ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

高野街道 烏帽子形周辺

2021-05-25 21:27:17 | ウォーキング

石川の橋梁から戻ってくる



急こう配の坂は「別久坂」と言われていました。



「べつぐさか」とか「べつぐうさか」と
言われていたそうですが、
最近は「びっくり坂」と呼ばれているそうです。

その坂道を上がってゆきましょう。



このあたりで前を夫婦物が歩いています。
こっちはあちこち眺めたり、
キョロキョロしながら歩いているので、
どんどん距離が離れていきますねえ。
そして道はかなり急坂です。
初めて歩くところなので、
こんな急坂が続くかと思うと少し緊張しますね。

このあたりは喜多村といわれている場所です。



南側の上田村から見て北側にある
場所ということで、「北」は敗北など
逃げる負けるの意味があるのでこの
「喜多」にかえて言われているそうです。
でもねえ、doironが町会長をやっている村も
「北」がつくんですよ。
こちらの北はねえ、北上することから
上の方という意味でつかわれているんだ、
ということにしときましょう。



この喜多にあるのが大日寺です。
このあたり道は複数あるようですが、
別宮坂を上ってこの寺に
お参りせずに高野を目指すというのは
変だろうということで、
この寺に向かって「高野街道」の
案内板が道路の端に埋め込まれています。



ここには宝篋印塔もありますねえ。



延享九年と書かれていますので
1752年ということになります。
古いのですが、高野山の歴史から考えたら、
まだまだ新しい方になります。



あ、ここの掲示板には

「クビアカツヤカミキリ」

のことが書かれています。
特定外来生物で、この個体を見つけたら
通報と駆除をしてくれと書かれてあります。
モモやサクラに住み着いて
木を枯らしてしまうという害獣ですので、
日本で大流行したら大変ですね。
あちこちのソメイヨシノで
駆除作業をしないといけなくなります。

むむ、コロナもこんな
外来生物なのかもしれませんね。



ここから道は右に烏帽子の山々のある
山麓道を進んでいきます。
歩くにあたっては地域の人たちの
生活とすれ違ったりするので、
もちろんマスク着用で静かに、
でも頑張って歩こうという感じです。



この道沿いにある道標には、
何が書いてあるのかはっきり読めないけど、
どうやら「かうや」と書かれているようだ。

こういう石の道標も、
あと100年もすれば全く
読めなくなるでしょうねえ。
あちこちをこんな石の道標を
見ながら歩くのも、
将来的にはできなくなるでしょう。
だからこそこんな貴重な道標を
きっちりと記録しておかないと
いけませんね。



春の風を感じながら、
晴天の中をのんびり歩くって
心にも体にもいいものです。



このあたりは景色もとてものどかに
畑なんかも続いています。



右手の山に神社が現れました。
「烏帽子形八幡神社」です。



さらに上には「烏帽子形城跡」もあります。

あの城跡は遠いので今日は
神社だけ参っておきましょう。



山の形が「烏帽子」に似ているところから
こういう名前になっています。
この山には楠木小二郎が拠っており、
その城の鎮護として創建されたのが
この神社であります。



本殿は国の重要文化財になっているそうだ。

お参りをして降りてゆきますと、
参道の階段の横に碑が立っています。



「黒谷翁之碑」と書かれてあります。



黒谷翁とは黒谷左六郎重寛という
中津藩の藩士で剣道の達人だったそうです。
その人が、この烏帽子形神社の社掌をしながら、
この地で剣を教えていたそうで、
その門弟によって明治38年に
建てられた碑なんだそうです。

続く

コメント
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