かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 51 中欧 366

2022-05-31 17:06:56 | 短歌の鑑賞
   2022年度版 馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
     【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
      参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      司会と記録:鹿取 未放


366 ドナウ川秋がすみせり漁夫の砦にたたかひし漁民のことも忘れつ

     (当日発言)
★素朴な建物。近くには弾丸の跡がたくさんあった。(N・K) 
★「忘れつ」と言っても忘れてはいない。「花も紅葉もなかりけり」と同じで一度見せてから打ち
 消す効果。(鈴木)


       (後日意見)(2015年7月改訂)(鹿取)
 「漁夫の砦」は1902年に完成した。名称は中世に漁業組合が王宮を守る任務を帯びていたことに由来する説を採ると、「漁夫の砦」自体は戦いと直接は関係がないようだ。N・Kさんの発言にある砦近くの弾丸の跡はいつの戦いのものだろうか。①ハンガリー動乱でソ連軍が侵攻してきた時か。②ナチス・ドイツがブダペストを砲撃した時か。数首後にハンガリー動乱を詠った歌が何首かあるので①かもしれない。
 しかし、ここでは特定の戦いに限定する必要はなく、秋がすみがたつドナウ川は視界を遮られており、そのかなたにぼうぼうとして過ぎ去ったいくつかの戦いを思っているのかもしれない。今現在の空間的把握の難しさから、過去の時間を遡って思っているところが面白い。春がすみのかなたに歴史上の大和のもろもろを透視している前川佐美雄の次の歌に通うところがある。   
 春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ 『大和』前川佐美雄
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馬場あき子の外国詠 51 中欧 365

2022-05-30 10:40:50 | 短歌の鑑賞
   2022年度版 馬場あき子の外国詠51(2012年4月実施)
     【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P96~
      参加者:N・K、崎尾廣子、鈴木良明、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放


365 旅人は何を見るべきただ静かなハンガリーの秋を漁夫の砦に

     (レポート)(慧子)
漁夫の砦:ドナウ川に沿ってネオロマネスク様式で建立された、数個の尖塔と廻廊。砦といっ
       ても闘いに使われたものではなく、マーチャーシュ教会を改修した建築家シュレッ
       クが街の美化計画の一環として建造した。この名はかつてここに魚の市がたってい
       たことや、城塞のこのあたりはドナウの漁師組合が守っていたいたことなどから付
       けられた。白い石灰石でできた建物自体も幻想的で美しいが、ここはドナウ川と対
       岸に広がるペスト地区を一望できる絶好のビューポイント。(「地球の歩き方」)


       (当日発言)
★1、2句が眼目。最初から風景に入っていくのが普通の歌い方だが、ここで気分をしらしめてい
 る。一呼吸おいてから焦点を絞っていく見せ方。(鈴木)
★「ハンガリー」と大きく出ているところがおもしろい。(鹿取)
 

      (後日意見)(2013年10月)
 例えば「ケンピンスキーホテルの一夜リスト流れ老女知るハンガリー動乱も夢」など一連の終わりの方の歌を読むと、365番歌の初句と2句がそれらの終わりの方の歌の伏線になっているのが分かる。つまり漁夫の砦からはドナウ川に沿って美しい町並みが広がっている。静かな秋の景観に旅人である〈われ〉はうっとりしてしまう。しかし美しい景観の背後にはハンガリー動乱はじめ歴史上の戦いの傷が隠されているのだ。〈われ〉はそれを見なければならないし、見ようと思う。それら戦いの記憶に、(たとえ戦さに使われたものでなかったとしても)「漁夫の砦」という名称の選びは意識の中で繋がっているのだろう。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 50 中欧 364

2022-05-29 14:12:03 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
   【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   司会とまとめ:鹿取未放


