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どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

御礼 について 紀伊民報 読者の欄に掲載されました

2025-03-15 00:17:00 | 日記

紀伊民報2025年(令和7年)3月15日付 読者の欄
御礼

御礼 6-1

御礼 6-2

御礼 6-3

御礼 6-4

御礼 6-5

御礼 6-6

御礼 白浜町 山根康民(会社員・54歳)

 2月22日付の本欄に東百合子さんより、私が昨年11月18日、
原付きバイク運転中に遭った交通事故についてお見舞いの投稿を頂きましたが、
ご心配くださり本当にうれしく思います。
心より御礼申し上げます。

 もしかしたら、他にも気に掛けていただいた読者もおられたかもしれませんが、
事故の後遺症もなく元気に過ごしております。
皆さまありがとうございます。

 今回の事故では、東さんがおっしゃる通り
相棒(原付きバイク)に助けてもらったと思っています。

 衝突した瞬間は、鮮明に覚えているのですが、前方に飛ばされ、
路面にたたきつけられるまでの間の記憶はなく、
横たわった状態から目を開けると、
歩行者用信号機を下から見上げていました。
しかし痛みのあまり体を動かすことができませんでした。

 事故の割には、比較的軽く済んだことに感謝するとともに、
後日お墓参りをしました。

 そんな私の新しい相棒(原付きバイク)が、
1月30日に納車されました。
 
 今回の相棒は、3台目になりますが、
前の相棒で使っていたハンドルカバー、
リアボックスをバイク屋さんに取り付けてもらいました。
年季が入って古いのですが、新しい相棒にも受け継いでもらい、
これからも一緒に旅を続けたいです。

 またその模様を皆さまにもお伝えできればと思います。
最後に、東さんが原付きバイクで買い物に行かれているとのことですが、
私も年齢を重ねても原付きバイクに乗れるよう体に気を付けて、
東さんの後に続きたいと思いました。


文中に登場する東百合子さまの投稿内容については、
紀伊民報の有料会員の方は、下記よりご覧いただけます。
https://www.agara.co.jp/article/466852?rct=koe
⇧「相棒」を書かれた山根さんにお見舞い

なお会員以外の方は、下記サイト内にある
有料会員登録から手続きをして頂ければと思います。
電子版にご利用登録後、ログインして全文をご覧頂けます。
https://www.agara.co.jp/kiiminpodigital/info

深谷隧道の土木学会選奨土木遺産への応募断念について

2025-03-13 23:15:04 | 日記
3/13、2024年度 土木学会選奨土木遺産に由良洞隧道を推薦して頂きましたが、
結果は残念ながら認定には至りませんでした。
https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/0cc2911b059327f8238a81c865af7ec0
⇧由良道隧道について 紀伊民報 読者の欄に掲載されました
紀伊民報2024年(令和6年)10月12日付 読者の欄

この事は、当ブログや紀伊民報 読者の欄を通して広く皆様にお伝えさせて頂きました。
由良洞隧道は残念でしたが、タイトルにある深谷隧道(田辺市:旧大塔村)について、
選奨土木遺産に推薦したく道路管理者である田辺市さん(土木課)に打診したところ、
残念ながら推薦の前提となる「同意」を得られることが出来ませんでした。
以下が田辺市さんに送ったメール内容になります。


タイトル:田辺市鮎川にある深谷隧道の土木学会選奨土木遺産への応募について

突然のメール恐れ入ります。
早速ですが、タイトルにある深谷隧道について、
土木学会選奨土木遺産への応募について考えております。
https://committees.jsce.or.jp/doboku_isan/
2025(令和7)年度 土木学会選奨土木遺産の候補募集(公募)

https://www.jsce.or.jp/contents/isan/kansai.shtml
関西の選奨土木遺産

過去に由良町にある由良洞隧道(明治22(1889)年開通)について
個人で応募しましたが、審査の結果、認定には至りませんでした。
https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/0cc2911b059327f8238a81c865af7ec0
⇧由良道隧道について 紀伊民報 読者の欄に掲載されました
紀伊民報2024年(令和6年)10月12日付 読者の欄

深谷隧道について、以前から選奨土木遺産としての価値があると考えていますが、
応募に際して道路管理者である田辺市さんの同意が必要となります。
提出に関する書類作成については、私の方で作らせて頂きますので、
田辺市さんに負担を掛ける事はございませんが、
下記の公募候補推薦調書にもございますが、
管理者連絡先(同意を得ている担当部局・担当課・係名まで記入)となっております。
この点についてご協力の可否について、教えて頂けると幸いです。
よろしくお願いいたします。

https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/18d5b383a06309ef2aac342a26180e3f
⇧深谷隧道を訪ねて

https://committees.jsce.or.jp/doboku_isan/system/files/R07koubo.docx
2025年度 土木学会選奨土木遺産 公募候補推薦調書(申込書)

追伸
田辺市さんとして同意(協力)が難しい場合、
それは仕方のない事ですので、何ら問題ありません。
2025(令和7)年度 土木学会選奨土木遺産の候補募集(公募)の締め切りが、
2025年3月21日(金)必着となっていますが、
令和7年度に間に合わそうとは思っていません。

この件についてご連絡を頂ける場合、出来ればメールで頂けると助かります。
電話の場合、仕事中ですと出られない。または短時間しかお話し出来ない可能性があります。



以下、田辺市(土木課)さんからの回答より一部抜粋

平成26年度のトンネル定期点検においてⅢ判定
(早期措置段階:構造物の機能に支障が生じる可能性があり、早期に措置を講ずべき状態)でありました。
そのため平成29年より常時通行止めとしており、トンネル坑口部には立入防止のフェンスを設置しています。
このような経過がございますので、道路管理者として深谷隧道内への立入りを許可することは致しかねるのが現状です。


