かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の短歌鑑賞 95

2020-11-30 21:20:19 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 13 生きることの意味
                                   鎌倉なぎさの会   
                          

95 生きることの意味つきつめて考えるミミズの貌が浮かべられない
             「かりん」96年11月号

 三句切れか、切れ目無しの歌か、少し迷うところである。三句切れと考えるとミミズとの繋がりが分かりにくいので、おそらく切れ目がない歌なのだろう。生きることの意味をつきつめて考えているミミズの貌を思い浮かべることができないということは、そういうことをミミズは考えていないと作者は判断しているのだろう。 
 人を喰ったような内容の歌だが、一、二句目に句割れ・句またがりを使用してわざとごつごつした感じを出している。作者は生きることの意味をつきつめて考え、倦んでいるということなのだろう。(鹿取)
           
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清見糺の短歌鑑賞 94

2020-11-29 19:14:58 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 13 生きることの意味
                                鎌倉なぎさの会   
                          
           
94 地平線に沈む夕日を追いかけてゆく旅にして老杜を憶う
        「かりん」96年10月号

 「老杜」は、盛唐の詩人「杜甫」のこと。晩唐の「杜牧」と区別して「老杜」と呼ぶ。杜甫は「春望」(国破れて山河在り……)「登岳陽楼」「石壕吏」などの詩で有名な放浪の社会派詩人で同時代の李白とも親交があった。
 この歌は中国の旅行詠。広い中国の地平線に沈む夕日を追いかけていく旅だから列車に乗っているのであろうか。九六年というと農村部はまだまだ貧しい風景が広がっていたことであろう。そういう風景を長時間見ながら旅をしているとしきりに杜甫のこと、そして杜甫がうたった世の中の乱れや疲弊した民衆のことのことが意識を過るのであろう。
 ちなみに、「憶老杜」の題で、芭蕉に次のような難しい句がある。

髭風ヲ吹イテ暮秋嘆ズルハ誰ガ子ゾ
【秋風に髭を吹かれながら暮れていく秋を嘆いているのは誰だろうか】

 作者は、芭蕉の題の「憶老杜」を結句に取っているのだが、実は芭蕉のこの句が杜甫の「白帝城最高樓」という七言律詩の本歌取りである。杜甫の詩の一節を掲げる。

杖藜嘆世者誰子 泣血迸空回白頭  
【藜(あかざ)ヲ杖シテ世ヲ嘆ズルハ誰ガ子ゾ 泣血空ニ迸ツテ白頭ヲ回ラス】

 もちろん、世を嘆いているのは杜甫であり、芭蕉であり、清見糺でもある。
ところで、藜が背丈ほどに伸びることは知っているが、人間の体重を支えるには弱すぎるだろう。しかも白帝城の樓に登っていいるのだから……これも白髪三千丈と同じ中国風の誇張表現なのだろう。(鹿取)



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渡辺松男の一首鑑賞 126

2020-11-28 17:36:19 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究14(14年4月)まとめ 『寒気氾濫』(1997年)50頁~
  参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
             

126 直立で泣き叫びいし翌朝の杉は一層まっすぐに立つ

         (レポート)
 夜に入ると、寒気団による「からっ風」が吹き荒れたのだろう。そのために、前の歌では緘黙者であった杉は一晩中泣き叫び続けたのである。翌朝は、風も治まり静けさを取り戻したのだが、直立に立つ杉が一層まっすぐに立っているように見えたというところに、自然の営みの絶妙な調和、バランスが感じられて、この歌の魅力になっている。(鈴木)


         (発言)     
★杉が天から降ってきて着地したというような歌や、木の直立を疑わぬ人といて……という歌もあ
って、そしてこんな歌もあるわけですが、その幅を面白く思います。(鹿取)
★直立の杉だからいいですね。松だったら違う感じ。(藤本)
★きっとこの杉は風にもみくちゃにされて寒くて辛かったんでしょうね。そんな自分をちょっと恥
 ずかしがっているように翌朝は背筋を伸ばしてまっすぐ立っている、なんだか小学生を見ている
 ようないじらしい気がします。(鹿取)

  ※鹿取の発言の歌
     大空ゆ哭きたくなりて降る幹がつぎつぎ着地して杉林
          『歩く仏像』(2002年)
     木の直立をうたがわぬ人にきょう会いて退屈はわれを震えあがらす
                   『けやき少年』(2004年)

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渡辺松男の一首鑑賞 125

2020-11-27 20:44:31 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究14(14年4月)まとめ 『寒気氾濫』(1997年)50頁~
  参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
             

125  寒気団ヒマラヤ杉の上にあり同士討ちなり緘黙者とは

       (レポート)
 寒気団がヒマラヤ杉の上に居座って、地上のもの(ヒマラヤ杉や作者を含む)と対峙し、にらみあっている。今はどちらも緘黙者(口を閉じてだんまりを決め込んでいる)同士であり、その意味で同士討ち(仲間内の争い)の様相である。寒い「からっ風」の吹きすさぶ前の、山間部の重苦しい沈黙のような静けさが伝わってくる。(鈴木)


         (発言)      
★寒気団と作者とヒマラヤ杉の対比というのがとても面白い解釈ですね。緘黙者というの
 が一つのミソなんでしょうね。寒気団とヒマラヤ杉がお互いに押し合っている。そこに
 空っ風が吹いてくる。群馬というのはものすごく寒いところですね。(N・F)
★この歌は大好きです。渡辺さんはあまり口数の多い人ではないから自分は緘黙者だとい
 う意識が日頃からあって、こんな歌が生まれるのでしょうね。しゃべらないのがそんな
 に悪いことかというような意味の歌もありましたし。ここでは寒気団がずっと居座って
 いて、ヒマラヤ杉はその寒さにじっと耐えている、その拮抗のようなもの、緊張感が美
 しいと思います。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞 124

2020-11-26 17:46:45 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究14(14年4月)まとめ 『寒気氾濫』(1997年)50頁~
  参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
             

124  吾が踏みし危うさに谷へ落ちてゆく石が一瞬はばたける音

        (レポート)
 谷沿いの山径を歩いているときの描写だが、単に弾みで蹴落としてしまった石の落ちてゆく様子を表現したというわけではないだろう。上句の「吾が踏みし危うさ」というところに、まかり間違えれば、石もろともにこのわが身が谷に落ちたかもしれないという、危うい踏み出しのなかで石がころげ落ちていったことがわかる。だから石は単なる石ではなく、われの身代わり、あるいはわが身そのものとして落ちて行ったとの思いから、一瞬、「はばたける音」が聞えたのである。それは作者の心身が投影された音だろう。(鈴木)


            (発言)      
★「われの身代わり、あるいはわが身そのものとして」とレポーターは書いているけど、身代わりと
 かではなく、作者は石にも命があると思っていてそれで羽ばたける音を聞いたのではないか。(藤本)
★いろんな意見があっていいと思いますが、私、石には命があると思います。それで落ちていく時
 一瞬空中で静止した感じ、羽ばたいたという感じが分かる気がします。マグリットにも空中に浮   く大岩の絵がありますが、ここではとてもリアルに石がホバリングしている絵が浮かびます。ち
 ょっと漫画チックですが石に羽が生えていてそれをぱたぱたさせている絵です。漫画チックだけ   どふざけてる訳ではない、でも深刻ではなくて軽くて救いがある感じ。だから〈われ〉は〈わ 
 れ〉、石は石であんまり身代わりとかは思わない。(鹿取)

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