家に入る直前にたまたま近所のMちゃんとKちゃんのお母さんに会う。彼女は子ども会の当番をしており、今週末の町内の神社に参加する子どもたちの活動のために集金をしている。実のところ、この集金は活動のために使用されるのではなく、活動後のご褒美として飲み物やお菓子に化ける。勿論、それは折り込み済み。
彼女が零した。
今年は集金が難しいという。今年に限定するでなく、たぶんそれは最近という意味も含んでいるのだろうが、マル民活動をしていても彼女が言いたいことと同じような感覚を持つ。
自分のところには子どもがもう成人していていないからというのはまだしも、子ども会の子どもではなく世話をしている大人の酒代に変わっているのだろうとはっきりと言う方もいるらしい。
折り込み済みの事を敢えて持ち出して、相対している人を不快にさせる。
世の中の状況が何を信じていいかわからない状況で、その中で自分だけが痩せ細っていく、そんなものを感じてでもいるのだろうか。そんなだから自分に関係がないと思われる集金はお断りという気持ちも何となく理解できる。かくいう私だって時と場合によってはこんな風になるのかもしれない。
でもきっと、同じ大人ができるのでしょうね。
先日、情報番組のコメンテーターが言っていたことを思い出した。克明には覚えていないのでニュアンスだけでも伝わればと思います。
今の社会の人間関係は「自分」と「自分外」の関係が目立つ。「自分」は大切。そして「自分」の意にそぐわない「自分外」のすべての人が大切な「自分」を傷つけようとする。だから誰でも良かったとする無差別殺人や悲惨な事象が現実に起きている。他者が傷つくことが想像できないのだという。
話を終えて空を見上げるとまぁるいお月様。
なんだか涙が零れそうでした。
「何から何まで真っ暗闇よ~
筋の通らぬことばかり~~」です。
「まるで人情=紙風船」
「自己チュウ」が蔓延。。
なんでだろう?? なんでだろう??
やはり戦後教育、誤った民主主義解釈の弊害?
それに、TVゲーム、インターネット、携帯も
「諸刃の剣」なのでしょうか?
世話をしている大人の酒代に使われているのは昔からのことで、子供の世話をねぎらうという意味もあるはずなのに。
難しいですね。
損得勘定で人付き合いしてる方が増えてる気がします。
自分の得にならない相手はばっさり切って、自分さえ
楽しけりゃいいやみたいな・・
瑠葉さんのようなマル民やボランティアって、人との視点を
変えてないとやっていけないかもしれません。
理不尽なことも多いけど、自分軸を信じていきましょうね。
近所を戸別訪問して集金する事はありませんでした。
子ども会の会費と、年度末に町内会から
子ども会へ助成金をいただいていました。
また、廃品回収してその益金+廃品回収に対する市からの助成金も貴重な活動費でした。
ウチの町内会は赤い羽根募金も
町内会費からの拠出です。
(反対の人にとってはイヤな制度かもしれませんね)
役員さんにそういうツライ集金させなくて
済むシステムにはできないのでしょうか?
子ども会の役員のなりてがいなくなって
子ども会自体がなくなってしまいそうですね~
花おじがいうようにどこかに誰かに原因があるのでしょうが、
やはりなんでも「刹那的に」とらえたり
「合理的」に考えたりが主な原因なんでしょうね。
筋自体はそれぞれの人間の中だけで通っているので
社会性がないといった方が良いのでしょうか。
インターネットなどの便利なツールは欠くべからぬものになっていますが
使う際にその先のことを想像できるかどうかが問題なんでしょうね。
「それをしたらどうなるの?」と
小さな頃からの練習が必要なのでしょう。
しかしひととしとった大人はどうなのでしょうね。
やはり気持ちの部分にゆっくりとうったえかけていくしかないのでしょうか。
言いたいことがあるなら本体を攻め込むべし。
だから私は人生うまく渡れないのかしら(笑)
年齢とともに学ぶべきことが多くあるということをやっと分かりはじめたところでしょうか。
何にしても子どもに罪はありません。
私ってこんなに怒りっぽかったかしら。
そう思いながらもなかなか上手に外に出せなくて。
うまく中をとりもって気持ちよくしていくのがいいのだけど、それにはまだまだ我慢が足りないようです。
ハナミズキさんのいうように、そういう時こそ客観的な自分を意識すべきなのでしょうね。
損得だけでない世の中だと思うのですけどね。
何だかんだとここの神様はとっていきますから、そういう悪しきことはすぐに見習ってしまう保守的なところがどうしてもなじめないのですが。
以前からそうなのよの理由が皆欲しいのにね。
赤い羽根は同じです。町内会費から自動的にひかれますね。
子ども会の集金のシステムは難しいですね。
システムにするほど人員もいないし、どうかしたら消滅する可能性もあります。
うちの該当地域はそうではないですが、近隣の地域では子ども会はもうありませんから。
いつか「子ども会」って何っていう時代がくるかもしれませんね。
取りあえずは嫌な気持ちを持つことがないように計らえるところは計らっていくことを進めていきます。
かといって全くしらない人でもない
そういう人を山田ズーニーさんが
「グレーゾーンの人々」と名つけました。
http://www.1101.com/essay/2008-07-30.html
このグレーゾーンの人に
辛いときにとても助けられたと。
人生を豊かにするために
このグレーゾーンの人をどれだけ増やすか?
この話にはとても共感しました。
この歳になっても耳が痛い話ですね。
自分でいうのもなんですが、若い頃と比べると
随分丸くなったと思うのですが
なかなかグレーゾーン良しとはなりにくいですね。
今回のマル民の話についてはそういうグレーゾーンの勉強のためにしてみたらと主人が言っていました。
自分が無理でも探すことは楽しいでしょうね。自分も柔らかくなれそうだものね。
某社の「カフェオレ」のCMみたいですね。
紹介ありがとうございます。