「芭蕉入門」(井本 農一/講談社学術文庫)という本を読みました。
この本を読んで「不易流行」や「軽み」という考えについてはじめて知りました。松尾芭蕉が俳諧につねに新しさを追いもとめていて、紆余曲折のすえにたどりついた答えが「不易流行」や「軽み」ということになるのでしょう。
俳句の季語は、草木、動物、太陽、月、雷、雲、風、雪などなど自然にあるものあるものばかりです。ふだん何気なく見ている景色に、季節感や、重苦しさを感じないぐらいの哀れ、を感じて十七文字で言い表しているのが凄いですね。
エロケンはブログを書いているときに、身のまわりのとめのないできごとを、やさしい言葉で、読んだ人の印象に残る文章として書けないかな、といつも思っています。そのために、わび茶や俳諧の考えを参考にできないかなと思っていました。
待庵のような二畳の茶室、茶室の中の朝顔などの花の一輪刺し、十七文字の俳句はどれも、あえて、いらないものをこれ以上は無理というぎりぎりのところまでとりのぞいているのでしょう。
その結果残ったものは、あっさりとした簡単そうななものに見えます。しかし、簡単そうに見えるだけに実は奥が深いのだと思います。
エロケンは、わび茶や俳諧については詳しいことは何もわかりません。しかし、そういう簡単そうに見えて実は奥が深い文章が書ければなと思っていたのです。
しかし、わび茶や俳諧の精神は、千利久や松尾芭蕉が一生のほとんどをかけてたどりついたものだと思います。だとすれば、そう簡単に自分のものにすることはできないのかもしれないと思うようになりました。
この本を読んで「不易流行」や「軽み」という考えについてはじめて知りました。松尾芭蕉が俳諧につねに新しさを追いもとめていて、紆余曲折のすえにたどりついた答えが「不易流行」や「軽み」ということになるのでしょう。
俳句の季語は、草木、動物、太陽、月、雷、雲、風、雪などなど自然にあるものあるものばかりです。ふだん何気なく見ている景色に、季節感や、重苦しさを感じないぐらいの哀れ、を感じて十七文字で言い表しているのが凄いですね。
エロケンはブログを書いているときに、身のまわりのとめのないできごとを、やさしい言葉で、読んだ人の印象に残る文章として書けないかな、といつも思っています。そのために、わび茶や俳諧の考えを参考にできないかなと思っていました。
待庵のような二畳の茶室、茶室の中の朝顔などの花の一輪刺し、十七文字の俳句はどれも、あえて、いらないものをこれ以上は無理というぎりぎりのところまでとりのぞいているのでしょう。
その結果残ったものは、あっさりとした簡単そうななものに見えます。しかし、簡単そうに見えるだけに実は奥が深いのだと思います。
エロケンは、わび茶や俳諧については詳しいことは何もわかりません。しかし、そういう簡単そうに見えて実は奥が深い文章が書ければなと思っていたのです。
しかし、わび茶や俳諧の精神は、千利久や松尾芭蕉が一生のほとんどをかけてたどりついたものだと思います。だとすれば、そう簡単に自分のものにすることはできないのかもしれないと思うようになりました。
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