上に成り立っているが、国として、食糧安保は欠かせない。決裂するまで、連日報道され、官房長官談話が出されるほど、注目されていたのに、日本にとってどういう事になるかは、紙面を2面使いながら、何もかかれていない。見出しのように、他人事になっている。このように、大事な事が報道されないから、問題が隠され、結果を見て驚かされ、策に窮するころになる。いつものパターンと言えばそれまでだが‥。「報道しない情報」も報道の一つの手法のように用いられてる感がある。
 デマや語感による誘導と合わせて、知らされない情報のあることも、情報環境として知っておかないと、意外な事が次々起きる事になる。
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庭のドラマ


           

狭い庭だが、様子は次々変わる。   
 
あまり手入れをしないので、ここへ来て草ぼうぼう。居乍らにして、ジャングル。
 
  朝からたくさんすずめがやってくるが、このごろは猫も、絶好の猟場と思ってか  やってくる猫も増えてきた。

   今朝も、新しい白黒の飼い猫のようなのが身を潜めていた。   

     すずめはそれに気付き、慌てて一斉に飛び立った。一匹は家の素透しのガラスにコツンと、ぶつかったが、まあ何事も無かった。庭に出て猫を棒で追い払ってやった。
 
   ジャングルの中に、大きなみかんの木があり、緑色のピンポン玉大のが20個ぐらいなっている。すずめの隠れ家にもなっている。

    近所のおばさんも時々足を止めて見ている。
     網戸のこっちからは、我々が見ている。 
                                                                    

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知性のついでに

先を予知できる知性と、予知できない知性のあることを書いたが、こじつけの感が無くもないが、現実にはもう一つ知が病んだ 【痴】がある。
 駄洒落的だが先の見えない知がさらに悪化して「痴」になるのではないか。
 このところ頻発している無差別殺人をする人の人格の状態は【人格の壊れ】だと考えてきた。だから、知の状態は痴と表現してもいい。
 敢て、ここで補足する気になったのは、事件が起きるたび、コメントする識者が壊れていない人格、やまいだれの付かない知の感覚で論じている事がずーと気になっていたからだ。「身勝手、事故中心、甘え、」など、壊れていない病んでいない人の目線で物を言う。中には社会的背景を指摘する人もいるが、一般論にとどまっている。まさにあれが今日の知なのかも知れないが、解決に向かうはずが無い。
 メディアの報道そのものが他に伝染させ広げるかの論もある。逆説的いえば、取り上げ方を振り返らない自己中心性と、
 痴を煽り広げるならメディアが痴的になっていることを意味する。
 先を予知予告できる本来の【知】、予知できない【知】、壊れコントロールできない【痴】の3っつは別々ではなく、社会や個人の中で連続した知性として存在していると思う。
      だから、油断大敵!
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知性

仮に、【知性】を【先を見る力】だとすると、それは今どうなっているだろうか?
 温暖化や世界の経済危機をはじめ問題が大きくなって、手に余すような状況になってから人々は知り、対策に苦慮している。

 内外の社会が抱える多くの問題がそのようだ。
 例えば、サブプライムローンから発したとも言われる世界の金融不安や景気後退は、焦げ付きが明らかになった昨年の夏以前の何年にも渡って、金融の乱脈な貸し出しがあったはず。その間、世界は好景気に沸き(日本では「いざなぎ以来の好景気」)焦げ付きや、今日の不況を予知し、予告する者はいなかった。
 日本の不良債権によるバブル崩壊の時もも同様だった。
 後期高齢者医療保険の問題も、2年前に国会で法制化されていたのに、問題になったのは、実施されるこの春になってからである。
 「消えた年金」も、急に消えたわけではない。
 資源、食料、物価の高騰、少子化、自殺、孤独死、学校不適応児の増加、学力低下、どうなってるの?と驚くような親族や無差別の殺人。
 
 
挙げれば切がないほどで、結果を見て騒ぎ、対策らしい対策は立てず(立たず?)問題をこじらせ長引かせている。
 
  【知性】が、現状を論理的、科学的に把握し、先を予知、予告する力だとすると、我々の知性はどうなっているのだろう?
 全体的に見て、状況に知性がついて行けないでいると言えるのではないだろうか?