上記回答に対して短いのですが、
御礼の気持ちも込めて、以下の内容で返信させて頂きました。

〇〇〇〇さま

お忙しいなかご回答頂き、ありがとうございます。
個人的には、とても残念な思いですが、
道路管理者さまの同意が得られない以上、仕方ありません。
ありがとうございました。

山根康民


今回、深谷隧道を選奨土木遺産へ応募する事は出来ませんでしたが、
私の思いとしては、以下の読者の欄にまとめられています。
https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/18d5b383a06309ef2aac342a26180e3f
⇧深谷隧道を訪ねて
2018年(平成30年)7月14日付 紀伊民報 読者の欄に掲載されました。

以下、掲載文面

最近、原付きバイクで山間部を走る事を楽しんでいます。
そんな中、子どもの頃、祖父に連れられ三川のダムへ行った際に通った
深谷隧道(ずいどう)=田辺市大塔地域=のことを思い出し、現地へ向かいました。

今では立派な深谷トンネルが開通していますが、
深谷隧道への旧道の路面には所々に落石もありました。
原付バイクは、小回りが利くので、トンネル入り口(鮎川側)まで行けましたが、
フェンスが設置され、中に入ることはできませんでした。

残念と思い、周囲の写真を撮りました。トンネル上部にある扁額(へんがく)には、
少し見づらいですが右書きで「祖國再建」と書かれ、何となく重々しい感じを受けました。
今度は、反対側の深谷側からトンネルへ向かいましたが、
こちらの扁額には、左書きで「深谷隧道」と記され、
近くには真砂久一氏頌徳碑(しょうとくひ)が立っていました。

子どもの頃、深谷隧道の記憶といえば“雨の降るトンネル”でした。
トンネルの中なのに、車のワイパーを動かすことが不思議で子ども心に印象に残っていました。
扁額にあった「祖國再建」と真砂氏が気になり、県立図書館で調べました。

大塔村誌以外にも古賀寛著「深谷隧道物語」、そして石碑に記された真砂氏本人の著書
「深谷林道築設当時の思い出」があり、それぞれ読みながら涙が流れてきました。

深谷隧道は1943年10月、太平洋戦争の最中に着工され、49年3月完成。
長さ(641.5m)は当時県内一でした。
開通により、当時の三川村に来たトラックを初めて見た学童が、歓声を上げて集まったとあります。



戦中、終戦、戦後という激動の中、しかも資材がほとんどなく、石のみと金づちによる手掘りであったこと、
想像を絶する困難な状況や社会背景を知り、祖国再建への願いが込められたと想像します。
このトンネルが三川村へ近代化という大きな光を届けた功績は、
近代土木文化遺産に値するのではと思います。


参考:文中で紹介しました著書は、和歌山県立図書館以外にも
田辺市立図書館でも閲覧できます。


最後に深谷隧道について、もっと早く行動(平成29年以前)
していれば良かったなぁ…とも思いましたが仕方ありません。
自分で出来る範囲のことはやりました。
深谷隧道について、後年また新たな形で、
近代土木遺産としての価値が評価される事を願います。

由良洞隧道パトロール

2025-03-10 22:22:51 | 日記
3/10、お昼からお墓参りをして、由良洞隧道パトロールに出掛けました。
前回ブログで、大阪市にある日本銀行大阪支店見学を紹介させて頂きましたが、
その後、雨が降って相棒(原付バイク)と出かけられなかったり、
愛車(軽自動車)がエンジントラブルに見舞われ、
買い替えをせざるを得ない状況になるなど、
色んな事が重なってしまいました(◞‸◟)
車については、後日改めてお伝え出来ればと考えています。

さて今回は、由良洞隧道パトロールについてお伝えします。
おやっ迂回推奨の看板が横向きになっています。

これまでは、由良洞隧道へ向かい車両に対して正対していましたが、
何回も倒れる?ので、ガードレールに固定したんでしょうね。

まぁ、この方が倒れなくて済むと思いいます。
道路維持管理の方も大変ですね💦

何度かこちらのブログでも紹介していますが、由良洞隧道への道は幅員狭小、
ガードレールも殆ど無く、落石、枝木の落下多数あります。

とても走りにくい道ですので、県道とはいえお勧め出来ませんのでご注意ください。

さて由良洞隧道へ到着

ここから見ても落書きが見えるので辛いです((+_+))

デリニエーター(視線誘導標)付近
前回パトロール時より、斜面からの土砂流入が増えています。

右側(法面側)の土砂が増えています

由良洞隧道坑口付近

斜面(法面)から排水路への流入土砂はある意味仕方ないですね

流入土砂が増えると排水路が狭くなり、雨水の排水機能が低下するので、
そう遠くないうちに鍬(クワ)等を用意して、
溝普請(みぞふしん)をしないといけないなぁ…と思いました。

私が子供の頃は「みぞぶしん」と言っていましたが、
「ふ」と「ぶ」の言い方の違いだけで意味は同じです。
http://www.asahi.com/area/wakayama/articles/MTW20150814310610001.html
⇧朝日新聞デジタル 水文化編:10 溝普請
和歌山県上富田町生馬

