ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

熊野古道大辺路難所富田坂7

2021-12-21 21:06:00 | ウォーキング

熊野古道大辺路の難所である
富田坂コースもほとんど
終わりを迎えています。

よかったなあ、完歩できて。
もうこんな人里みたいなところに



出ていますから、何かあっても
人に気づかれたりするでしょう。



このあたりの道の横には
庚申と彫られた石があります。
これは庚申塔といわれています。

十干十二支の「かのえさる」と
いうのは60日に一回まわってきますが、
この時に寝ないで健康長寿を
願うという信仰があったそうです。

人間の体にある三戸の虫が
寝ている間に体を抜け出して、
神様に悪行を伝えるといわれていたから、
寝ないで祈るのです。
高野街道にもありましたね。

まあ60日に一回、
人々の心の発散しどころ
だったかもしれません。

調べると庚申立像もそのあたりに
あったそうです。
ここにあったのもそうかなあ。
そんな思いのこもった、
当時の人にすれば憩いの
場所であったかもしれません。

このあたりの地名もそんな人々の
思いが乗っかってます。



「安居の渡し」とあるのは
「あごのわたし」と読みます。

この安居という字も
仏教に関する用語で、
僧が一か所集まる場所的な
意味がありますね。



さて三ヶ川横を進むこの道も、
遠くに車の音が聞こえてきたりして、
林道が終わりそうになってきました。



トイレの案内もありますね。

そしてやっとたどり着いたのが
三ヶ川のバス停です。



ここには熊野古道の歩いてきたのとは
逆の入り口的な案内が立っています。



まあ何せ大辺路は帰り道
という位置づけだったそうですしね。
こっち方面から歩く人も
多いのかもしれません。

ああ、それにしてもやっと
終わったんですね。
そもそも一人という歩きでは
途中何があるかわかりません。
だから、そんな急な出来事を
意識して長い間行けなかった
富田坂なんですが、
頑張っていってみたら
思っていたよりも
軽く越えることができたかな。

まあ冒険は無事に済めば
たやすいことだったなあ
って思うんでしょうねえ。

さあ、トイレを済ませて
ではバスに乗って紀伊日置の
駅に向かいますか。

そこから車を置いている
白浜まで戻らないといけません。
次のバスは何時かな?
と時刻表を見ると、
なんか変なことが書かれていますよ。

予約制?

