先日、帰り際に「今夜は鍋かい?」と上司が。
そんな僕はいつもいつも鍋を食べてると思ったら、その通りさ。でもなんでわかったのかな?「こんな暑い日にこそ、キミなら食べそうだから」と言われました。読まれてる!なんか悔しい。
飽きもせず三国志を読んでいます。お昼を食べながら、お客さんの家に入るまでの時間とかで。
ホント不思議なもので、いくら読んでも「もういいや」って気になりません。読むたびに新しい発見があります。
読み進めながら「僕ならこう書いてみたい」と思ったりして、それを拙く書き綴ったのが「三国日誌補足(仮)」であり、もっともっと書いていきたいけれど、それこそ吉川英治の三国志に触れるたびに、その表現の素晴らしさに、自分なんかが…と恥ずかしくなります。
まぁ、基本的に、自分のもの、なんて思っている人生なんかは誰かの模倣だったり、知らず知らずのうちに巻き込まれた流れの中にあるもんだろうから、それもいいか。
三国志なんかを読んでいると「歴史好きなんですねー」といわれたりもしますが、好きだけど詳しくはない。日本の戦国時代とか好きなひととか多いじゃあないですか?僕は全然そのへん詳しくありません。
きっと、この時代のことも「知れば知るほど」面白い。三国志を知らないひとに会うと「じゃあ、これから初めて読むなんて、幸せだよ!」と羨ましく思うのと同様に、戦国時代を知らない僕も、これから知る喜びがあるのだと思うと楽しみです。
でもさー、正直、歴史物ってとっつきにくいとこあるよね。特に三国志なんかは最初から最後までの登場人物を数えると数百人にもなる。正史なら(これも読んだことない)数千人にも及ぶのかな。
まず、ひとの名前を憶えるのが大変。でもよー、けっこう名前なんてどうでもいいんだよね。大まかな流れっつーか、ストーリーだけそれとなく把握しておいて「ところでこの事件って、誰が首謀者なの?」「え?ここに出で来るひとってどんなひと?」ってところから、その人物を憶えて、あとは芋蔓式で。細かいとこまで憶えたり、細かい暦や人物ばかり憶えるのは専門家やマニアに任せておけばいい。
読む度に、違う角度から検証しています。(検証しているってほどすごいもんじゃあないけど、テキトーに)例えば、今回はこのひとの流れを追ってみようとか、このちょいと登場するひとって誰なんだ?ってところをチェックして、調べたり。
面白いことに、必ずどこかで輪が繋がるというか、自分でも知っているエピソードや「あ!つまりこのときのこれって、こういうことか!」ってな具合に、歴史には必ず整合性がある。
それでも不可解な出来事には(物語だし、古いものだし、理屈のつかない出来事もあるのだけど)「どうしてこのように書かれているのか?なぜ、記述にあたって婉曲される必要があったのか?」ってことを考えると、また面白い。
具体的になにさ?と尋ねられると、僕はまだまだ「例えばさ~」って語れるほどのレベルじゃあないのだけど。
金曜日以降、すいぶん天気がいい。天気予報では「梅雨の中休み」とかいってる。週間予報なんか全然アテにならない。昨日まで雨の予報だった火曜水曜が、今日には晴れの予報になってたり。
天気を予測するのは難しいんだろうけど、テレビに出てる気象予報士って、別に資格とって一年二年のペーペーじゃあないんだろう?なんでこんなにコロコロ変わるかな。
もちろん休みの日には晴れて欲しいので、いいんだけど。一週間のうち五日間ずっと雨でも全然かまわないんだよなー、休みの日にさえ晴れてくれれば。
変な話なんだけど。休みの日にはのんびりダラダラしていたい、疲れることはしたくないって性格のはずなのに、休みの日に遊びに行って、仕事に行って、当然からだは正直で、布団に入ると5分ももたずに眠ってしまうのですが、なんだかここんとこは、そんな毎日は充実しているっつーか、からだはムチャしていても、気力はものすごく充実していて、いいカンジです。
朝は起きると「今日は絶対に仕事から早く帰ってきて寝る!」って心底思うのに。変なの。
朝、目が覚めて、上半身を起こして、うーんって伸びをしてから、そのままの体勢で布団の足元側に倒れこんで、10分ほどやっぱり寝て「起きないと、起きないと…」と考えながら、歯を磨いて顔を洗う。
イキオイだけで一ヶ月くらいなんとかなったりするときも以前はあったけど、最近はなかなか。二、三週間続くと、気持ちは前へ前へいこうとするが、からだはついてこないねー。
