かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 389

2021-12-31 16:49:42 | 短歌の鑑賞

  渡辺松男研究47(2017年3月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P157
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明     司会と記録:鹿取 未放


389 六月のもの思(も)うも憂き雨の日は胸のあたりに古墳が眠る

  (レポート)
 上の句の「もの思うも憂き」には梅雨時の鬱陶しさが詠まれているが、そのような雨の日にあって、「胸のあたりに古墳が眠る」と詠んでいる。これが「現代の墓」だと生々しさが残り、鬱陶しい気持ちがいや増すが、「古墳が眠る」には、その生々しさが消えて、時間を経てずっしりと重く鎮まり返ったものが、あるなつかしさを伴って作者の胸に受容されているのだろう。(鈴木)

    
   (当日発言)
★松男さんの歌にはよく古墳が出てきますがレポート聞いてこの歌よく分かりました。(慧子)
★古墳は大きいからお墓というより丘って感じですね。(鈴木)
★上句の「もの思うも憂き」はどう解釈するんですか?(真帆)
★ものを思うのもめんどくさい。(M・S)
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渡辺松男の一首鑑賞 388

2021-12-30 16:58:19 | 短歌の鑑賞

  渡辺松男研究47(2017年3月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P157
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明     司会と記録:鹿取 未放


388 あじさいの藍濃きこれの世に覚めて足裏ひそと湿りていたり

     (レポート)
 梅雨の季節を代表するものと言えば、「あじさい」、しかも「藍濃き」紫陽花は、雨を感じさせてその季節の気分を一層高める。そんな季節の朝に目覚めて、足裏がひそと湿っているのに気づいた。梅雨の季節と足裏の湿りとの関係性のなかに、これの世(環世界)とわれとが一体化した、深い関わりを見たのである。(鈴木)


     (当日発言)
★「環世界」というのはどういうものですか?(鹿取)
★環境世界のことです。わたしと繋がりがある世界、一体化している世界のことです。それほど深
 い意味はないです。(鈴木)
★私はもっと単純に梅雨の時期に覚めてと読んでいたのですが、それにしては「これの世」が大げ
 さだなあと思って。自分と一体化した世界と聞いて納得しました。(真帆)
★「覚めて」がとても大切な役割をしていると思います。覚醒と目覚めるとふたつの意味を持って
 いると思います。夢を見ていたのかなあとまで想像させるしくみになっている。(慧子)
★「これの世に覚めて」以外は普通の歌だけど、この言葉で凄い歌になっている。(M・S)
★私も「これの世」で日常から飛躍していると思います。これの世というからにはあれの世、普通 「あの世」って言いますけど、に対応させているんですよね。ということはやはり存在論の領域
 ですよね。それから皆さん全員「あしうら」って読まれて、確かに広辞苑には「あしうら」しか
 出ていないですが、「ひそと」という柔らかい古語に対応させて私は「あなうら」と読みたいの
 ですが。まあ、ルビは無いので作者の意図は分かりませんが。いずれにせよ、「あじさい」「あ
いこき」「あなうら」と頭韻を踏んでいてなだらかですね。(鹿取)
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渡辺松男の一首387387

2021-12-29 16:43:35 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究46(2017年2月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【冬桜】P154
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:①曽我 亮子(②渡部 慧子)
     司会と記録:鹿取 未放


387 木の向こう側へ側へと影を曳き去りゆくものを若さと呼ばん

       (レポート②)  
 384番歌「冬の樹の梢にありき雲水にあこがれし日の少年われは」で少年の日をたとえているように作者の生活、人生を思うとき、樹をなくしては語られないように思う。過ぎていく自分の若さを言うとき、まずは常々とても好きである木の向こう側へと語り始め、影を曳きながら去りゆくものを捉えている。惜しみながらすぎていくものをみている感じがよくあらわれている。(慧子)