 
  世界の国々はどこも経済成長を求めているようだが、本当に社会や一人ひとりに今求められているのは【知性の成長】ではないだろうか。
 お金や力で問題を処理しようとしても、知性が働かない結果は、今日の現実が十分見せてくれている。

 今、誰でも、全ての人に求められているのは知性であり、我々は自らの知性を磨き、その力を社会に蓄える事だと思う。

 とかく、知性は高学歴のインテリや専門家が持っているかのように受け取られがちだが、そのような予知できない知性?が今日を招いたのだから、本来の予知できる【知性】とは似ていても別物。

先に、(論理的・科学的)と理屈っぽく書いたが、元々は生まれながらに親からもらった感覚だと思う。
 今日言われてる学力や教養は本来の知性とは関係なく、むしろ、(今日、見られるように)、本来の知性を曇らせる危険すらある。
   よっぽど気をつけないと、知らぬ間に勘違いしている。

  ブッシュ氏や竹中氏が『ウオール街は酔っ払っている。」との公言は、自らの立場をも忘れた泥酔のようで論外

   先を見ながら歩けるように、勘違いしないように、心して‥そして、心して。

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続 縦割り思考

前の、「縦割り思考」を書き足したい。
 世界同時の物価高騰や景気の後退は、1年前誰が予測し、語っていたろう?
 少なくてもG7や日本政府は、かつてない好景気で底堅いと景気判断し世界に公表していた。
 経済は人知の及ばない自然災害とは異なり、社会現象である。
 我々の立場を守る、縦割り思考の中で、見落としていたと言うより他ない。
 
 今朝の朝日新聞は、学校教育への世論調査結果を、多くの紙面を使い特集のように扱っていた。
 学校教育への信頼が数年前より増している、というものだった。しかも、高学歴で子供を塾などに通わせてる親ほど、信頼度が高い。(個人的には
高学歴人種の嫌なニオイを感じる‥)
 この世論調査の結果を、読者はどう読んだだろう?
 
 不登校や発達障害等の学校不適応児・生徒は統計的にも増加の一途をたどり、青少年の犯罪など後を絶たない。
 この中にあって、学校教育(この場合は先生個人ではなくシステムを意味している。)を信頼すると言う、その信頼とは何だろう?
 教師経験から言っても、人間である自分と子供達を信じ,私事を犠牲にしても励んで来た。システムはあくまでシステムであり頭からシステムを信じるのはある意味で教育の責任放棄だと考えてきたし、今も変わらない。
 
 しかも全国的に教育のシステム障害とも言うべき現象が相次いでいる。信頼すると答えた人の縦割り的思考(蛸壺的と言ってもいい)を思わずにはいられない。

 それどころか、ベネッセ(大手塾)と協同してやったこの世論調査そのものに疑問を持った。この調査の質問は何を明らかにしようとしてやったのかがわからない。 もともと、教師が子供に、学校や先生に対する信頼や授業後、「分りましたか?」と尋ねるのは非情に野暮で、まともに答えがが返ってくるはずがない。子供にはえらい迷惑な質問だ。


 
 結果的かもしれないが、この調査は世論調査に名を借りた、商品(行政サービス)や宣伝の浸透具合を見る市場調査や次の商品販売(夏休み減、土曜日授業等の授業増策)への世論誘導的な役を果たしかねない。 

これでは、学校教育の荒廃は仕組み通り、暫く、さらに悪化するのは仕方ない。
 
関係者が、気が付いていないだけで、善意こそあれよこしまな動機があるとは思わないが、
 それだけに、縦割り思考と、縦割り的な行動の怖さを感じる。
 
  経済でも教育でも縦割り的には、何一つ存在しない。これでは対処できるはずがない。

教育の統計と、子供の顔に書いてあるのを見れば、誰でも分る。  

 

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