まぁ溝普請のように地域の人が寄り合って行うのではなく、
私の場合、1人なので「一人溝普請」になります(^^ゞ

由良洞隧道坑内の様子 ここ数日、まとまった雨が降っていないので、
それほど問題は見受けられませんでした。

小さな水溜りはありますが、坑内が冠水する事もなく問題ありません。

同地点から縦に撮影

前回より、排水路への土砂流入が増えていますが、
パトロールでも雨が降っても水が流れるだけの水路幅はあります。

坑内から西側排水路を写す。
こちらも排水路上に障害となる落石等は見受けられませんでした。

今回のパトロールでは、先程も触れましたが、
流入土砂が増えてきたのでタイミングを見て、
土砂撤去の溝普請を行いたいと思います( *´艸`)










日本銀行大阪支店を見学してきました~見学編

2025-03-02 00:16:48 | 日記
2/25、大阪市にある日本銀行大阪支店を見学に行って来ました。
https://www3.boj.or.jp/osaka/about/access.html
⇧日本銀行大阪支店アクセス

13時05分に到着しました。
受付開始が13時20分からですので「少し早かったかなぁ?」と思い、
警備員さんに「見学に来たのですが、少し早かったですかね?」と告げると
名前を確認後、門をくぐり敷地内に入ったのですが
「ここから先は撮影禁止となっております」と指示があったので
撮影が許可された場所以外での写真はありません。

少し歩いてロビー入口の警備員さんから
「あちらのソファーでお掛けになってお待ち下さい」と言われ、
やや緊張した面持ちで?座って待つ事にしましたが、
この時、私が一番乗りでした。
しばらくすると見学者の皆様も揃い、時間となったので
移動して見学者用の視聴覚室?へ向かいます。
その際、名前および身分証明書の提示(確認)、
そして所持品検査(カバン等の中身の確認)、
金属探知機ゲート(空港の保安検査と同じようなタイプ)をくぐります。
https://www3.boj.or.jp/osaka/guide/tour-index.html
⇧日本銀行大阪支店 見学のご案内

入館に伴うセキュリティチェックを受けたあと、
視聴覚室と言って良いのかなぁ?見学者の皆さんが着席しました。
この時の見学者は男性4名、女性5名の計9名でした。
参加者の年代的には、私と同年代の中高年の方が殆どでしたが、
女性2名は学生さんでしょうか?若い方もいらっしゃいました。

最初に見学案内係のスタッフさんから、見学に関する注意点等の説明があり、
その後「くらしとつながる日本銀行」DVDを視聴しました。
視聴後、移動して新館2階にある営業室と呼ばれるホールへ移動して見学しました。
一般の銀行窓口と同じような雰囲気ですが、
日本銀行では一般の人は口座を開設する事が出来ません。
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/kess/i08.htm
⇧日本銀行には誰が預金口座を開設していますか?

日本銀行に預金口座を開設している先は、主として金融機関等です。
このほか、国、外国の中央銀行や国際機関などが預金口座を開設していますが、
個人や一般企業からの預金は受け入れていません。

しかし個人でも見学以外で日本銀行を訪れる事も出来ます。
それは、損傷したお金の引換えです。
何らかの事情で損傷(破れ、火災等で焼けた等々)した
現金(貨幣、銀行券)を引き替えてくれます。
但し損傷したお金を持ち込まれる際は、事前に電話等で予約をする必要があります。

新館での見学を終えて旧館へ移動しました。
ここからは撮影が許可された場所での写真を紹介させて頂きます。
最初の写真は、階段室です。
https://www3.boj.or.jp/osaka/guide/guide03.html#p1
⇧日本銀行大阪支店 階段室

以下、階段室サイトより引用
階段室は、旧館2階、記念室の南隣に位置しており、歴史的史料保存のため、
正面内玄関と階段を旧館建設当時の部材を再使用しながら復元している部屋です。

明治36(1903)年の建築当時は、御堂筋に面した正面玄関を入りコンコースを通ると、
その奥に内玄関と階段が続いていました。
当初は、内玄関と階段アーチ部分のいずれも、御堂筋に対して平行に設置されていたのですが、
限られたスペースにできるだけ多くの当時の建築物を残すために、
改築後は南側へ90度左回転する形で位置を変えています。

階段は柱を用いず、アーチを用いて重量を支える構造となっています。
また、階段の手摺や飾り欄間のほか、梁や柱にも優れた技巧により精密なデザインが施されています。

ここからは、階段室に展示されていたパネル写真になります。
上記写真は、旧店舗全景(明治40年頃、手前は淀屋橋)

この小さな橋が淀屋橋((+_+))
という事に驚くと共に、前回ブログで紹介させて頂きましたが、
現在の御堂筋へと拡幅計画をした当時の大阪市長 関一氏の先見の明に感銘を覚えます。
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000239175.html
⇧大阪市 御堂筋の歴史

昭和12年開通した御堂筋ですが、当時の人々が幅員約44mという広さ
「市長は船場の真ん中に飛行場でもつくる気か」と思った気持ちは理解出来ます。
これだけ広い道路を今の時代に都市部につくる事は、
ほぼ無理かと思います。
ある意味、将来を見据えた都市計画の重要性を感じます。
道路の話になると、つい脱線してしまいます(^^ゞ

旧店舗玄関ホール(明治40年頃)
天井からのシャンデリアがスゴイですね。

旧店舗ロビー(明治40年頃)
写真を見て「威風堂々?」そんな事を感じました。

https://www.youtube.com/watch?v=PIgb1MuXf4I
⇧YouTube動画【音楽】 行進曲「威風堂々」第1番 ~海上自衛隊東京音楽隊~
威風堂々(いふうどうどう)の曲をご存知ないという方でも、
途中(2分過ぎ)から「あっ、聞いた事ある」と思われるかも知れません(^^ゞ

旧店舗ロビー(明治40年頃)

旧店舗ロビー(昭和期)