うわーここのバスは予約制
じゃないですか。
予約がないと走らないんだそうです。

これはまいりました。
もういまから予約なんてできません。
仕方ないので、誰か乗るなら、
便乗しようかと思いましたが、
乗客予定者など一人もいません。

これはあきませんね。
バスがだめだったら、
タクシーか。

行きに乗ったタクシーの中で
聞いたのでは、日置の駅には
タクシーが一台いるとのことですが、
会社名がわかりません。

なので電話番号がよくわからないのです。

それにしてもここまできたら
もっと周りに家が
いっぱいある町中だと思っていたのに、
人に聞こうにも
人影も全くありません。

う~ん、いろいろと頭を巡らせました。

まず電車の時刻表をネットで
見てみましょう。
すると、いまからタクシーを呼んで
乗っても適当な時間には
間に合いませんね。

白浜を過ぎると、
電車の本数がかなり減ってしまうのです。

う~ん、おっさん一人で
ヒッチハイクは無理だしなあ。
地図を見ると駅まで5キロくらいなんで、
これはもう歩くしかないですかねえ。

次の便の電車に乗るには
1時間以上歩いても間に合います。



仕方ない、歩くかあとあきらめ、
ダンプや軽貨物なんかが走る車道を、
トボトボと歩き出したのでありました。

続く

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熊野古道大辺路難所富田坂6

2021-12-20 20:45:03 | ウォーキング

富田坂の登りを終えて、
こんどは急な下りに差しかかっています。



傾斜はかなり急ですねえ。
つま先がいたくなるほどです。
でもねえ、この下り道は普段は
自動車は入れないのですが、
快適な林道で続いてゆきます。



遠くの景色もいいですねえ。

あちらは果無山脈の方かなあ。
また下りながら、
「紅葉が始まっているなあ」
「この空き地はなんだろう」



とかきょろきょろします。
なんかねえ、こんなにのんびりと
一人で寂しいけれど、
なんか自然の中でワクワクする
気持ちは押さえられません。



ただねえ、ここから何が見えるよとか、
どんな花が咲いているよ
というような情報は、
中辺路に比べて、
大辺路はちょっと情報が少ない
のは残念ですね。

抜けていく道もあまりないしね。

歩いて行く人の気持ちを
ある意味支えてくれるような
こんな救助票があるのも、
来てみて初めて分かったからねえ。
もうちょっと事前に情報が
欲しかったですね。

でもまあ難所の山を越えたから、
気持ち的にはとてもハレバレです。

少しずつでも走る練習を
していてよかったなあと、
歩きながら喜んでいたりもします。

できる範囲で行う運動もいいものですね。



道はどんどん下ってゆき、
かなり下ったぞと
いう感じになるころ、
やっと「祝の滝」へいく
分岐点に出てきました。



ネットで見てみたら、
とてもきれいな滝なんだそうですが、
熊野古道本線から離れて
30分かけて往復しないといけないので、
今回はパスしました。

とてもきれいな滝なんだそうです。

我慢して見に行っとけばよかったかなあ。
少し残念です。



さあて、ではここから三ヶ川沿いの
林道っぽいきれいな道が続きます。

少し歩くと、姶良火山の灰の
地層があると書かれています。

ふ~ん、このあたり火山があったのか。
いや待てよ、姶良火山といえば
鹿児島県じゃないか。

桜島の北側にある鹿児島湾のところに
できた火山ですよね。
それがここまで飛んできているんですか。
調べたら今から二万年以上前に
噴火した姶良山から火山灰が
偏西風によって飛んできて、
30cmほどの地層をここに
作っているようです。

少し歩くと、その地層のわかる
場所がありました。



この削られた黄色い層が、
灰の層らしいです。



よくもまあ、こんな500kmも
離れた場所に灰が飛んでくるような
火山だったんでしょうねえ。
でもよく考えたら、今の世界でも
そんな大噴火の可能性なんかも
あるんでしょうねえ。

生前にそんなことの無いように
祈っておきましょう。

そして、このあたりで有名な
「梵字塔」がこの林道沿いに
ひとつあるそうです。



梵字は古代インドの仏教とともに
日本に導入されたサンスクリットの文字。
ここに架かれた文字は
「大日」「弥陀」「薬師」などの
文字が彫られているそうです。
林道沿いにはこのひとつですが、
このあたりの山の尾根筋に
何体もあったものが、
ひとつここにうつされているんだそうです。

