かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 142

2020-12-31 20:10:50 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 17  2014年6月
    【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)62頁~
       参加者:泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
            

142 森のなかの空へ拓かれし場所に出でなにもかも言えそうでおそろし

 【レポート】閉塞的な場所からいきなり開放的な場所に出たとき、人間の知覚・感覚は一気に拡散する。特に、水平に拓けるよりも、鎖された森の中で天井が抜けるように垂直の空間がぱっと拓かれた時、人間の知覚・感覚は、脳髄ごと一気に空へ引き上げられる。そうすると、言葉の源にいるようなものだから「なにもかも言えそうでおそろし」くなる。言葉は空から垂直に降ってくるからである。(その根拠は、短歌は縦書きなのである)(鈴木)
 

        (発言)      
★「なにもかも言えそう」って言ってはいけないことを言ってしまいそうだということでしょうか?
     (曽我)
★天に開かれたところで遮るものがないから、言葉として何でも言えそうだと。言葉としてさらし
 てしまいそうだと。言ってはいけないことという意味ではないと思う。(鈴木)
★「言えそう」というのは認識のレベルが無限に拓けて何もかも分かっちゃって言えそうというこ
 と?それとも、もっと日常的な話?少なくとも、人の悪口を言うとかタブーを侵してしまいそう
 とか、そういうレベルの話ではないと思う。(鹿取)
★木々の無いフラットな空間が現れて、目線は空に開かれる。そこには他人の目が無くて一人の許
 された場で覆い隠すことなく何でも吐露できるって、そういう単純な意味に取ったんですけど。
鈴木さんの話を聞いていると、言葉が降って来るというか、何もかも言葉になると言うか、そん
 なふうなこともあるのかなあと。 (泉)
★水平との違いを感じます。目が横に付いているから、やっぱり垂直にあこがれますよね。
   (鈴木)
★もちろん水平線見たときと垂直に開かれた場にあるときと思考は違うものになる。でも、もうひ
 とつ、私はこの歌分からなくて。「なにもかも言えそう」っていうのが、天からの啓示のように
 世界の本質がばっとつかめて口をついて出そうだ、ということか、もう少し身体感覚的なことな
 のか、よくわからない。この歌については、時間をかけて考えてみようと思います。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞 141

2020-12-30 19:49:35 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 17  2014年6月
       【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)62頁~
       参加者:泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
            

141 宇宙から収縮をしてきしもののかがやくかたさ鬼胡桃なり

 【レポート】鬼胡桃も実として生っているときは、普通の木の実とそんなにかわらないが、収穫をして殻付きの状態になると、歌のようにその姿が顕わになってくる。その風貌は、地球的なものとはとても思えず、永い時間宇宙空間を漂って凝縮した隕石のような照りと固さを持っている。(鈴木)

 
        (発言)      
★『隕石』という句集を渡辺さんがお出しになったこともあって、鈴木さんの評とそれが合致して
 嬉しかった。それと「かがやくかたさ」というのは何か不動のものへの憧れなんでしょうか?
(泉)
★胡桃って脳の相似形のような気がします。そしてこううたわれると宇宙の収縮形のようにも思え
る。そんな鬼胡桃がが降ってきてことんと目の前に転がっている感じ。「かがやくかたさ」って
そういう神秘を秘めた不思議な存在。(鹿取)
★胡桃を風貌と捉えたレポートがいいと思いました。ちょっと修行者みたいな感じがして。
  (慧子)
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渡辺松男の一首鑑賞  140

2020-12-29 17:30:47 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 16   二〇一四年六月
     【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)60頁~
      参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:曽我 亮子   司会と記録:鹿取 未放




140 根が地下で無数の口をあけているせつなさよ明けてさやぐさみどり

      (紙上意見)
 たぶん根は昼夜を問わず二十四時間、無数の根の先からたえまなく水を吸い続ける。それを「無数の口をあけている」と表現するが、それを思えば切ない。しかし、そのおかげで翌朝には、爽やかなさみどりの葉がさやぐのである。(鈴木)