旧店舗貴賓室(明治40年頃)
ヨーロッパの宮殿内部みたいですね。見た事ないけど(^^ゞ
階段室に展示していた写真は以上になります。

このあと記念室へ移動しました。
https://www3.boj.or.jp/osaka/guide/guide02.html
⇧日本銀行大阪支店 記念室

以下、記念室サイトより引用
記念室は、旧館2階、ドーム型屋根の真下に位置しており、
かつて貴賓室と呼ばれていた応接室を、
建築当時の部材を再利用しながら復元しています。
当時は、歴代の支店長がお客様を迎えるために使用していました。
床、壁布、カーテン、シャンデリアは新しいものですが、
壁面の彫刻、扉、ステンドグラス、装飾用のマントルピース
(本来は薪をくべる暖炉の焚口の上部や周辺を装飾するもの)は当時のものがそのまま使用されています。
見上げるとドーム天井とステンドグラスがあり、非常に趣のある部屋となっています。

記念室の内装には、随所に最高級木材と称されるチーク材が用いられており、
明治時代のすばらしい彫刻が施されています。

記念室の天井は非常に高くなっており、ステンドグラス、レリーフ、
様々な彫刻が施されているチーク材によって装飾されています。
また、シャンデリアも吊り下げられています。

重厚感のある扉の上には、ステンドグラスも見えます

ステンドグラス拡大

テーブルと椅子がありますが、映画に登場する?大金持ちの食事(会談)シーンに出て来そうです。
このような明治期のイスやテーブルが保存されているのもスゴイです。
このあとテーブル上に置かれている写真を紹介させて頂きます。

日本銀行大阪支店旧館の外観
今、私たちは写真中央のドーム下(記念室)にいます。

写真ですが、真上から撮影したかったのですが、
ラミネート加工されているため光が反射して見辛くなる事と、
貴重なテーブルや椅子にあまり近付き過ぎるのもどうかなぁ…という思いもあり、
手前から斜めに撮影しました。

日本近代建築の父とも呼ばれる辰野金吾(たつのきんご)
名前を知らない?という方でも、東京駅 丸ノ内駅舎の赤レンガ駅舎を設計した人!と聞けば、
あっ!とお気付きになるかも知れませんね。
https://ontrip.jal.co.jp/tokyo/17312852
⇧JAL 近代建築の父・辰野金吾。
東京駅や日本銀行本店など全国に遺る7つの名建築をめぐる


この「めだまマーク」は、「日」という漢字の古代書体の一種で、日本銀行の行章(マーク)です。
実は、このマーク皆様の👛お財布に入っているお札の裏面にあります。

椅子 このイスに座った人達によって、
日本銀行の金融政策について議論されたんでしょうね。

見学時、案内して頂いた職員さんから
「イスを触る事は出来ますが、座る事は出来ませんので…」と
やんわりとした口調で説明がありました。

先程の撮影場所から対面に移動しました。

レリーフ(東)<記念室正面天井>

レリーフ(西)<記念室入口上部天井>

レリーフ(北)<記念室左手天井>

レリーフ(南)<記念室右手天井>
https://www3.boj.or.jp/osaka/guide/guide02.html
⇧日本銀行大阪支店 記念室
上記レリーフについて以下引用

天井に掲げられているステンドグラスの間には、4枚の木製レリーフが配置されています。
上半分には伝説上の鳥「鳳凰」が、
下半分には日本の日という漢字の古代書体の一種(篆<てんしょ>体)をデザイン化した、
「めだま」のようなマーク(日本銀行の行章)が彫刻されています
(お札の裏に印刷されているマークと同じです)。
4枚のレリーフは、全ての彫刻の模様が異なります。
写真は天井東側、鳳凰が正面を向いているデザインのものです。

再掲、テーブル上にあった写真を紹介させて頂きました。

「NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 あさが来た Part2」の
表紙撮影に、この記念室が使われました。

花台 当時、花を置く台として使われていたそうです。

ホタテ貝をイメージした装飾。
この時、案内して頂いた職員さんに「何でホタテ?」と聞けなかったのですが、
恐らく大昔、貝がお金として使われていた事が関係しているのかも知れませんね(多分…)
https://www.bk.mufg.jp/currency_museum/exhibit/world/index.html
⇧MUFG 三菱UFJ銀行 貨幣史年表~外国の貨幣~
以下、同サイトより引用

貝貨 中国では既に殷(約3,000年前)から貝(宝貝)が貨幣として使われていました。
貨幣に関係が深い漢字は「ヘン」や「ツクリ」に貝のつくものが多くみられました。
貨、貸、買、財、資、貯・・・・・・

写真下にあるのが、マントルピース。
初めて知りましたが、マントルピースは、
本来、薪をくべる暖炉の焚口の上部や周辺を装飾するものです。

かつては、この扉を開けると中にパイプがあり、
そこに蒸気を通すことによって部屋を暖めていました。

横から撮影
もう見るからに貴重✨✨って感じです。
語彙力(ごいりょく)が無くてスミマセン💦

このあと広報ルームへ移動しました。
https://www3.boj.or.jp/osaka/guide/guide04.html
⇧日本銀行大阪支店 広報ルーム
以下に紹介させて頂く写真について、詳しく書かれています。


ドーンとテーブルに置かれた1億円(^^♪
もちろん本物ではありませんが…
見学者の中には、1億円を抱えて写真撮影をされるなど楽しそうでした(^^♪

国立印刷局彦根工場で1億円を触った時は、アクリルケースで囲われていたため

軽く持ち上げる事しか出来ませんでした。

ここ日本銀行大阪支店なら1億円を抱え上げる事が出来ます(^^ゞ

一万円券十束封(いちまんえんけんじゅっそくふう)(1億円)
大口の支払に用います。重さ(10㎏)を体験してみませんか?

