TAMAちゃんダッシュ

愛犬タマとマル民の私の毎日です

区大会

2008-09-10 | 社会
 昨日は区のマル民大会でした。
この手の研修会は何かの代表の挨拶に次ぐ挨拶で時間がとにかくはやく経過することだけを願うことが多いのですが、昨日の研修の中での講演会はかなり身近に感じることが幾らかあったんです。

 
 講演は開業し老健を運営しながら在宅介護のために往診も意欲的に行っている医師によるものでした。
 老健と在宅の介護を双方見ているから双方の悲しい部分がよく見えている実体験に基づいた話でした。
 老健でも在宅でも高齢者が共通に思っていることは、病を患ってしまうと身体的な苦痛だけでなく、何気ない日常のことにおいても精神的にも苦痛が増しているということだった。
 できうる限り自分でしていたことは自分でしたいのに、危険を避けたり合理的だということで自由がなくなってしまうのだ。
 「転んで骨が折れるといけないので動くな」とか。
 「面倒だから何もしなくても良い」とか。
 ともに暮らす家族や老健の介護士、保健師などの方は気遣いのつもりでも高齢者にとっては自由を制限されていると感じるそうなのだ。

 「赤ん坊に転ぶからといって歩くなとは言わないのに、なぜ、高齢者にはダメだというのだろう」という気持ちを表した言葉が印象的でした。

 自身も毎日の義母との生活の中で良かれと考えて言っていることも義母にとっては苦痛なこともあるのかもしれないと反省することしきりの講演会でした。

 こういう研修会ばかりだと良いのですが。
 


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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
生きがい (花おじ)
2008-09-10 19:33:54
>「転んで骨が折れるといけないので動くな」とか。
 「面倒だから何もしなくても良い」とか。
 ともに暮らす家族や老健の介護士、保健師などの方は気遣いのつもりでも高齢者にとっては自由を制限されていると感じるそうなのだ。

まったくそのとおりですね。
私達も母親に同じ事を言っていました。
最近も、「盆踊り」に参加しようとして転等して、手術を受けた母です。
今はまたリハビリに熱心に取り組んでいます。
「何もしないで生きているだけ」なんて可哀相ですものね。
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よく聞きますね (ume)
2008-09-10 21:57:41
転ぶから動くなって言葉。

赤ちゃんは、転んでも、骨折っても
打ち所が悪くなければ死にはしないけど

打ち所が良くても、骨折をして、
ぼけちゃう老人が多いいのも事実。

老い先が短いから何もするなではなく、
老い先短いんだからやれることはしなさい。
行ける所には行きなさい。

私はそんなことを母に言ってます。

筋肉が退化するのは、運動不足。
老いを招きたくなければ
動きなさい。と、スイミング教室に行かせたのも私。

自分より歳上の人ばかりで、友達とは言いがたい様ですが、
お孫さんが母を慕って、どこかに行く度
お土産を買っていこうと言っては、
毎週のように頂き物をして帰ってきています。

それが、とても嬉しいようです。

出来ることは狭まっているかもしれませんが
自分のために好きに生きたらいい。
もっと楽しく生きたらいい

いままでいっぱい苦労をして来たのだからと私は、いつも言ってます。

母は、年寄りあつかいしてーーーと、失礼ね。
なんて、笑ってますけどね。
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私も聞いてみたかった~ (habichan)
2008-09-10 23:22:12
なかなか大変そうな
マル民のお仕事でのようですが

たまにこういう「聞いてよかった」と
思えるお話が聞けて良かったですね!
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Unknown (きなまま)
2008-09-11 08:07:15
歩かなくったって咳きしただけだって骨折れたり、排便しただけで血圧低下で排便ショック起こしたり。。。そんなの恐れてたら生きてなんていけないよね?
お世話する人も大変だろうけど、私はヘルパーしてた時、未だ理解出来て申し訳無さそうにする方々に『順番ですから。気にしないで下さいね』とよく言ったものです
でも、自分の順番の時...日本はどうなってるんでしょうね~?
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確かに (ha-chansan)
2008-09-11 16:54:24
気遣いのつもりが足かせになっていたりするんでしょうね。
それと、子供への愛情ほど年寄りには注げなかったりします。
相手のことを心から考えていたら、本当に危ないからさせられないことなのか、少し手助けしてやれば自分でさせたほうが良いのか、わかるのかもしれません。
私は介護する老人はいませんが、自分が介護される身になって考えれば、接し方も変わってくるかもしれませんね。
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花おじへ (瑠葉)
2008-09-12 17:10:56
そうなんですよ。
つい危ないからということで言ってしまうのですよね。
けがをきっかけに寝たきりになって弱ってしまったり、気を回しすぎだということが後になってよく気づくことがあるんですよね。

どうしても必要かどうかをまず考えて行動しなければならないとしみじみ思いました。

花おじのお母様もがんばっていらっしゃるんですね。いかに楽しい老後であるかを優先して考えないとなりませんね。

その後経過は良いのですね。
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umeちゃんへ (瑠葉)
2008-09-12 17:16:25
お忙しそうですね。

そうなんですよね。ケガだけでなく機能が落ちることによって認知症の心配もでてくる。

でもよく考えるとありもしない心配で気をまわしても仕方がないということ。
義母が何が楽しのかをまずは考えてそばにいることがやはり大事なのだと思います。家族ですものね。

うちでの義母の役割はタマの保護者。
それこそマル民の仕事で出かけることが多いのだけど、義母がいるからタマもうれしいはずなんですよね。可愛がってくれる人をタマもよく知っていまs。
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habiさんへ (瑠葉)
2008-09-12 17:19:39
時々当たりがあるのだけど、大概ははずれが多いですよ。10あるうちの2ぐらいの割合で当たりかしら。

講演会の内容を自分の中で吸収して何かをできることができるのなら良いのですが、どうやらそういうわけではないらしい。(他人事みたいだね。)
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きなままさんへ (瑠葉)
2008-09-12 18:13:27
そうですか、きなままはヘルパーされていたんですね。
私もゴールドプラン云々といっていた頃に福祉関係の学校で勤めていたことがありますが、その介護士も外国人労働者でまかなったりと、ほんのすこし前のことなのに制度が破綻している部分が見え隠れしています。

海外の力を利用するにしてもその場しのぎのことにすませず、自分も行く道だということを考えなければと思います。
私は子どもがいませんから、どうかしたら最終的に社会のお世話になるかもしれませんものね。
もっともっと勉強して生活しやすい社会にするにはいかにすればいいかなど自分としても考えていきたいと思います。

皆、漠然とした不安は抱えているのだと思いますね。
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haさんへ (瑠葉)
2008-09-12 18:18:22
そう、子どもには優しくなれるのにどうして弱い立場にあるお年寄りには優しくなれないのでしょうね。どうしても同じ次元、土俵で物事を考えてしまうからなんでしょうが、加齢とともに理性より感情の部分が大きくなるのがなかなか難しいことなのでしょうね。

自分がそうなった時、想像はなかなかにできませんが、今より良い世の中であるとは到底思えないし、今ある閉塞感すら何もできないことに情けなさを感じたりもします。

どのような声をあげていけばいいのでしょう。
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