364 いまの地球救ひうる一人缺けてゐる英雄広場の酸性の雨

      (当日発言)
★なぜ一人なのか?一人だけなのか?(T・H)
★T・Hさんの疑問はもっともで、期待する英雄は一人だけでなくたくさんいてほしいですよね。
 でもまあ、ここは修辞です。たとえば「いまの地球救ひうるあまた缺けてゐる」と言ったら歌に
 ならないでしょう。(鹿取)
★作者はこの旅行の前に『プラハの春』を読んで行ったそうだ。十四体以外に入るべき人がいる
 はずなのに入っていないと言っている。ハンガリー革命の英雄の一人か?(藤本)
★もし藤本さんのいうようにかつてのハンガリー革命の英雄の一人が欠けているということなら
  「いまの地球」という表現にはならないでしょう。また、『プラハの春』は1956年の事件を題
 材にしているので、ハンガリー革命の英雄とは結びつかないと思います。(鹿取)
 

      (まとめ)(2012年)
 酸性の雨の降るうすら寒い英雄広場に立って、今の地球を救う一人が存在しないことを嘆いている。ここには十四体のかつての英雄が顕彰されているが、今現在の混沌とした世界を救う人物が存在しないという辛辣な歌。ちなみに英雄像十四体の内、最後の像は一九四八年にハンガリー革命一〇〇年を記念して入れ替えられたそうだ。その入れ替えられた十四体めが、ハンガリー革命の指導者で亡命しイタリアで客死したコッシュートである。入れ替えられる前は、英雄広場建設当時のハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの像であった。(当時ハンガリーは、ハプスブルクとオーストリアとの二重帝国の時代だった。)
 この歌が歌われてから20年ほどが経過した現在、更に世界は昏迷を深め、今の地球を救う一人が存在しない感は深くなる一方だ。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 50 中欧 363

2022-05-28 12:49:14 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
  【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター 崎尾廣子      司会とまとめ:鹿取未放


363 英雄はなべて髭濃し髭といふ男のちから女らは見る

      (レポート)
 どんな英雄でも心の弱さはあったであろう。その弱さを隠すために男は髭をのばすのであろう。だがこの髭に女らは男性の強がりを見るのだと思う。(崎尾)


      (当日発言)
★力が強くて精力的なのが英雄。髭で立派に見える。(曽我)
★レポーターは髭は弱さを隠す為と捉えているが違う。髭は装飾であった。(藤本)
★濃い髭に作者は男の虚勢を感じている。(T・H)
★「女らは見る」と言っているので、自分は違うと作者は思っている。(N・I)
★いや、「女らは見る」の中には作者も含まれているというか、「ら」はむしろ虚辞で自分が主体。
 自分が入らなければ「女ら」に聞いて回ったのか、ということになる。(鹿取)


     (まとめ)
 「ちから」と「見る」は、馬場のキーワードである。ある国において髭は全ての男性に科せられた制度のようなものかもしれないし、単なる装飾であるかもしれないし、時代の流行や要請であるかもしれない。しかし、権力の象徴である面は見逃せないし、弱さを隠す仮面でもあり、自分を鼓舞してより強い自分になるための装置という一面もあろう。作者は髭を蓄えて力強そうな英雄達の像を、虚飾も虚勢も全て了解の上で、英雄の持つ弱い部分をほほえましく容認しているのであろう。女達は案外すべてを見抜いているのだ。(鹿取)
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馬場あき子の外国50 中欧 362

2022-05-27 11:03:20 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
   【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   司会とまとめ:鹿取未放


362 ハンガリー英雄広場の英雄像十四体に髭なきは無し

       (当日発言)
★中東では髭のない男は男として認められない。(N・I)
★そういう国々があるわけですね。もっとも、ここはハンガリー、中欧の話ですね。(鹿取)


       (まとめ)
 ハンガリー英雄広場は、1896年ハンガリー建国一〇〇〇年を記念して建設された。中央の高いポールの上に大天使ガブリエルの像が聳えている。ハンガリー初代皇帝になるイシュトヴァーンの前に現れた天使である。天使像を中心にして右に国王達、左に政治家や将軍達の七体ずつの英雄が並んでいる。そして十四体の英雄達は全て髭を生やしているのだという。全てに髭がある、ではなく否定を重ねている叙述に思いがあるのだろう。すなわち、髭を蓄えることによってなされる権威付けへの問題提起である。それは次の363番歌(英雄はなべて髭濃し髭といふ男のちから女らは見る)にも繋がってゆく思いである。(鹿取)
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