これはスゴイ✨✨✨
先程の彦根工場では、ガラス越しに遠くから見えた40億円に触る事が出来ます!(^^)!
もちろん本物ではありませんが…
ハンドリフトのパレット上に40億円が載っています。

反対側から撮影

40億円十束封
大量の現金支払に用います。重さはなんと、約400㎏!
こうやって見ると、お金持ちの人が更にお金を増やしたいという気持ち?がわかる気がします。
えっ?ちょっと意味深かなぁ…(^^ゞ

40億円の手前には

おおっ!もう少し離れてハンドリフトも入るように撮影。
本物と違うといっても、こんなに沢山のお金を見ると気持ちが昂りますね!(^^)!

こちらの方が、より現実感があるのかなぁ…
お札を上に放り上げてお札のシャワーを浴びる??
https://kaichigakudou.jimdofree.com/2023/07/24/%E6%9C%AD%E6%9D%9F%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC/
⇧開智児童育成クラブさん 札束のシャワー
写真のお札は、こども銀行券との事です。

そうそう、こんなイメージです(^^♪
もしかしたら、こんな事を本物のお札でされている人もいるでしょうね。

容箱(ようばこ)
1箱に入る金額は一万円券で2億円、五千円券で1億円、
二千円券で4千万円、千円券で2千万円です。
十束封と併用されます。

容箱を横から撮影

同、反対側から

容箱 とても楽しい展示です。

さらに日本銀行の金庫には、このように積み上げられています。

撮影スポット

ここまでになると、もはやお金というより工業製品のような感じです(笑)

こちらのショーケースには、貨幣(硬貨)が展示されています。

巻紙 貨幣を50枚ずつまとめて紙で巻き支払いに用いる

500円貨25,000円、100円貨5,000円
もう長いこと銀行の両替機で両替するという事はなくなりましたが、
以前は利用していたので少し懐かしさえ感じました。

50円貨2,500円、10円貨500円

5円貨250円、1円貨50円

ショーケース中断には、金属製容器があり、
下段には、袋詰めされた貨幣(硬貨)があります。

金属製容器(拡大)
損傷・汚損した銀行券や火災で融合した貨幣の処理などに用いる。

500円貨100万円(見本)重量約14㎏、数量2,000枚

100円貨40万円(見本)重量約19㎏、数量4,000枚

50円貨20万円(見本)重量約16㎏、数量4,000枚

10円貨4万円(見本)重量約18㎏、数量4,000枚

5円貨2万円(見本)重量約15㎏、数量4,000枚

1円貨5千円(見本)重量約5㎏、数量5,000枚

上記の袋を横から撮影。
こちらは「貨幣を大量に受払いする際、大きな麻袋を用います。」と紹介されています。

この大きな黒いボードですが

フラッシュ撮影するとお札(銀行券)が浮かび上がります。
偽造防止技術をわかりやすく紹介しています。

こちらの広報ルームでは、日本銀行大阪支店の歩みエリアは撮影禁止でしたが、
同支店の業務エリアは撮影可能でした。
見学時に撮影した写真は以上になります。
このあと最初にDVDを視聴した部屋に戻り、アンケート記入をして見学終了でした。

この時、見学案内して頂いた職員さんに私が財布に持っている
伊藤博文の千円札について、先程訪れた営業室で交換出来ますか?と伺ったところ
お金の引き換えについては、今は予約状況がわかりませんので、
お電話で問い合わせて頂けますか?と教えてくれました。

スミマセン💦いきなり変な質問をして申し訳ありませんでした((+_+))
せっかく日本銀行大阪支店に来たので、見学記念に交換出来ればと思いましたが、
伊藤博文さんには、まだ暫くの間、私の財布の中にいて頂くことにしたいと思います(^^ゞ

あとアンケートで日本銀行のキャラクターについて提案させて頂きました。
日本銀行の一部支店では、キャラクターがありますが、
日本銀行全体のキャラクターはありません。
過去に造幣局、国立印刷局を見学した際、
2ヶ所ともキャラクターがあったので日本銀行さんでもどうかなぁ…と思い、
アンケートに書かせて頂きました。

理由は、日本銀行は子供さんでも見学できますが、
見学を終えて思ったのは、どちらかと言えば大人向きな内容です。
私は、子供のうちに、日銀の金融政策というと難しいですが、
お金に関して関心を持って頂くことは、たいへん有意義な事と思います。
そういう意味では、子供たちに親しみを持って頂きやすいよう、
キャラクターがあっても良いのでは思った次第です。

https://www.mint.go.jp/media/resources/htdocs/topics/new/pdf/page125.pdf
⇧造幣局キラキラ☆コインズ

サツスール工場長:お札の星にある、製造工場の工場長。
体の中からお札、カバンからは切手や官報、
パスポートなどを取り出して、優しく説明してくれる。

ガマティ:ガマ口財布の妖精。
ウォレティと双子のきょうだいで、サツスール工場長の弟子。
面倒見の良いしっかり者。
https://www.npb.go.jp/guide/character.html
⇧国立印刷局広報キャラクター紹介

あと見学のお土産?に、以下の封筒に各パンフレットを頂きました。

日本銀行大阪支店の封筒

にちぎん2024 №80 冬
https://www.boj.or.jp/about/koho_nichigin/backnumber/80.htm
⇧「にちぎん」No.80 2024年冬号/2024年12月25日発刊
パンフレットの内容をご覧頂けます。