      (当日発言)
★慧子さんのレポートの「常々とても好きである木の向こう側へと語り始め」のところも、もう少
 し説明してください。(真帆)
★自分の大事な青春をいうのに、やはり自分の好きな木から語り始めると思ったのです。(慧子)
★向こう側が若さということですか?(真帆)
★作者がそう言っているのでそうです。目の前を去っていくなら捕まえられそうだけど、木の向こ
 う側へ行くのが捕らえられない儚いものだということかな。(慧子)
★向こう側というのが作者のキーワードの一つで、哲学的な深い意味合いを持っているようです。
 向こう側へ去っていくのは光りだったり影だったりするんですが、ここは若さですから少し屈折
 がない感じがします。余談ですけど、小池光の「ポプラ焚く榾火(ほだび)に屈むわがまへをす
ばやく過ぎて青春といふ」(『バルサの翼』S・53年)を思い出しました。小池さんの青春は
前を過ぎていくけどやっぱり捕まえられない んですね。(鹿取)
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渡辺松男の一首386386

2021-12-28 16:51:17 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究46(2017年2月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【冬桜】P154
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:①曽我 亮子(②渡部 慧子)
     司会と記録:鹿取 未放


386 永劫のごとく澄みたる冬の日の蜆蝶は手に掬えそうなり

    (当日発言)
★382番歌に「久方の空澄みわたりゆえもなく元旦の日をおびえていたり」がありましたが、元
 旦の空も永劫のごとく澄んでいるって感じたのでしょうかね。やっぱり怖いですね。(鹿取)
★作者は野原に寝っ転がって青空を眺めているのではないかと思った。雲一つ無い青空は巨大な水
 瓶のように感じるときがありますが、作者もそんなふうに感じたのじゃないか。そこにひらひ
 らと飛んでいる蜆蝶を見て、水の連想から砂に住んでいる生きものを連想して砂に手を入れて掬
 えそうと思ったんじゃないかな。そんなふうな意識の錯覚を起こしたのかなと。(真帆)
★私はそのまま飛んでいる蝶が手で捕まえられそうだと読んでいます。永劫にはやはり懼れとか、
 懼れるがゆえの怯えのようなものがあって、そこに一瞬可憐な蜆蝶がひらひらとやってくる。う
 まく言えませんが何かその永劫の中の一瞬に感応している歌かなと。永劫と蜆蝶の一瞬の邂逅が
 大事なのでしょう。好きな歌です。(鹿取)
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渡辺松男の一首鑑賞 385

2021-12-27 19:33:24 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究46(2017年2月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【冬桜】P154
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:①曽我 亮子(②渡部 慧子)
    司会と記録:鹿取 未放


385 山毛欅の肌われより凛くこの冬をときに光りて越えつつあらん

       (レポート①)
 ぶなの皮肌は私より強くきりりと引き締まってこの寒い冬を克服しつつあるのだろう。(曽我)


      (レポート②)  
 樹をとても親しいものとしてとらえ、山毛欅の肌を思っているのだが、自身より凛く、つまりきりっとりりしくときに光ってこの冬を越えているだろうと。「凛く」とこの字を当てて一首が支えられる。(慧子)


       (当日発言)
★木の肌が光っているというのが独特の捉え方ですよね。いきいきしていることを光るといって
 いるのでしょうか。(鹿取)
★山毛欅は分かりませんが、欅はほれぼれするような肌の木にであうことがありますね。冬の木に
 なると禿げるんですね。(慧子)
★山毛欅の生態をよく知らないので、調べないといけないですね。「あらん」だから山毛欅は遠く
 にあって目の前で見ているわけではない、光って越えているだろうと想像している。だから凛さ
 の象徴として「光りて」は比喩的に使われているのかもしれませんね。(鹿取)


    (後日意見)
 調べてみると山毛欅の木肌は比較的すべすべしているようだ。「光りて」は文字どおり光りてなのかもしれない。  
  春一番に揉まれ揉まれてきらめけり樹々には素肌あるものなれば  『寒気氾濫』
どちらの歌も対象の樹に対する熱いほどの思いが感じられる。(鹿取)

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