踊ってる

  
 今日は朝から新聞もテレビも円高対策の効き目のなかったことと、民主党内の主導権争いでもちちきりのようだった。

  この2つは 大騒ぎするほど 今の日本にとって重要な問題だろうか?

 話されてる内容は両者とも (今さら‥)の感がなくもないが、仮に取り上げるなら
 「どうしてこのようになったのか?」を考え「(メディアを含め)これから、どうしたら良いか?」を探れば良いと思うのだが、その観点を見出すことができない。
 政治も国民もメディアに合わせて踊っているようだ。
 
 
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狭い認識


国別に見ても、日本は特筆した方が良い。
 敗戦と奇跡的とも言われる経済復興、そして「経済的敗戦」とも言われる今日の危機を迎え、ある意味で世界の先がけの位置にいる。
 午前中は政治討論会、午後は市内で行われた「地球に生きる学力」の教育フォーラムに参加した。
 それぞれ知らなかった知識や自分にはまねのできないような実践に学ぶところは沢山」あったが、考え方は違っていても論じている人たち全てに共通したものを感じた。
  政治経済を語る与野党や学者たちは 随所に【グローバル経済】が登場し、教育フォーラムは 文字通り{地球に生きる学力」が登場するのだが、話している中身は いずれも地球を感じさせない狭さを感じた。
経済は日本から見たグローバリゼーションであり教育の「地球に生きる‥」も双方の国の歴史を俯瞰するものだった。
 世界を超えて敢えて(グローバル)や(地球)を使う意味はどこにあるか?
  宇宙に浮かぶ大自然の球体をはっきり背景として認識した上で語ればいいのにと思う。
   特筆すべき日本の役割はそこではないか?
  今は、実質を伴わない言葉使いだが、仕方ないのかなとも思う。

 
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混乱させてるおおもとは?

  検察や裁判所が 必ずしも正義でないように、マスコミも正義や公正さから大きく逸脱してるのは稀なことではない。むしろ戦前の日本の翼賛的な体制作りに新聞やラジオがその重要な役を果たしたように
 今は 世界中が軍事態勢だけでなく経済や政治の体制をもメディアを使ってコントロールしているようだ。
 権力が権力構造に位置しない中にあってはメディアのマスコミが権力を代弁しているかのようだ。
 日本においてはマスコミが大声で 消費税、法人税、金融緩和、為替介入を催促し、 政局は(小沢対マスコミの)様相すら呈している。
 「こんな時期に党内抗争をしている場合ではない」と正論ぶって批判しているマスコミは、
 批判のブーメランは自分に戻らないか?と思う。

 よく被害者と加害者が取り違えられるように、政治や経済を混乱させている大もとと、混乱させられているところが、逆になっていてもおかしくはない原因と結果で言えば、むしろ一般的かもしれない。
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 すっきりした見出し

  
 「 GDP信仰、見直す好機」を見出しに、「経済敗戦の年」を副題にし編集委員の経済記事があった。久しぶりにすっきりした分かりやすい解説だった。
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『説明責任』


 【政治とカネ】で総理を引きずりおろし、小沢氏の政治生命をも絶つが如き「説明責任」をメディアと国民が求めた(求めている)のに、【消費税引き上げ】の妥当性はどれだけ説明されているだろうか? 【消費税引き上げ)が日本の経済や景気、国民生活や社会保障のためになるとどれだけ+説明されたか?  益することを前提にした政党やマスコミのリードで大半国民までもが賛意を表している。
 どんな政策も仮説による「社会実験」の要素」の側面を持っているにもかかわらず、どれだけ論理・科学的な正当性や妥当性が説明さてきたか。 経済をさらに悪化させると考えてる著名な経済学者も少なくはない。
 1度、益すると考える学者と害すると考える学者の(政治的でない)社会科学の対象として論理的・科引学的で冷静が議論が聞きたい。
 
 
  多くの国民は理由がわからないまま(賛成・反対)の意思表示をし行動しかねない。。
  特に、マスコミは安易に太鼓もちやそれと裏腹にする潰し屋、壊し屋に堕せず、公正さや情報の妥当性には配慮した方がいいのではないか。 
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 「政治」依存?


崩れが 政治だけでなく社会のいろんな分野の隅々にまで及んでいる時、すべての人間活動の文化的意味を考えたら、その建て直しは 政治はもとより社会のあらゆる分野で担った方がいい。
  一人ひとりが社会に深く組み込まれている中にあって人々は社会の仕組みから政治の責任に期待するのは尤もだが、そんな吞気に言っていられるほど社会の状況に余裕があるようではない。
方向を見定めて、誰もができるところから動くのがいい。少なくても自分や家族の身を守ることだけでも。
 (特にテレビを見ていて、登場する人たちにも家族があるだろうに、なぜ?と思うことがよくある。よっぽど…ではないか?)
 政治家も慌てて部分的な政策を並べ事態をこじらせるより、じっくり文化全体(人間活動全体)を見通して進むべき方向を模索してほしい。落ち着いてじっくりやるのが1番。
   
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 マッチポンプは危険

 
    
  例え話しだが
 
    教室で子供を傷め 相談室にカウンセラーを置き、保健室で介抱するのと同じような事を 
  
    世界中でやっていないか? 

    傷ついた子供が増えているように 

      もともと、国や世界がやってる事がおかしいければ、少々手を打っても社会は       良くならない
       
マッチポンプは面白いには面白いが‥子供のやるものではない
            
       
                 
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 国境線

     
     4~5万年前南の大陸から人類は国境を意識せず移動した。


        今も地球に国境線はない

      テレビも新聞もそこにいるお前さんも 国境線を入れて物を言う。
   
      ちょっとしたら、国境線を抜いて物を考えれれないかもしれない
   
         国境線は人の平和や幸福に+?-?

      (そこは 子供たちに教えてこなかった)
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投機マネー

 
    「世界の為替市場には投機マネーが200兆円は流れている。」と言う。
    ロシアの小麦の禁輸の直接的影響より小麦の先物市場への投機マネーの流入が小麦の価格を上げているらしい。
一体全体、世界の市場を動かす投機マネーはどのぐらいか?
  関心を持っているがただの1度も報道された事がない。この数字が分れば、各国は経済対策が立て易く、経済の先行きの見当もつけやすくなるはず。
 仕方ないから殆ど根拠無く勝手に5~6000兆円かと思っても見たりするが、何故その辺の事を明らかにしないのだろう?
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 芝居が今一


     
    芝居鑑賞の会員数が減っているとは聞くが、実際芝居の会場でもそれを感じる事がある。
 
   高齢化や社会の変化もあるとは思うが、
   全体的に芝居の訴えるものが{芝居観賞用}とでも言えそうなものになっていないか。鑑賞している自分全体を包含する広さと切迫感を今一感じない。

   しかしこの感覚は芝居だけでなく他のものにも時々感じる。
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