日本銀行 その機能と組織
https://www.boj.or.jp/about/education/boj_pamphlet.htm
⇧【広報パンフレット】日本銀行 その機能と組織
パンフレットの内容をご覧頂けます。


新しい日本銀行券の偽造防止技術
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/n_note/f_security2.pdf
パンフレットの内容をご覧頂けます。


現在有効な銀行券(表面)

現在有効な銀行券(裏面)
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/valid/validnotes.pdf
現在有効な銀行券(両面)


現在有効な貨幣(表面)

現在有効な貨幣(裏面)
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/n_other/data/Valid_Coins.pdf
現在有効な貨幣(両面)


使用済みの汚れたお札の屑(くず)

切り刻まれたお札ですが、持っていると何だかお金持ちになれそう(笑)
大事に扱いたいと思います。

さて日本銀行大阪支店での見学を終えて、
相棒(原付バイク)の待つ駐輪場へ向かいます。
前日(2月24日)に行われた大阪マラソンの交通規制の案内

次に最近、何かと話題の?財務省近畿財務局へ行きました。
なにわ橋の駐輪場から天神橋に向かい、松屋町筋を南下して農人橋を左折して中央大通りを走ったのですが、
久しぶりに農人橋の交差点に来ました。
いやぁ~私が大阪に住んでいた頃、以来なので30年ぶりかなぁ…
久しぶりだったので割と興奮しました(^^♪
農人橋という名前もインパクトがありますからね。
話が逸れましたが、近畿財務局前に到着

大阪合同庁舎第4号館にある近畿財務局入口

同拡大

各省庁が入っています

少しだけ近づきます

同入口前歩道から谷町筋方面を写す

同入口前歩道から法円坂方面を写す

今回の日本銀行大阪支店見学に関する写真は以上になります。
最後に財務省近畿財務局を訪れた理由ですが、
日本銀行を所管する省庁が財務省である事と、
2025年2月25日、私が訪れる3日前の2月22日(土)に、
ここで財務省解体のデモが行われたようです。

これからも時間やお金の制約など様々な事情がありますが、
可能な限り事情が許せば、自分が興味や関心を持った事について
「百聞は一見に如かず」出来るだけ現地(現場)に足を運んで、
自分の目で見て、自分なりに考えていきたいと思います。
ここまでご覧頂き、ありがとうございます(^^♪

日本銀行大阪支店及び、本店や他支店の見学については、
以下のサイトをご覧頂けたらと思います。
https://www3.boj.or.jp/osaka/guide/tour-index.html
⇧日本銀行大阪支店 見学のご案内

https://www.boj.or.jp/about/services/kengaku.htm
⇧日本銀行 本店見学

https://www.boj.or.jp/about/pr_events/shitenive/index.htm
⇧日本銀行支店・事務所の見学・イベントのご案内

日本銀行大阪支店を見学してきました~道中編

2025-02-26 23:45:08 | 日記
2/25、大阪市にある日本銀行大阪支店を見学に行って来ました。

昨年7月3日に新札(一万円札、五千円札、千円札)が発行されましたが、
印刷技術の高さに興味を持ち、そこからお金をつくっている現場を見てみたい!と思い、
昨年(2024年)8月26日、大阪市にある造幣局を見学しました。
この時の事を以下のブログでも触れていますが
長年、造幣局でお札をつくっていると思い込んでいました💦💦

https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/89a284fc30b6fdff6138cbab47d1770b
⇧造幣局大阪本局へ原付バイクに乗って出かけました

そこで改めて、昨年(2024年)11月12日、
お札をつくっている滋賀県彦根市にある
国立印刷局彦根工場を見学しました。

https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/3758c82adc064ee62b95c0d9ed710097
⇧国立印刷局 彦根工場見学と名神高速 多賀サービスエリアへのドライブ

国立印刷局での工場見学を終え、
次は造幣局、国立印刷局でつくられたお金が運ばれる
日本銀行を見学したくなりました。
今回は、その集大成(オーバーやなぁ…)となる日本銀行大阪支店を見学しました。

まだ夜明け前の午前6時ごろ、田辺市田鶴(たづ)交差点

相棒(原付バイク)とこれから大阪市まで走ります。
しかし、この日というか夜明け前は、寒さが厳しく感じました(*_*;

国道42号田辺バイパス
寒いけど天気が良いので🏍ドンドン走ります。

由良町の由良トンネル北側にある温度表示

気温 0℃((+_+))
もうお日さまも顔を出していますが寒い…

しかし、そのうち気温も上がってくるだろう…と思っていましたが、
由良町と広川町にある水越峠を走る頃は、マイナス2℃💦
+2℃ではなく、マ・イ・ナ・ス(>_<)
防寒対策をしているとはいえ本当に寒かったのですが、
それより気になったのは、次の峠越えです。

由良町でマイナス2℃という事は、それより*標高が高い
県道18号線(海南金屋線)の有田川町と海南市の境界になっている峠道を走れるのか?
この点が気になり、迂回して有田市周りの国道42号を走る事も考えました。

*国土地理院地図で確認すると水越トンネル付近の標高は約180m、
一方、有田川町と海南市との境界付近の峠の標高は約480m。

しかし最終的に、時間の経過と共に気温が上がる!という天気予報と
自分のカン?を信じて峠道に向かいました。
この峠道ですが、名前を示した看板も無いので峠の名称がわからないです(^^ゞ

現在この峠越えをしなくても良いように
トンネル工事(仮称:鏡石トンネル)が進められています。
このトンネルについて、過去のブログでも触れていますが、
今から開通が待ち遠しいです。来年度には開通するのかなぁ?

