ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

龍田古道を歩いてきた14

2021-05-07 21:08:18 | ウォーキング

大和川の河口から27.8km地点に
こんな石が建っています。



そうかあ、ずいぶん遠くまで来たなあ
と思っていたのですが、
河川敷ではまだこんな地点なんですね。
その少し下流にかかっている



多門橋を渡れば、前回歩いた
龍田道の三郷中あたりに
合流してゆきます。



足元のマンホールも龍田大社の
神紋である八枚羽の楓紋が
きざまれていますので、
もう三郷町になっています。

前回歩いた道をなぞりながら
信貴山下の駅のところに出てゆきます。



さあ、ではここから新たな
龍田道歩きの始まりです。
踏切を割って左折すると、
道は古い感じになっています。



見た目はもう昔からの街道です。

ここには信貴山の道標が
立っていますねえ。



葬送の道に加えて信貴山にも
一度登りに行かないとねえ。

さらに進んでいきますと、
少しずつ登ってゆきます。
あ、ここの飛び出し小僧は
茶髪じゃないですか。



進んでいますねえ。

そしてこのあたりが、
勢野北口の駅に近いあたりです。



ここからコースは東側に降り、
もうすこし住宅街を登ってゆきます。
そしてこの辺りから、
コースは斑鳩町の方に入ってゆきます。



斑鳩町とは変わった名前ですよねえ。
このあたりに「イカル」という鳥がいて、
聖徳太子が法隆寺を作る時、
ここにイカルが飛び交った
という伝説があります。
そのイカルという鳥の名前から
「斑鳩町」ができたといわれています。



ちなみにイカルというのは
スズメ属の鳥類で全長は約23cm。
太くて大きい黄色い嘴を持つとりです。

主に木の実なんかを食べる鳥ですが、
たまには昆虫類なんかも食べるそうです。
少し歩くと、ここの飛び出し小僧は黒髪ですね。
こんな法隆寺に近い所で茶髪は許さん
という高齢者の声があったのでしょう。

道を下ってきますと、
龍田川のところに出ます。



ここに架かっている橋も「竜田大橋」。
地図では「龍」ではなく「竜田川」と
書かれるようです。

大和川の支流のひとつですね。

昔からこの川の紅葉の美しさは格別で、
百人一首には二話歌われています。
そのうちのひとつが

「ちはやぶる神世も聞かず竜田川
からくれなゐに水くくるとは」です。
有名ですね。
でもねえ、なんとそもそもこの
竜田大橋あたりがきれいな
竜田川というわけではなく、
元々は大和川本流の三郷町から
奈良大阪の府県境が
そういわれていたそうですが、
後になってこの支流が
「竜田川」と呼ばれるようになったそうです。

そういえば、昔の竜田川の絵も、



明神山と亀の瀬当たりの景色に
似ていますねえ。

そんな今の竜田大橋にかかったところで
河川敷の公園で昼食にしました。



今日はお弁当です。

今日もお湯を沸かして、
ナメコの味噌汁付きですね。
竜田川を渡る風が爽やかですね。
この日は好天の散歩日和です。

で、ご飯を頂きながら、
地図を眺めていると、
思い出しました。

なんと竜田川のこの辺りの上流は
三年前に歩きに来ているところですね。

「斑鳩はいかが?」なんて言う名前で
ブログを書いたなあ。
龍田城の城跡が公園に
なっていたんじゃなかったかな。

だったらここから法隆寺まで歩く道も、
一度通ったところです。
なるほどと自分の過去の歩きを
思い出しながら、機嫌よく
昼食を食べました。

またどこかからイカルが飛んできて、
「イカルガ―」と鳴かないかなあ
なんて妄想も抱いていたのであります。

さあでは昼食も片付けて、
ここから法隆寺に向かって
歩いてゆきましょう。

もう聖徳太子もここまで来たら、
帰ってビール飲むぞ~
なんて思っていたのに違いありません。

続く

コメント
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