なんてことはない街道沿いの山ですが、
その山の隅々に人々の
宗教的な思いがそれとなく
散らばっているんですねえ。
なかなかのものです。

横を流れている三ヶ川は
小さな川なんですが、
途中水路が曲がりくねっているところでは、
広い広い河原を造っています。



ちょっとオーバーかもしれませんが、
まるで上高地の梓川みたいな感じです。



そしてこのあたりには石碑が
いくつかありますよ。

仏像が彫られてあったりしますが、
一体だけ「庚申」と彫られているものが
あったりします。

続く

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熊野古道大辺路難所富田坂5

2021-12-19 21:32:14 | ウォーキング

熊野古道大辺路の富田坂を歩いています。



遠くに白浜が見渡せる
あたりまで登っています。



七曲りの急な登りもようやく終わり、
富田坂の登りもかなり
クリアーしましたね。

山もこの辺りはかなり深くまで
来ているような感じで、
山の木陰を見ればなんか
小さなもののけが木の陰から
こちらを見ているような感じがします。



加えて、林業もかなり進んでいますね。



木が整然と並んだ山の木陰道も



とてもいい感じです。
そして救助票も6番を迎えています。



しばらく歩くと、前方も少し
見晴らしがよくなってきました。



そして7番の救助票を過ぎたあたりが、
富田坂の茶屋跡です。



七曲りの坂道を登り終えて、
ここの茶屋で昔の人は
ほっとしたでしょう。

お酒とかは置いていたのかなあ。
こんな山の中の茶屋で
お酒を飲みながらのんびりなんて、
もう今じゃ考えられないですねえ。

このあたりの茶屋跡なんかも
いろいろと調査があって、
当時の石臼なんかも残されていたそうです。



これかなあ。

そうして8番の救助票を超えたあたりに、
ようやく富田坂の登りの
てっぺんとなる安居辻松峠に到着です。



時間的にはもう1時です。
遅くなりましたが、
ここで昼食にしましょう。



素早くお湯を沸かせて、
スーパーで買ってきた
お弁当をひろげます。

ああ、こんな時に富田坂を登り終えた
お祝いにビールで乾杯とか
あったらいいなあ。
残念、持参しておりませんでした。

以前だったら持ってきていたのになあ。
富田坂の登りも思っていたほど
きつくなかったので、
あんなにビールを忘れるほど
緊張していなくても
よかったなあって感じです。

トレーニングのおかげなんでしょうか。

そしてここまで歩いてきて、
森の雑草の中で何かがさっと
音がしたということはあったのですが、
人類には一人も合いませんでした。

人気の熊野古道でも、
熊野周辺にはよく行っても、
なかなかこの辺から
街道歩きを楽しんでいる人
というのはあまりいないのかも
しれませんね。

お弁当をつついているときも、
誰もいませんでした。



さあ、後は下りになっていくから
もう大丈夫ですね。
ルンルンと下ってゆきましょう。



その先で、道標が立っており、
椿温泉への道があると
書かれていましたが、



どうも荒れていて通りにくそうです。
迷わずに富田坂完歩を
目指して進んでいきましょう。



平坦になった林道を進んでいくと、
ああなんとまあトイレが設置されています。
あのタクシーの運ちゃんが言ってたなあ。
ここを整備するときに、
女性のトイレの場所を
決めるのに女の人に我慢させて、
もうここには作らなあかんやろ
という場所に作ったんや
と言うてはりましたなあ。

実験台の女性は大変だったでしょうねえ。

「トイレはまだいけるか?」
「もうあかんやろ」とか
言われたりしたのかなあ。
ご苦労様です。

せっかくなので用を足してゆきます。
なんか自力の処理装置が
ついているような感じですねえ。
ありがたいありがたい。

さあではコースはこのあたりから
下りがきつくなってゆきます。
地図にも「きつい下り」と
書かれています。

約7キロぐらいを下ってゆきます。



救助票も11番、12番と



順調に下ってゆきます。
この富田坂が終わると、
大辺路はおおむね線路沿いに
道が続いていきますから、
逃げ道も多くなるので
楽になるでしょう。

長い間止まっていた熊野古道歩きも、
なんとか新しい一歩を
進めていけそうな感じです。

続く

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コロナも落ち着いて忘年会

2021-12-18 17:29:04 | グルメ

今年は昨年同様に、みんなが集まる
忘年会も少ないかなあと思っていたのに
ここにきて、小さな飲み会が
立て続けに入ってきました。

そこへもってきて
カレンダー製作が最後の山場に入って
印刷作業に入りましたので
なんかつかれたなあとか
言うてる暇もなく、あれやこれやと
忙しくしています。

またさらに、町内の清掃や
氏子総代の正月粗品引換券の
町内への配布であるとか
ランニング仲間の関係で
市との交渉機会を作る話
あるいは年賀状の作成
麻雀大会となんかもう時間調整が
パニック状態です。