さて、もし峠道が積雪のため通行が出来なかった場合、
途中で引き返すとなると大幅な時間のロスにもなりますので、
峠道を無事に越えられるように祈ります(´・_・`)

有田川町と海南市との境界付近(有田川町側から撮影)

有田川町と海南市との境界付近(海南市側から撮影)

有田川町は山の南側になるので、雪は少しマシかなぁ?と思いました。
道路管理者による融雪対策に感謝申し上げます。
路面が濡れていると凍結している可能性もあるので、
二輪で凍結した路面を走ると…恐ろしいです(>_<)

道路沿いにある海南高原カントリークラブ入口付近

県道側は恐らく塩化カルシウム(凍結防止剤)が散布されているので、路面に雪はありませんが…

ゴルフ場への道は、このような状態です。
私の原付きバイクでは、走ることは出来ないでしょう…

峠を越えてから、このような路面状態のなか海南市街地までの下り坂を走ります。
凍結している可能性もあるので慎重に走ります。
夜間走行でしたら路面が見えにくいので、
峠越えは諦めていたと思います(*_*;

峠道(県道18号線:海南金屋線)を無事に走り抜ける事が出来ました(*´▽`*)
先程も触れましたが現在、この峠道の下にトンネル工事が進められていますが、
一日も早い開通を楽しみに待っております(^^♪
さて私が東大阪方面に行く時は、この交差点(星子橋東交差点)を直進して、
国道424号を走りますが、今日は大阪市ですのでここで左折します。

和歌山県と大阪府の府県境まで来ました。
つい最近、来たとこやけどなぁ~(笑)

写真の中央分離帯開口部を進むと旧道の府県境があります。
詳しくは以下で紹介させて頂いています。

https://blog.goo.ne.jp/dosukoiya/e/7de4f739c7a6542523e29c70fbb165e2
⇧大阪府南部を相棒と走る

ガードレールの隙間から、大正14年7月に完成した樽井岩出線の府県境の石柱が見えますが、
これまで何度か府県境での撮影をしていましたが、石柱には最近まで気が付きませんでした(^^ゞ
さて大阪府に入ってからは、国道26号(第二阪和)を走ります。
この道は、路肩も広いので走りやすい道です。

11時前になったので少し早めのお昼ご飯にします。
今日は、高石市にある やよい軒 高石店で初めて、やよい御膳をいただきましたが、
とても美味しかったです(*´▽`*)
私も年齢を重ねたからかなぁ…このような食事が美味しく感じます。
年齢と共に味覚が変わる!とはよく聞きますが…
さて、ここまで予定通りに来ていますが、高石まで来ると堺市はもうすぐです。

堺市や大阪市内での走行時の撮影はありません。
前回走行時と比べて変わったと思ったのは、
国道26号 堺市内のフェニックス通りの橋の工事が終わっていました。

https://www.youtube.com/watch?v=P_-OP__AHYY
⇧YouTube動画 国道26号堺市フェニックス通り 住吉橋完成のお知らせ
国土交通省 大阪国道事務所

相棒(原付バイク)を中之島にあるエコステーション21なにわ橋にとめます。
ここまで大阪市内を走りながら思うのですが、
白浜町のナンバープレートを付けた原付バイクで、大阪のビル群の合間を走るのは、
毎回楽しく大都市大阪を感じられ、とても新鮮に思います(^^♪

今回は59番に止めます。特に理由はありませんが…
利用方法は、写真の青色のチェーンを前輪に通してから、
059(番号)下にある挿入口に差し込むだけです。

精算機 後で戻って来てから精算をします。

利用方法や料金案内があります。
自動二輪(50㏄超)8時間まで300円というのは、
利用者の一人として本当に有難い料金設定です。

地下の駐輪場から外に出てきました。
う~ん、良い天気✨✨

中之島の周囲には、高いビルがあります。

大阪市中央公会堂が見えます。

大阪市中央公会堂 立派な建物です

阪神高速 環状線が見えます。

駐輪場から出ると直ぐに京阪電車なにわ橋駅があります。
中之島周辺へ行く時は、この駐輪場を利用していますが、
なにわ橋駅が直ぐにあるので電車の移動も便利です。
少し歩けば、地下鉄堺筋線北浜駅や御堂筋線淀屋橋駅にも近いです。

中之島は、ビル群に囲まれたオアシス的な感じですね

ハトも人に慣れています

空を自由に飛ぶことが出来る鳥が羨ましい(^^♪
私も空を飛んでみたいですね。

何の石碑かなぁ?

撮影している私の姿も写り込んでいますが、
文字が真ん中の「水」は読めますが左右の文字が達筆で分かりませんでしたが、
裏面を見た時、合水堂(がっすいどう)とありました。
下部には、華岡流外科顕彰碑とあり、
華岡流外科とくれば、和歌山の偉人の一人でもある華岡青洲が浮かびますが、
どうして、大阪の中之島で華岡青洲なのかなぁ?と思いました。

石碑裏面

華岡青洲は、全身麻酔薬「通仙散」を創製後、
一八〇四年 世界で初めて全身麻酔による乳ガンの摘出手術に成功しました。
そして、和歌山に医学塾兼病院として「春林軒」を創設し、
一八一六年 大阪中之島に末弟の鹿城が分塾「合水堂」を開設しました。

鹿城が亡くなり、さらに青洲没後、
一八三七年、青洲の養子である南洋が大坂へ移り、「合水堂」を支えました。

華岡流外科の門人数は、現存する「門人録」によれば、
一七八〇年から一八八二年の間に、総勢約二二〇〇人になります。
最先端の医学知識、医術を求めて、
全国各地から集まった医師の半数は「合水堂」で学んだと推察されています。

