狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「純粋さ」と「偽善」

2013-01-12 22:26:57 | エッセイ・コラム
 仕事の種類によって、神様は異なった見方・捉え方をしません道徳的に間違った事をしなければ、自分の持ち分をすれば良く、自分の能力に見合った事をすれば良いのです。因みに、現代において金融関係は間違っている様に思います
世の中の人全員が医療福祉関係の仕事をしてしまうと、社会は成り立ちません。私が若い頃から仕事をして来た鉄工の仕事も、世の中の鉄製品全般を担って、社会の「根幹」を支えています。医療・福祉関係と鉄工関係のどちらの方が値打ちがあると言う問題は全く無く、どちらとも同様に値打ちが有ります
 世間の人達は見た目のイメージや表面的な捉え方で評価する方が多いですが、汗やチリ・油にまみれて作業着・ユニホームを汚しながら仕事をする事が正しいと言う事です。3K(キツイ・キタナイ・キケン)等と言って中傷したりする事は、間違っています
 私はかつては自分の遣り甲斐等にこだわりが有り自分を喜ばす為に仕事をしていましたが、現在は神様を喜ばせる事が本当の意味では正しいと言う事を知りました。又、現在においては、基本的にこだわりは有りません。こだわりが無く、欲望が有りませんそれらから解放されて心が自由になっていますので、それらから来る苦しみは有りません
 又、例え何かに希望・欲望を持ってその通りに行かなくても、忍耐を持ってその苦しみ受け入れる事が、クリスチャンにとって必要な事です。
 公務員の様な安定を望んで前述の関係に進む者も多く、純粋に仕事の内容で選んでいる人ばかりではないと言う事です。専門学校等の学生には、その様な安定を望むだけの者が多くいます。その様な学費の高額な学校に通う者は裕福な家庭の子である事も多く、苦労や痛みを理解していない事が多い様に思います。又、事務職等の部所は、基本的に経営・金銭の事しか考えていません。人出不足とは言いながらも、結局はより好みをして贅沢な考えを持っているだけの様にも感じます。
 最近は、病院も介護施設もどことも皆ホテル並で、それらの職員もその様な綺麗で立派な所で働く事を一つのステータスと捉えている者が多い様に思います逆に、私が育てられた町工場の鉄工所と言えば、それとはまるで正反対の感じですしかし本当の値打ちと言うものは、見た目のイメージ等では無く、その内容そのものに有ります却って、特に施設に関して言えば、町工場の小さな古い鉄工所の方が、「清貧」、「謙遜」を表している様にも思えます。
 ところで、流通において本来は物物交換や働きに応じて物や食事等の報酬を受け取る事でしたが、流通の利便性を高める為に希少価値の有る金・銀・銅を貨幣に用いてそれを代替品としました。その後より利便性を高める為に、金等と交換可能な兌換紙幣が発行される様になりました。しかし、アメリカのドル紙幣は40年前に金本位制を辞めている為に、ただの紙切れとなっています。
 お金だけを持っていても物が無ければ意味が有りません。お金は潤滑油で物・サービスの実体の方が本来上に在るはずなのですが、現代ではお金が権力を握ってしまう矛盾が生じてしまい、それに応じて株等の投資をする事にステータスを感じる間違った者が多くいます
 先物取引等の金融商品の発達と規律無く発行され続ける事によってお金ばかりが満ち溢れ、70億人の世界人口を養うだけの食糧やエネルギーが不足し、飢饉や世界的なインフレが起こり、世界恐慌が起こる危険性を多分にはらんでいます。
 その様な社会・世間の矛盾・偽善の中で生きて行かなければならず、不器用で世渡りが下手な私は苦労を強いられそうです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