そんな僕はいつもいつも鍋を食べてると思ったら、その通りさ。でもなんでわかったのかな?「こんな暑い日にこそ、キミなら食べそうだから」と言われました。読まれてる!なんか悔しい。
飽きもせず三国志を読んでいます。お昼を食べながら、お客さんの家に入るまでの時間とかで。
ホント不思議なもので、いくら読んでも「もういいや」って気になりません。読むたびに新しい発見があります。
読み進めながら「僕ならこう書いてみたい」と思ったりして、それを拙く書き綴ったのが「三国日誌補足(仮)」であり、もっともっと書いていきたいけれど、それこそ吉川英治の三国志に触れるたびに、その表現の素晴らしさに、自分なんかが…と恥ずかしくなります。
まぁ、基本的に、自分のもの、なんて思っている人生なんかは誰かの模倣だったり、知らず知らずのうちに巻き込まれた流れの中にあるもんだろうから、それもいいか。
三国志なんかを読んでいると「歴史好きなんですねー」といわれたりもしますが、好きだけど詳しくはない。日本の戦国時代とか好きなひととか多いじゃあないですか?僕は全然そのへん詳しくありません。
きっと、この時代のことも「知れば知るほど」面白い。三国志を知らないひとに会うと「じゃあ、これから初めて読むなんて、幸せだよ!」と羨ましく思うのと同様に、戦国時代を知らない僕も、これから知る喜びがあるのだと思うと楽しみです。
でもさー、正直、歴史物ってとっつきにくいとこあるよね。特に三国志なんかは最初から最後までの登場人物を数えると数百人にもなる。正史なら(これも読んだことない)数千人にも及ぶのかな。
まず、ひとの名前を憶えるのが大変。でもよー、けっこう名前なんてどうでもいいんだよね。大まかな流れっつーか、ストーリーだけそれとなく把握しておいて「ところでこの事件って、誰が首謀者なの?」「え?ここに出で来るひとってどんなひと?」ってところから、その人物を憶えて、あとは芋蔓式で。細かいとこまで憶えたり、細かい暦や人物ばかり憶えるのは専門家やマニアに任せておけばいい。
読む度に、違う角度から検証しています。(検証しているってほどすごいもんじゃあないけど、テキトーに)例えば、今回はこのひとの流れを追ってみようとか、このちょいと登場するひとって誰なんだ?ってところをチェックして、調べたり。
面白いことに、必ずどこかで輪が繋がるというか、自分でも知っているエピソードや「あ!つまりこのときのこれって、こういうことか!」ってな具合に、歴史には必ず整合性がある。
それでも不可解な出来事には(物語だし、古いものだし、理屈のつかない出来事もあるのだけど)「どうしてこのように書かれているのか?なぜ、記述にあたって婉曲される必要があったのか?」ってことを考えると、また面白い。
具体的になにさ?と尋ねられると、僕はまだまだ「例えばさ~」って語れるほどのレベルじゃあないのだけど。
金曜日以降、すいぶん天気がいい。天気予報では「梅雨の中休み」とかいってる。週間予報なんか全然アテにならない。昨日まで雨の予報だった火曜水曜が、今日には晴れの予報になってたり。
天気を予測するのは難しいんだろうけど、テレビに出てる気象予報士って、別に資格とって一年二年のペーペーじゃあないんだろう?なんでこんなにコロコロ変わるかな。
もちろん休みの日には晴れて欲しいので、いいんだけど。一週間のうち五日間ずっと雨でも全然かまわないんだよなー、休みの日にさえ晴れてくれれば。
変な話なんだけど。休みの日にはのんびりダラダラしていたい、疲れることはしたくないって性格のはずなのに、休みの日に遊びに行って、仕事に行って、当然からだは正直で、布団に入ると5分ももたずに眠ってしまうのですが、なんだかここんとこは、そんな毎日は充実しているっつーか、からだはムチャしていても、気力はものすごく充実していて、いいカンジです。
朝は起きると「今日は絶対に仕事から早く帰ってきて寝る!」って心底思うのに。変なの。
朝、目が覚めて、上半身を起こして、うーんって伸びをしてから、そのままの体勢で布団の足元側に倒れこんで、10分ほどやっぱり寝て「起きないと、起きないと…」と考えながら、歯を磨いて顔を洗う。
イキオイだけで一ヶ月くらいなんとかなったりするときも以前はあったけど、最近はなかなか。二、三週間続くと、気持ちは前へ前へいこうとするが、からだはついてこないねー。