ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

熊野古道大辺路難所富田坂4

2021-12-17 21:38:39 | ウォーキング

熊野古道大辺路の最初の難所
である富田坂を上り始めました。



まず石畳の横は、簡単な階段になっており、
急な傾斜が最初から続きます。
この富田坂の正体がまだ
わかっていないので、
不安ですねえ。



やがて階段は荒れた感じになり、
山道になって登ってゆきます。



足元にはドングリの実がゴロゴロ転がり、



蛇かと思えるような
木の根っこが転がっていたりします。



そして、こんな登りがまだまだ
続くのと思い始めたころにようやく、
いったん登りの頂点となる場所に出ました。



ここが富田坂一里松跡です。



どこから一里なんでしょうか。
よくわかりません。



そしてここには石碑も4つ立っており、
人が集まる場所なんですね。

ていうか、きつい登りを上った後の
休憩場所的な感じのようです。

石碑には「南無阿弥陀仏」、
「奉納大乗妙典日本廻」、
「日本廻国千人供養塔」と
「従是奥 高瀬組所有山」と
彫られた4つがありますね。

宗教的なものが3つ、
最後の高瀬組ってなにかなあ。
下を流れていた高瀬川と
関連あるんですかねえ。
ここもよくわかりません。

とにかくまあ、ここで一服です。

ゆっくりと、体に出来るだけ
負担のないように進んで
いかないといけません。

この先はどんなのかなあ、
と不安を覚えながら
さあではスタートしていきましょう。



しばらく平坦道を歩いていますと
「高瀬要害山城跡」という
看板が出てきます。



ここに、お城があったんですねえ。
馬谷城ともいわれています。

これは吉田春季という人が
建てた城といわれ、
地域の境目を示すとともに
街道大辺路を押さえていた
とされています。

ここからはわかりませんが、
曲輪や堀切が残っているそうです。

そしてその先に立っているのが、
大辺路の案内道標です。



かなり傷んでますが、
まあまだ文字は読めますね。
峠の茶屋跡まで3.5キロだそうです。
頑張っていきましょう。



そしてこれは、救助が必要な時に
場所がわかるようにする
位置の棒です。
ああ、ここで倒れたら
1番で倒れていますといえば
いいということですね。
救助票と呼ぶようにしましょう。
大事な標識なので
チェックをちゃんとしておきましょう。
逃げ道があまりないので、
こういう措置がとられているんでしょうね。



山の中なんですが、
つわぶきが咲き、コウヤボウキも



咲いている気持ちい山道を
歩いてゆきます。

それにしても人に一人も合いませんね。
熊野古道も、おおはやりなのは、
熊野三山に近いあたりだけやなあ。

この辺は気持ちいい道なので、
あっという間に一キロ進みました。
この間寒かったといわれてましたが、
歩いていると以外に暖かかったですね。



救助票も2番、3番を越えました。



そして来ましたよ。
事件です。ここは七曲署です。

とまあ矢追町の警察署に
駆け込みましたよ。
え? ちがう。

そうですここからは、
みちはくねくねとうねり曲がった
「七曲り道」です。

七曲署はあの石原裕次郎が出ていた
警察番組「太陽にほえろ」でしたね。
学生の頃よく見たなあ。
金曜日、下宿の食堂に集まり、
お菓子を持ち寄ったり、
食べ放題の漬物をつまみながら
鑑賞したものです。

で、ここの道はというと、
かなりの登りの山道が
続いていきます。



ああ、こんなところで倒れたら
迷宮入りになるぞ、
とか思いながら、休憩しつつ
登ってゆきます。

そしてこんな看板に励まされながら、
ちょうど7回くらい曲がったところで、
ふと右を見たらこんな景色が
見えているではないですか。



白浜の海の方が見えていますね。
かなり登って来ました。

続く


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