狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

復活祭、キリストの死と復活により、私達が義と認められる事に感謝

2013-04-01 00:00:56 | エッセイ・コラム
 日付が変わって4月1日となってしまい、エイプリルフールの日に本日の内容を記載するのが余りいい感じでは無いのですが、エイプリルフールの存在の根拠は無い様で、また聖書とも全く関係が無いので(その事に関して全く記載されていない)、私自身は全く気にして無いのですが、誤解されない事を望みます。
 昨日は復活祭、イースターでした。イエス・キリストが十字架上で私達の為に犠牲となられて、その日から数えて3日目に死に打ち勝って甦られた日を祝い、犠牲となられた事で私達の罪が贖われ、主に義と認められて永遠のいのちを得られる事に感謝をします。
 新約聖書・ローマ人への手紙4章25節主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
 ここで言う「義」の本来の意味は、この世において正しいとされている事を行なうよりも、神様との関係性を正しくする事です。神様との関係性を正しくするとは、父と子(キリスト)と聖霊の三位一体の神様を信仰することです。
 新約聖書・ローマ人への手紙4章24節・・・私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
 同書・ヨハネの福音書11章25節イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
 キリストがエルサレムに入られたのが過越の祭りの5日前第1月9日新約聖書・ヨハネの福音書12章1節、12節~)、最期の晩餐過越の祭りの1日目第1月14日夕方から新約聖書・マタイの福音書26章17節~)、十字架上で犠牲になられたのが過越の祭りの2日目第1月15日備えの日(安息日の前日マタイの福音書26章・27章)、死から復活されたのが過越の祭りの4日目第1月17日週の初めの日(安息日の翌日マタイの福音書28章1節~)です。主がモーセとアロンに過越の祭りについて命令した事が旧約聖書・出エジプト記12章に在りますが、同章2節この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。の記述から「第1月」としました。また同章18節最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで種を入れないパンを食べなければならない。」と書かれています。
 ユダヤ暦においては、「第1月」をバビロン捕囚前は「アビブ」、バビロン捕囚後はバビロニア暦に影響を受けて「ニサン」と呼ばれる様になりました。そのユダヤ暦は太陰太陽暦で、太陽暦のグレゴリオ暦との差が有り、グレゴリオ暦においては「3月~4月」に相当します。復活祭は、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に行なわれる移動祝日で年によって日にちが変わりますが、3~4月の時期に合っています。今年の場合は3月20日が春分の日、3月27日水曜日が満月で、次の日曜日の3月31日となりました。又、グレゴリオ暦の西方教会とユリウス暦の東方教会では日にちが異なります。
 因みに「復活祭」の言葉は、ギリシャ語では「パスカ」、又は「パスハ」、その元となるアラム語で「パスハ」に由来し、それらはヘブル語で「ペサハ」と言う過越の祭りを表す言葉が由来です。
 又、イースターエッグが配られる等の習慣が在りますが、聖書にはその様な記述は全く無く、後世の人々によって作られたものです。
 一方、12月25日のクリスマスキリストの降誕祭ですが、キリストの実際の降誕日は聖書には記載されていません。12月25日の降誕祭が、遅くとも紀元4世紀頃までに異教の冬至祭を転用して始められたのではないかとも言われています。
 祭日が実際の日付と違う事や、過越の祭りと違って聖書に主からの祭りをせよとの命令が記載されていない事、祭りに異教の影響があるのではないかとの事、祭りや行事に後世の人々による拡大解釈が加わっている事等、キリストが昇天した直後の使徒パウロ等が活躍した頃の原始キリスト教会から、その後に時を経てから多少曲がり逸れた感じが有りますが、その様な事はともかくとして、キリストの御降誕と死と復活等の意味を思って感謝し喜び祝う事が大事である様に思います。




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