「合水堂」は、上方文化の中心であった大坂から情報を発信して、
わが国の医学の発展への大きな業績を遺しました。

二〇一五年は南洋の没後一五〇年、二〇一六年は「合水堂」開設二〇〇年にあたります。
この顕彰碑の建立によって、華岡流医術の歴史が末永く伝えられることを願っています。

建立 華岡青洲弟鹿城末裔
   日本医史学会
協賛 日本麻酔科学会
後援 第二九回日本医学会総会二〇一五関西

二〇一五年四月吉日

*碑文より文字起こしをしましたが間違いがあれば申し訳ありません。
華岡鹿城については以下のサイトでも紹介されています。
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/024.html
⇧公益財団法人 関西・大阪21世紀協会
ここまで知らなかった!なにわ大坂をつくった100人

碑文を読み終え、大都会大阪のド真ん中といっても良い中之島の地において、
和歌山の偉人の一人でもある華岡青洲に関わるとは思いもしませんでした。
こういう発見は、とても好きです✨✨
ブラっと歩いてただけなのに…このような出会いと勉強出来たことを嬉しく思います(^^♪

さて水辺を少し歩きます。
流れている川は、土佐堀川
北浜駅方面を写す

同地点から淀屋橋方面を写す

再び大阪市中央公会堂へと歩きます

このような歴史的建造物を現在も利用出来るのがスゴイです✨✨

大きな扉が見えますが閉鎖中となっています

書体を見ると大正時代の大正デモクラシーを連想してしまいます。

重要文化財 大阪市中央公会堂
公会堂について記載があります。

重要文化財 大阪市中央公会堂
大阪市北区中之島1丁目1番27号

大阪市中央公会堂は、明治44年(1911)に大阪市民の
岩本栄之助(えいのすけ)氏から公会堂のために寄付された100万円をもとに、
建設されました。
日本最初の懸賞設計競技で選ばれた岡田信一郎(しんいちろう)の設計原案をもとに、
辰野金吾(たつのきんご)、片岡安(かたおかやすし)という
当時を代表する人たちによって設計されました。

大正2年(1913)6月から5年4ヶ月をかけた工事では、
延べ18万人を超える人々が働き、
大正7年(1918)11月17日に開館しました。

西洋の建築の歴史から生まれた形や材料をよく学んで高い水準に造られており、
赤煉瓦(あかれんが)の公会堂として市民に愛され、
親しまれてきた、たいへん貴重な建物です。
昭和63年(1988)に永久保存が決定され、
より良く使っていけるよう平成11年(1999)3月から3年半の工事がおこなわれました。
平成14年(2002)11月1日に再び開館、同12月26日に国の重要文化財(建2419)に指定されました。

建築様式は、当初記述に「復興式中の準パラディヤン式」とあり、
ネオ・ルネッサンス様式を基調としたものと解される。
外観は左右対称を基本にコーニス、片蓋柱、ペディメント付開口部等による厳格な構成と、
正面の壮大な半円アーチ、ジャイアントオーダーなどのバロック的な荘麗さをあわせ持ち、
柱頭飾りを幾何学図形化するなど細部にはセセション様式の浸透もみられる。

外壁表面は地階部分が花崗岩積、地上階は、化粧煉瓦小口貼りに、
腰の帯石と窓廻りを花崗岩、蛇腹と片蓋柱、パラペット廻りを擬石モルタル洗い出しとし、
屋根は銅板葺きで一部を天然ストレート葺き、側面と四隅に屋根窓を配す。
平面規模は、間口43.6メートル、奥行き61.8メートルで、
建築面積2164.17平方メートル、鉄骨煉瓦造、地上3階、地下1階建。
耐震性能強化のため基礎下の新たな構造体と上部構造の補強によって免震レトロフィットを実施。
主要室の構成は、1・2階/大会議室(ホール)、3階/中・小集会室・特別室、
地階/会議室(展示室)・レストラン。

大阪市教育委員会

大阪市中央公会堂から御堂筋に向かい、土佐堀川沿いを歩いて大阪市役所前に到着
中央に何か見覚えのあるマスコットが…

大阪市役所正面には、御堂筋を挟んで本日の目的地である日本銀行大阪支店があります。
日銀へ行く前に、もう少し大阪市役所を撮影します。

大阪・関西万博マスコットキャラクターのミャクミャクが見えます。

さらに近くへ寄って見ます

この日(2月25日)開幕まで47日とのことですが、
もうじきやん(^^♪

大阪市役所
ここまで来ましたが、大阪市民でも無いので中には入りませんでしたが、
大阪市民になったら入りたいと思います(笑)

西日本最大の大都市 大阪市の市役所

ミャクミャクの背後から日本銀行大阪支店を写す。
この時、午後1時前なので、そろそろ日本銀行大阪支店へ向かいます。

正面に見える日本銀行大阪支店旧館の外観に歴史を感じます。

御堂筋を多くの車が走ります。

天気も良く、良い感じで日本銀行大阪支店の旧館を撮影出来ました(^^♪

大江橋南詰交差点から日本銀行大阪支店を写す

旧館の正面にあります

大江橋南詰交差点で御堂筋を横断して梅田方面を写す。
しかし、この広い御堂筋ですが、記録によると昭和12年開通とありますが、
当時、今日のような交通量を誰が想像したでしょう。
御堂筋を計画した当時の大阪市長 関一氏の先見の明に感銘を覚えます。

https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000239175.html
⇧大阪市 御堂筋の歴史

次回ブログでは、日本銀行大阪支店を見学時の模様をご紹介させて頂きます(^^)/