 
     (発言)      
★「根が地下で無数の口をあけている」が上手。私だったら水を吸っているとしか言えない。「切
 なさよ」でつなぐところが良い。(慧子)
★木が生きるため「根が地下で無数の口をあけている」その切ない気分はよくわかる。ただ、鈴木
 さんのように根が水を吸っているおかげで……というほどには因果関係の接続を思わないけど。
 もっと微妙な接続に思える。それから上の句ではニーチェとの繋がりとか、原罪とか存在悪と言
 ったら大げさかもしれないけど、生の根源のようなことを考えさせられる。(鹿取)


       (まとめ)
 『寒気氾濫』の小さな批評会で大井学さんが話された資料に、この歌をニーチェとの関連で読んでいるところがあるので引用させていただく。(鹿取)

   ……この相反する力の「均衡」が生きんとするものの根源的な「せつなさ」に繋がるもの
   であることが解る。「高みへ、明るみへ、いよいよ伸びていこうとすればするほど、その根は
   いよいよ強い力で向かっていく――地へ、下へ、暗黒へ、深みへ――悪のなかへ」というニー
   チェの言葉を思い浮かべるとき、さみどりの色彩は、地下の無数の口に支えられ、いよいよ高
   く、いよいよ深くその美しさと悲哀とを訴えているようだ。些か不用意かと思われる「せつな
   さ」という言葉が、やはりここで使用されるだけの作者の内面的な根拠があったことを思わせ
   る。(大井 学)
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渡辺松男の一首鑑賞 139

2020-12-28 20:06:10 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 16   二〇一四年六月
     【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)60頁~
      参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:曽我 亮子   司会と記録:鹿取 未放



139 桜 かぞえきれない毛虫すまわせてあるとき幹をぴくぴくとする

      (紙上意見)
 桜の木にはたくさんの毛虫が発生する。葉の毛虫はよく見かけるが、幹の毛虫はよっぽど近寄ってみないとわからない。それでもあるときは幹の表面がぴくぴく動いたかのように、毛虫が蠢いたのである。(鈴木)

      (発言) 
★毛虫が動いたことを幹が動いたとする見方が楽しいと思います。(慧子)
★これは幹がぴくぴくするのであって虫がぴくぴくするんではないよね。(曽我)
★桜の木が主語だから、毛虫が動いたのではなくて、桜の幹自体がむずがゆくて動いたととりまし
 たが。「すまわせて」は能動だから、もしかしたら毛虫がいっぱい住んでいるのが嬉しくて幹を
 ぴくぴくさせたという解釈もできそうです。(鹿取)
★この歌、57577に言葉が配置されていないから、何か読みにくいですね。そのはみ出しが気
 味悪さを表しているのかなあ。でも渡辺さん、虫、あんまり差別していないからやっぱりよろこ
 んでるのかなあ。(鹿取)
★さきほどと意見が変わりました。やっぱりこの桜は毛虫を嫌がっていないんですね。ぴくぴくし
 ているのは毛虫と交信しているので、喜びですよ。(慧子)
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渡辺松男の一首鑑賞 138  

2020-12-27 19:36:54 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 16   二〇一四年六月
     【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)60頁~
      参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:曽我 亮子   司会と記録:鹿取 未放


138 うむっうむっと孟宗竹の子が伸びる鬱から皮のむけてゆくなり

       (紙上意見)
 筍が伸びてゆく様は「うむっうむっ」という感じだ。鱗片状の皮は筍の本体を守るためのものだろうが、元気盛んな孟宗竹からすれば、うっとうしい鬱的なもの。ここを脱皮して、伸びてゆくのだ。(鈴木)
 
       (発言)
★漫画チックでこの歌は好きです。腕白坊主が伸びていくようで可愛くて、小学生でもよく分かる
 歌だと思う。ただ、「鬱から皮のむけてゆくなり」は面白い発想ですね。
 公表されている年譜にも出ているので言ってもいいと思うけど、渡辺さんは25歳の時から精神
 科に通院されています。だから鬱状態から快復していく時の感覚というのが体感としてあるんじ
 ゃないかなと。この歌ではおとなしく地中に埋まっていた竹の子が地面の上に顔を出して、陽光
 めがけて次々と皮を剥ぎながら伸びてゆく元気いっぱいのイメージがあります。(鹿取)
               
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