すみませんが、書き始めている
熊野古道も今日はちょっと一休み。
昼のみの後、麻雀に行ってきます。
すみません。

こんな生活でいいのかなあ・・・

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熊野古道大辺路難所富田坂4

2021-12-17 21:38:39 | ウォーキング

熊野古道大辺路の最初の難所
である富田坂を上り始めました。



まず石畳の横は、簡単な階段になっており、
急な傾斜が最初から続きます。
この富田坂の正体がまだ
わかっていないので、
不安ですねえ。



やがて階段は荒れた感じになり、
山道になって登ってゆきます。



足元にはドングリの実がゴロゴロ転がり、



蛇かと思えるような
木の根っこが転がっていたりします。



そして、こんな登りがまだまだ
続くのと思い始めたころにようやく、
いったん登りの頂点となる場所に出ました。



ここが富田坂一里松跡です。



どこから一里なんでしょうか。
よくわかりません。



そしてここには石碑も4つ立っており、
人が集まる場所なんですね。

ていうか、きつい登りを上った後の
休憩場所的な感じのようです。

石碑には「南無阿弥陀仏」、
「奉納大乗妙典日本廻」、
「日本廻国千人供養塔」と
「従是奥 高瀬組所有山」と
彫られた4つがありますね。

宗教的なものが3つ、
最後の高瀬組ってなにかなあ。
下を流れていた高瀬川と
関連あるんですかねえ。
ここもよくわかりません。

とにかくまあ、ここで一服です。

ゆっくりと、体に出来るだけ
負担のないように進んで
いかないといけません。

この先はどんなのかなあ、
と不安を覚えながら
さあではスタートしていきましょう。



しばらく平坦道を歩いていますと
「高瀬要害山城跡」という
看板が出てきます。



ここに、お城があったんですねえ。
馬谷城ともいわれています。

これは吉田春季という人が
建てた城といわれ、
地域の境目を示すとともに
街道大辺路を押さえていた
とされています。

ここからはわかりませんが、
曲輪や堀切が残っているそうです。

そしてその先に立っているのが、
大辺路の案内道標です。



かなり傷んでますが、
まあまだ文字は読めますね。
峠の茶屋跡まで3.5キロだそうです。
頑張っていきましょう。



そしてこれは、救助が必要な時に
場所がわかるようにする
位置の棒です。
ああ、ここで倒れたら
1番で倒れていますといえば
いいということですね。
救助票と呼ぶようにしましょう。
大事な標識なので
チェックをちゃんとしておきましょう。
逃げ道があまりないので、
こういう措置がとられているんでしょうね。



山の中なんですが、
つわぶきが咲き、コウヤボウキも



咲いている気持ちい山道を
歩いてゆきます。

それにしても人に一人も合いませんね。
熊野古道も、おおはやりなのは、
熊野三山に近いあたりだけやなあ。

この辺は気持ちいい道なので、
あっという間に一キロ進みました。
この間寒かったといわれてましたが、
歩いていると以外に暖かかったですね。



救助票も2番、3番を越えました。



そして来ましたよ。
事件です。ここは七曲署です。

とまあ矢追町の警察署に
駆け込みましたよ。
え? ちがう。

そうですここからは、
みちはくねくねとうねり曲がった
「七曲り道」です。

七曲署はあの石原裕次郎が出ていた
警察番組「太陽にほえろ」でしたね。
学生の頃よく見たなあ。
金曜日、下宿の食堂に集まり、
お菓子を持ち寄ったり、
食べ放題の漬物をつまみながら
鑑賞したものです。

で、ここの道はというと、
かなりの登りの山道が
続いていきます。



ああ、こんなところで倒れたら
迷宮入りになるぞ、
とか思いながら、休憩しつつ
登ってゆきます。

そしてこんな看板に励まされながら、
ちょうど7回くらい曲がったところで、
ふと右を見たらこんな景色が
見えているではないですか。



白浜の海の方が見えていますね。
かなり登って来ました。

続く

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